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2020年03月28日00:16

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3月28日の日記

今日の出来事:1854年−クリミア戦争:イギリスがロシア帝国に宣戦布告、1894年−金玉均暗殺、1876年−明治政府が廃刀令を発布、1913年−所沢飛行場で日本初の飛行機死亡事故、1979年−スリーマイル島原子力発電所事故、1993年−東京都江戸東京博物館が開館、2001年−埼玉高速鉄道開業、2005年−スマトラ島沖地震

今日は、金玉均暗殺です。金玉均は、李氏朝鮮後期の政治家です。日本の「明治維新」を模範とした清朝からの独立、朝鮮の近代化を目指していました。1883年には借款交渉のため日本へ渡り、翌1884年4月に帰国しました。清がベトナムを巡ってフランスと「清仏戦争」を開始したのを好機と見て、12月に日本公使・竹添進一郎の協力を得て閔氏政権打倒のクーデター「甲申事変」を起こしました。事件は清の介入で失敗し、わずか3日間の政権で終了しました。井上角五郎らの助けで日本に亡命しました。日本亡命中には岩田秋作と名乗っていました。日本では東京や札幌、小笠原諸島などを転々とした後、上海に渡りました。1894年3月28日、上海で閔妃の刺客・洪鐘宇にピストルで暗殺されました。遺体は清国軍艦「咸靖号」で本国朝鮮に運ばれて凌遅刑に処されました。その遺体はバラバラにされ、胴体は川に捨てられ、首は京畿道竹山、片手と片足は慶尚道、他の手足は咸鏡道で晒されました。福澤諭吉は、上海で暗殺された金玉均の供養のために法名をつける事を真浄寺住職・寺田福寿に依頼し、「古筠院釈温香」という法名を付け、法要は東京朝鮮公使付通官・山崎英夫や朴泳孝などを福澤邸に招いて営みました。遺髪と衣服の一部は金玉均の護衛であった日本人・和田延次郎が密かに日本に持ち帰り、宮崎滔天たちによって浅草本願寺で葬儀が営まれました。甲斐軍治によっても遺髪、衣服の一部が日本に持ち込まれ、東京都文京区の真浄寺にその墓所があります。現在、同じ場所に甲斐軍治の墓もあります。さらに、犬養毅、頭山満らの支援で、東京の青山霊園の外人墓地に墓が建てられました。墓碑には朴泳孝の撰文、興宣大院君の孫である李沛阿僚颪念焚爾刻まれています。「ああ 大変な時期に たぐいまれなる才を抱き 大きな功績を残せず 無情の死」

次に、明治政府が廃刀令を発布です。廃刀令(太政官布告第38号)は、1876年3月28日に発せられました。大礼服着用者、軍人、警察官以外の帯刀が禁じられました。1869年に公議所が開かれた時、制度寮撰修・森有礼は佩刀禁止を提議しました。「早く蛮風を除くべし」というものでしたが、「王政復古」から間もない頃であったため公議人らは反対し、「廃刀をもって武士の精神をなくし、皇国の元気を消滅させるといけない」として否決されました。1870年に庶民の帯刀を禁止し、1871年には士族の帯刀・脱刀を自由とする「散髪脱刀令」を発しました。1875年12月、山県有朋の建議が採用されました。その建議は「従来武士が双刀を帯びていたのは倒敵護身が目的でしたが、今や国民皆兵の令が敷かれ、巡査の制が設けられ、個人が刀を佩びる必要が無くなったので、速やかに「廃刀の令」を出して武士の虚号と殺伐した余風を除きたい」というものでした。そして、1876年3月28日に「廃刀令」を発布しました。禁止されたのは刀の携帯で、所有そのものは認められていました。帯刀は実戦的武備というより特権身分の象徴としての意味合いが大きく、それを否定する事は、実質的な特権の否定である「徴兵令」および「秩禄処分」とともに武士(士族)の身分「アイデンティティー」の否定でした。「廃刀令」に反発した士族は、刀を袋の中に入れて持ち歩いたり、刀を肩で担いで歩いたりしました。また、一部の士族はこの「廃刀令」を含めた「四民平等政策」に反発し、士族反乱を起こしました。

