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2019年07月20日00:24

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7月20日の日記

今日の出来事:1868年−北越戊辰戦争:赤坂峠の戦い、1876年−明治天皇が灯台監視船に乗っての東北地方巡幸を終え横浜港に帰着(海の記念日、海の日の由来)、1944年−シュタウフェンベルク大佐を首謀者とするヒトラー暗殺未遂事件、1945年−第二次世界大戦:岡崎空襲、1948年−国民の祝日に関する法律(祝日法)が公布・施行、9つの国民の祝日が誕生、1969年−アポロ計画:「アポロ11号」が、人類史上初めて月に到達、1971年−マクドナルド日本1号店が東京銀座の三越内に開店

今日は、北越戊辰戦争:赤坂峠の戦いです。列藩同盟軍は「加茂軍議」により、3軍編成となり「長岡奪還戦」を開始しました。見附方面軍の「見附の戦い」、与板方面軍の「与板城攻防戦」がありました。そして、この赤坂方面軍です。見附方面の攻勢を見た列藩同盟軍は、赤坂峠とその南方の杉沢方面に攻撃を開始しました。まず、佐川官兵衛が率いる会津藩朱雀士中四番隊が攻撃を仕掛けました。次いで、長岡藩軍事掛・川島億二郎が率いる隊と米沢藩兵が到着しました。こうして、米沢藩兵・長岡藩兵・会津藩兵と村松藩兵によって構成された列藩同盟軍が、赤坂峠に進軍を開始しました。赤坂峠山頂には松代藩兵が布陣していましたが、これを蹴散らし、山頂を占拠した後に赤坂峠を下り始めました。しかし、下りの斜面にいた松代藩兵に攻撃されて敗走しました。新政府軍の反撃により多数の死傷者を出し、米沢藩小隊長の山下太郎兵衛、村松藩軍監の奥畑伝兵衛らが戦死しました。この方面の攻撃は失敗しましたが、新政府軍主力の薩摩藩兵・長州藩兵・松代藩兵の大半はこの方面に拘束される事になりました。こうして、いよいよ河井継之助の逆襲戦「今町の戦い」に繋がる事になるのです。ここから「長岡城奪還」という日本軍事史に残る快挙がはじまります。

次に、ヒトラー暗殺未遂事件です。ドイツ陸軍国内予備軍参謀長を務めていたシュタウフェンベルクは、1944年7月20日に東プロイセンの総統大本営「狼の巣」において、総統アドルフ・ヒトラーを時限爆弾によって暗殺する計画を実行しました。しかし、ヒトラーは軽傷を負う程度でした。「ヴァルキューレ作戦」発動によるクーデタ計画に失敗し、7月21日に上官の国内予備軍司令官フリードリヒ・フロム上級大将の命令により逮捕され、銃殺刑に処せられました。現在のドイツ連邦共和国においては、英雄として顕彰されています。

その次に、第二次世界大戦:岡崎空襲です。1945年7月19日9時、「P−51」の編隊が西三河(愛知県岡崎市)に現れ、銃撃を行いました。この日、米軍第20空軍より、岡崎市爆撃の命令が下り、第314航空団の「B−29」爆撃機126機がグアム島のマリアナ基地グアム北飛行場を飛び立ちました。58(福井)、73(日立)、313(銚子)の各航空団とともに北上し、硫黄島から14000ft〜15400ftをとって紀伊半島から伊勢湾に侵入し、20日0時過ぎに岡崎市上空に達しました。当時、上空は雲に覆われていました。航空団は0時52分から2時10分にかけて爆弾を投下しました。投弾高度は3900mで、焼夷弾を中心に12506発が投下されました。爆撃はまず、明大寺町、大西町などの市周辺部に焼夷弾が投下され、次いで中心部に投下されました。この爆撃で、連尺町や康生町などの中心部を焼き尽くし、10時頃まで燃え続けました。この空襲により、死者203人、行方不明13人、被災人員32068人、建物は岡崎市中心部を中心に全壊7312戸、半壊230戸の被害を出し、主要な施設のほとんどが焼失しました。

その次の次に、国民の祝日に関する法律(祝日法)が公布・施行です。「国民の祝日に関する法律」が公布・即日施行されました。まず、元始祭(1月3日)、新年宴会(1月5日)、紀元節(2月11日)、神武天皇祭(4月3日)、神嘗祭(10月17日)、大正天皇祭(12月25日)が廃止されました。次に、「春季皇霊祭→春分の日」、「天長節(4月29日)→天皇誕生日」、「秋季皇霊祭→秋分の日」、「明治節(11月3日)→文化の日」、「新嘗祭(11月23日)→勤労感謝の日」と改称しました。そして、「元日(1月1日)」、「成人の日(1月15日)」、「憲法記念日(5月3日)」、「こどもの日(5月5日)」を制定し、合計9つの祝日が誕生しました。この後、1966年に改正され、新たに「建国記念の日(2月11日、旧紀元節と同日)」、「敬老の日(9月15日)」、「体育の日(10月10日)」を制定しました。1973年に、祝日が日曜日の場合はその翌日の月曜日を休日とする「振替休日」が制定されました。1985年、2つの祝日に挟まれた平日を休日とする「国民の休日」が制定されました。これにより、5月4日が「国民の休日」になりました。1989年には、「天皇誕生日」を4月29日から12月23日に変更し、「みどりの日(4月29日)」を制定しました。1995年には、「海の日」を制定しました。1998年、「ハッピーマンデー制度」を適用し、「成人の日」が1月の第2月曜日、「体育の日」が10月の第2月曜日になりました。2001年、「ハッピーマンデー制度」により、「海の日」を7月の第3月曜日、「敬老の日」を9月の第3月曜日にしました。2007年、「みどりの日」を5月4日に変更し、「昭和の日(4月29日)」を制定しました。連続する祝日のうち、どれか1日が日曜日と重なった場合は、最後の祝日の翌日が振替休日となる事が制定されました。2009年、「敬老の日」が9月21日、「秋分の日」が9月23日になったため、9月22日に「国民の休日」が適用され「第1回:シルバーウィーク」となりました。2014年、「山の日」が8月11日に制定されました。

