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2020年03月25日00:27

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3月25日の日記

今日の出来事:940年−平将門の乱:平将門が討死、1793年−武左衛門一揆、1837年−大塩平八郎の乱、1878年−日本初の電灯が灯される、1985年−国鉄のオレンジカードが発売開始、1992年−ハウステンボスが開園、1995年−門司港レトロがオープン

今日は、平将門の乱:平将門が討死です。平将門は関東全域を制圧して独立国を形成し、「新皇」と称しました。朝廷は追討軍を編成し、参議・藤原忠文を「征東大将軍」に任じて派遣しました。その前に平貞盛・藤原秀郷の軍勢4000が力を合わせて平将門と激突しました。平貞盛と藤原秀郷は、藤原玄茂が率いる平将門軍の先鋒を撃破すると下総国川口へ追撃しました。合戦となりましたが、平将門軍は退却しました。平貞盛と藤原秀郷はさらに兵を集めると3月24日、平将門の本拠・石井に攻め寄せて火を放ちました。平将門は、僅か兵400を率いて陣を敷きました。平貞盛と藤原秀郷の軍に藤原為憲が加わり、翌3月25日に連合軍と平将門の合戦がはじまりました。南風が吹き荒れ(春一番)、平将門軍は風を負って矢戦を優位に展開し、平貞盛、藤原秀郷、藤原為憲の軍を撃破しました。しかし、平将門が勝ち誇って自陣に引き上げる最中、急に風向きが変わって北風になると(寒の戻り)、風を負って勢いを得た連合軍は反撃に転じました。平将門は自ら先頭に立って奮戦しましたが、飛んできた矢が将門の額に命中し、討死しました。平将門の死により、関東独立国は僅か2ヶ月で瓦解しました。残党が掃討され、平将門の弟たちや興世王、藤原玄明、藤原玄茂などは皆誅殺されました。平将門の首は京にもたらされて梟首とされました。平将門を討った藤原秀郷には従四位下、平貞盛、藤原為憲には従五位下がそれぞれ授けられました。

次に、武左衛門一揆です。武左衛門一揆は、江戸時代後期に南予の伊予吉田藩で発生した百姓一揆です。1790年、伊予吉田藩は紙座を設けて御用商人の法華津屋に紙の専売権を与えたため、製紙産業に従事する領民の収入は激減しました。このため、日吉村の百姓・武左衛門が桁打ち(浄瑠璃語り)に身をやつして、3年間に渡って農家を戸別訪問して大一揆を纏め上げました。彼らは、法華津屋を打ち壊して専売制を改めさせようとしました。一揆衆は、吉田藩の宗家である宇和島藩に訴えるために、伊吹八幡神社前の河原に集結しました。その総勢は7500名を数えました。この一揆勢に対して、伊予吉田藩は家老・安藤継明が八幡河原に出向いて、責任と解決のために一揆勢の前で切腹しました。そして、宇和島藩は一揆勢の主張を全て認め、一揆の主導者は処罰しない事を約束しました。こうそて、伊予吉田藩は紙方役所を廃止し、百姓の11か条の要求を全て受け入れました。しかし、伊予吉田藩の役人は計略を巡らせると百姓らに酒を与えて、「首謀者を士分に取り立てたいから教えてほしい」と武左衛門の名前と所在を聞き出しました。そして、武左衛門を捕縛して斬首しました。武左衛門の出身地の日吉村(現・北宇和郡鬼北町)では、武左衛門ら一揆の主導者を義農として崇敬顕彰しています。安藤継明も安藤神社に祀られ、現在も町民に「安藤様」として崇敬されています。

その次に、大塩平八郎の乱です。大坂町奉行所の元与力・大塩平八郎とその門人らが起こした江戸幕府に対する反乱です。「島原の乱」以来、200年ぶりの合戦となりました。「天保の大飢饉」により、各地で百姓一揆が多発していました。大坂でも米不足が起こり、大坂東町奉行の元与力で陽明学者でもある大塩平八郎は、奉行所に対して民衆の救援を提言しましたが拒否されました。仕方なく自らの蔵書五万冊を全て売却し、得た資金を持って救済に当たっていました。しかし、これを奉行所は「売名行為」とみなしていました。大坂町奉行の跡部良弼(老中・水野忠邦の実弟)は大坂の窮状を省みず、豪商の北風家から購入した米を新将軍・徳川家慶就任の儀式のために江戸へ廻送しました。このような情勢の下、利を求めて更に米の買い占めを図っていた豪商に対して、大塩平八郎らの怒りが募りました。家財を売却して家族を離縁した上で、大砲などの火器や焙烙玉(爆薬)を整えました。一揆の制圧のためとして私塾の師弟に軍事訓練を施し、豪商らに対して天誅を加えるべしと自らの門下生と近郷の農民に檄文を回し、決起の檄文で参加を呼びかけました。一方で、大坂町奉行所の不正、役人の汚職などを訴える手紙を書き上げ、江戸の幕閣に送っていました。新任の西町奉行・堀利堅が東町奉行の跡部良弼に挨拶に来る3月25日を決起の日と決め、両者を爆薬で襲撃して爆死させる計画を立てました。ところが決起直前になって内通離反者が出て、計画は奉行所に察知されました。完全な準備の整わぬまま、3月25日の朝に自らの屋敷に火をかけ決起しました。天満橋の大塩邸を発った大塩一党は、難波橋を渡って北船場で鴻池屋などの豪商を襲いました。近郷の農民と大坂町民とで総勢300人ほどの勢力となりました。彼らは「救民」の旗を掲げて船場の豪商家に大砲や火矢を放ちましたが、火災(大塩焼け)が大きくなるだけで、奉行所の兵に半日で鎮圧されました。大塩平八郎は養子・格之助と共におよそ40日余り、大坂近郊各所に潜伏しました。江戸に送った建議書が幕府に届く事を期待したのでしたが、箱根の関で発見されて押収されていました。大坂に戻った大塩平八郎は美吉屋五郎兵衛の店に匿われましたが、出入りする奉公人によって大坂城代・土井利位に通報されました。土井利位と家老・鷹見泉石らの率いる探索方に包囲されると、火薬を使って自決しました。この「大塩平八郎の乱」は人々の口を経て全国に広がり、「生田万の乱」を始めとする、大塩平八郎の考えに共鳴した人々の反乱や一揆が相次ぐようになります。