その次に、所沢飛行場で日本初の飛行機死亡事故です。陸軍の所沢飛行場で着陸寸前の陸軍機が、突風にあおられて左翼をもぎとられ、300m上空から麦畑に墜落しました。木村鈴四郎・徳田金一両中尉が死亡しました。これが日本初の飛行機死亡事故となりました。

その次の次に、東京都江戸東京博物館が開館です。江戸東京博物館は、JR両国駅から徒歩3分、国技館の隣に位置します。分館として、小金井市の小金井公園内に「江戸東京たてもの園」があります。失われていく江戸、東京の歴史と文化に関わる資料を収集、保存、展示する事を目的に、1993年3月28日に開館しました。

最後に、埼玉高速鉄道開業です。埼玉高速鉄道(SR)が開通しました。埼玉高速鉄道(彩の国スタジアム線)は、埼玉県と帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)、および沿線の路線バスを運行する国際興業や東武鉄道、そして西武鉄道、協和埼玉銀行(現・埼玉りそな銀行)、沿線自治体の川口市・浦和市(現・さいたま市)・鳩ヶ谷市(現・川口市)が出資して1992年3月に設立されました。当初は2006年の開業を予定していましたが、浦和美園駅付近に建設されていた「埼玉スタジアム2002」でのワールドカップ開催が決定したため、工期を大幅に短縮しました。埼玉高速鉄道は浦和美園駅〜赤羽岩淵駅までですが、その先は東京メトロ南北線直通で「目黒駅」、さらに東急田園都市線に乗り入れて「日吉駅」まで延伸されました。その先は、東急東横線経由横浜高速鉄道みなとみらい線に乗り入れる「みなとみらい号」が「元町・中華街駅」まで運転をはじめました。2015年、愛称を募集した結果、「埼玉スタジアム線」となりました。将来の展望として東武野田線の岩槻駅に延伸し、蓮田駅からJR宇都宮線への乗り入れと、2019年までに新線経由で相模鉄道への乗り入れ計画があります。

今日の誕生日:北の富士勝昭、松井昌雄、伊武雅刀、安藤勝己、石田衣良、的場浩司、水野真紀、神田うの、多村仁志、鈴木明子、レディー・ガガ、アドラーブル、骨川スネ夫 北の富士、伊武雅刀、安藤勝己、的場浩司、水野真紀、長尾大「D・A・I」(元Do As Infinity)、盧廷潤、古谷実、神田うの、多村仁志、梶剛(勝山梶)、鈴木明子、レディー・ガガ、アドラーブル、骨川スネ夫

今日の記念日:三ツ矢サイダーの日、さくらの日、世界演劇の日

今日の「今日訓」:本日は、1962年に第1回のシアター・オブ・ネイションズが開催された事で「世界演劇の日」、「3(三)2(ツ)8(矢)」の語呂合わせで「三ツ矢サイダーの日」です。名前の由来は平安時代中期に、摂津源氏の祖・源満仲が住吉大社の神託により、三つ矢羽根を射って落ちた場所(兵庫県川西市多田)に城を築きました。この矢を探し出した孫八郎に、三ツ矢姓を与えました。明治17年に、この地に炭酸工場が出来ました。明治屋が三ツ矢の故事から「三ツ矢タンサン」と「三ツ矢平野水」を発売しました。その後、朝日麦酒に継承されて「三ツ矢シャンパンサイダー」となりました。しかし、シャンペンの名称はフランスのシャンパーニュ地方で製造された物しか使えないため、「三ツ矢サイダー」と名称を変更しました。こうして、「キリンビールのキリンレモン」と並び称される「アサヒビールの三ツ矢サイダー」が誕生しました。「咲く」の語呂合わせ「3×9=27」である事から「さくらの日」となりました。
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