そのまた次に、「アポロ11号」が人類史上初めて月に到達です。アポロ11号はアメリカ合衆国のアポロ計画にて、歴史上初めて人類を月面に到達させた宇宙飛行です。ニール・アームストロング船長、マイケル・コリンズ司令船操縦士、エドウィン・オルドリン月着陸船操縦士を乗せたサターンV 型ロケットはケネディ宇宙センター第39複合発射施設から発射されました。そしてこの日、アームストロングとオルドリンは人類として初めて月面に降り立ちました。コリンズ飛行士は、その間、司令船で月軌道上を周回していました。様々な技術的困難を乗り越え、月面からの史上初の船外活動をとらえた映像は、世界中に配信されました。地球上ではこの瞬間、少なくとも6000万人以上の人々がテレビでこの場面を見ていたと言われています。アームストロングは、月面に歴史的な第一歩を記し、有名な次の言葉を発しました。「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である 」

最後に、マクドナルド日本1号店が東京銀座の三越内に開店です。貿易会社の藤田商店社長・藤田田がマクドナルドに着目し、フランチャイズ権を獲得しました。子会社・日本マクドナルド株式会社を設立し、1号店である銀座店を銀座三越店内に開店しました。1号店として銀座に拘ったのは、「銀座が流行の情報発信基地だ、銀座で話題になれば商売も必ず成功する」と踏んだ藤田田の発案でした。三越に拘ったのも、交差点角という絶好の立地条件から、「ここしかない」と藤田田は三越まで直談判に行きましたが、当時藤田田と掛け合った銀座店店長で後に社長となる岡田茂から、「三越の営業の邪魔にならぬよう、火曜日朝に開店できるなら出店してもらっても構わない」と無理難題を突き付けられました。当時、銀座三越は月曜日が定休日で、これは「日曜日の閉店時刻(18時)から火曜日の開店時刻(10時)までに、水周りを含め全ての作業を終わらせた上で開店させる事ができるなら出店を許可する」といった意味でした。作業できる時間は実質40時間しかありませんでしたが、どうしても銀座三越に拘った藤田田は、都内のとある空き地で銀座三越の出店予定スペースを再現し、作業員に何度も何度もシミュレーションさせました。最初は60時間近くかかりましたが、練度が上昇すると、最終的には39時間足らずで作業を終わらせる事に成功しました。こうして1号店として開店した店舗は、面積129m2と非常に小さな持ち帰り専門店で客席がありませんでした。ハンバーガー1個が800円と、当時の物価ではやや高額でしたが、藤田田の狙い通り、この店は大変な評判になり、日本各地に続々と店舗が作られるようになりました。その他のメニューの価格は、チーズバーガー100円、ビッグマック200円、フィレオフィッシュ100円、マックフライポテト70円などでした。このマクドナルド1号店の登場は、日本人のハンバーガーに対する価値観に多大な影響を与えました。その後、2号店である代々木店を開店します。その後も日本の中心地へ集中的に出店を続けます。「都会で話題とする」という、藤田田の戦略が成功したのでした。

今日の誕生日:グレゴール・ヨハン・メンデル、糸川英夫、景浦將、穂積隆信、緒形拳、間寛平、松坂慶子、倉持明、鈴木聖美、石橋凌、中川勝彦、小川範子、はなわ、三都主アレサンドロ、佐野泰臣、折井あゆみ(元AKB48)、横澤夏子、斉藤優里(元乃木坂46)、ドナルド・マクドナルド

今日の記念日:月面着陸の日、ハンバーガーの日、Tシャツの日、ビリヤードの日、夏割りの日、中小企業の日

今日の「今日訓」:本日は、1969年にアポロ11号が月面に着陸し、人類が初めて月面に降り立った事で「月面着陸の日」、1971年、東京・銀座の三越内に日本初のハンバーガーチェーン「日本マクドナルド」の1号店が開店した事で「ハンバーガーの日」、Tがアルファベットの20番目の文字で、海がTシャツのイメージにふさわしい事から「Tシャツの日」、1955年に、国会でビリヤード場を「風俗営業法」の適用対象外とする法案が可決された事を記念して「ビリヤードの日」、「中小企業基本法」の公布・施行日である7月20日を「中小企業の日」、7月の1ヶ月間を「中小企業魅力発信月間」、「7(な)2(つ)0(わり)」の語呂合わせで「夏割りの日」となりました。
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