その次の次に、日本初の電灯が灯さるです。工部大学校(東京大学工学部の前身)で開かれた中央電信局の開局祝賀会で、イギリス人教授エルトンにより、アーク灯50個が灯されました。これが日本初の電灯です。その9年後の1887年の同日に、家庭用電気の配電が始まります。

そのまた次に、ハウステンボスが開園です。ハウステンボスは、長崎県佐世保市にあるオランダの街並みを再現したテーマパークです。テーマはヨーロッパ全体で、ドラマ・映画・CMなどのロケ地としても使われています。現在の東京ディズニーリゾート(ディズニーランド+ディズニーシー)とほぼ同規模です。単独テーマパークとしての連続した敷地面積では、日本最大です。現在のハウステンボス敷地の大部分は、江戸時代に干拓された水田地跡です。「太平洋戦争」時に軍に接収された後、広島県江田島の海軍兵学校分校が置かれました。大戦終結後は、厚生省佐世保引揚援護局が置かれ、針尾島西部の浦頭港に帰着した船舶から上陸した引揚者は、ここまで徒歩で移動しました。この地で休息後、国鉄・南風崎駅から故郷への帰宅の途につきました。引揚援護局閉鎖後は、陸上自衛隊針尾駐屯地を経て、長崎県に払い下げられました。県は、針尾工業団地として造成を行いましたが、工業用水供給の問題などから企業誘致が進まず、手つかずの状態でした。議会で毎回のように批判を浴びて頭を悩ませていた長崎県は、大村湾西岸でテーマパーク運営で成功していた「長崎オランダ村」に注目しました。「長崎オランダ村」も、付近の交通渋滞が著しかった事などから、駐車場としての購入を希望しました。しかし、「長崎オランダ村」の代表取締役・神近義邦は、アジアのリゾート観光拠点を創り上げる新たな構想をn練り上げ、「長崎オランダ村」を発展的に大規模拡大した施設を新たに建設しました。完成後、商号変更を行い、現在の「ハウステンボス」となりました。

最後に、門司港レトロがオープンです。門司港レトロは、福岡県北九州市門司区にある観光スポットです。JR門司港駅周辺地域に残る、外国貿易で栄えた時代の建造物を中心に、ホテル・商業施設などを大正レトロ調に整備した観光スポットです。国土交通省の都市景観100選を受賞しています。対岸の下関市唐戸や巌流島等との周遊ルートとして多くの観光客で賑わっています。1988年から整備を開始し、1995年3月25日にグランドオープンしました。順調に観光客数を伸ばし、2003年には対岸の下関市にある巌流島が、NHK大河ドラマ「武蔵MUSASHI」の舞台になった事で、年間255万人の観光客を集めました。翌2004年には反動で前年を下回りましたが、焼きカレーが注目を集めた2007年の観光客数は、220万人まで回復しました。

今日の誕生日:島崎藤村、南雲忠一、京マチ子、志茂田景樹、竜崎勝、李麗仙、佐藤オリエ、エルトン・ジョン、ジャンボ鶴田、的場均、嘉門達夫、堀部圭亮、 宮川一朗太、さがね正裕(X−GUN)、Nana(MAX)、ヤナギブソン(ザ・プラン9)、はいだしょうこ、福士加代子、 織田信成、福本愛菜(元NMB48)、宮舘涼太(Snow Man)、アグネスレディー、サンデーサイレンス、メイショウドトウ、ディープインパクト

今日の記念日:拘留中または行方不明のスタッフと連帯する国際デー、奴隷及び大西洋間奴隷貿易犠牲者追悼国際デー、電気記念日、公立学校修了式(休日の場合は直前の平日)、みそ煮込の日

今日の「今日訓」:本日は、1985年にベイルートで国連情報センターのスタッフとジャーナリストが誘拐された事で、世界各地で拘留中または行方不明の国連職員を賛え、早期の解放を求める日「拘留中または行方不明のスタッフと連帯する国際デー」、2007年の国連総会で制定された「奴隷及び大西洋間奴隷貿易犠牲者追悼国際デー」、1878年3月25日に、東京・銀座木挽町に開設された中央電信局の開局祝賀会が虎ノ門の工部大学校(現在の東京大学工学部)で開かれ、式場に50個のアーク灯が点灯された事で「電気記念日」、「み(3)そ煮込(25)」の語呂合わせで「みそ煮込の日」となりました。また、「公立学校修了式(当日が休日の場合は直前の平日)」で、この日までに修了式が行われます。学生には学年最後のイベントとなり、次の日から春休みとなります。
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