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2021年10月14日08:11

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「金と暴力」日大体育会の中心人物、元全共闘からの視点

 1年遅れの1969年に大学に入学し、ミニ日大で私学闘争をやってきた身として日大全共闘の闘いは敬意と尊敬、そして一抹の虚しさ・無情さを持って視てきました。
 「東大と違って」単なるノンポリ学生が日大の不正経理事件に疑問を持ち、活動を始めたところ最初は「大学が金で雇った」右翼・体育会から次は自分らを体育会の暴力から護ってくれるものと信じた警察・機動隊から弾圧されて、日大学生たちは武装し全共闘を結成する、特筆すべきことは非暴力を訴え「学園民主化」を訴えた日本共産党・民青諸君は力になり得ず、後には体育会と共に単なる全共闘批判勢力となって行ったことである。
 だが日大全共闘の武力闘争は全学ストに発展し、右翼体育会との暴力対峙を凌駕し、日大理事長との大衆団交開催・勝利を勝ち得る、すると即座に時の総理大臣・佐藤栄作=国家権力からの理事会との確約の反故と、そして必然的に国家権力の暴力装置・機動隊&右翼・体育会との直接対決になる。
 その体育会の代表格として君臨するのがこの田中理事長である、日大は単に変わっていないのではない、そういうものとして正に権力に庇護されてきたのである、日大が変わっていないのではなく、日本の権力構造が変わっていないことの象徴として私は捉えています。
 今日の朝日新聞の天声人語、いつかこういうことを書くだろうと私が思った通りのことを書いています。
>(天声人語)日大の不祥事
 1960年代、全国の大学に広がった全共闘運動を引っ張ったのが、東大闘争であり、日大闘争だった。日本大学に国税当局の調べが入り、20億円の使途不明金が明るみに出たことが、運動に火をつけた▼当初はごくわずかな学生が「経理を全面公開せよ」などと訴えるビラを刷った。夜間、誰もいない大学に忍び込み、教室やトイレにまいたという。右翼学生に見つかれば袋だたきにあうからだ(橋本克彦著『バリケードを吹きぬけた風』)▼その日大でいま起きているのが、先祖返りしたかのような金銭不祥事だ。付属病院の建て替え工事を巡り、発注した設計事務所に2億2千万円の裏金を作らせたのではないか。そんな疑いから、日大理事の井ノ口忠男容疑者が背任容疑で逮捕された▼事件の舞台は、日本大学事業部という日大の子会社である。田中英寿理事長の側近として経営を仕切っていたのが井ノ口容疑者だった。一連の資金の流れの中で2500万円を自分に「還流」させた疑いもある。「一強」と言われる理事長の威光が利用されたか▼少子化の逆風のなか、入りを増やして出を削るのが多くの大学の課題だろう。日大事業部ができたのも、物品購入を一つにまとめ経費を減らすのが目的だった。民間企業の利点を取り入れるはずが、ワンマン経営の弊害を露呈したか▼第2の日大闘争が起きてもおかしくないような事件である。忘れてはいけないのは、日大には年90億円の税が私学助成として投入されていることだ。<
 私たちは同時に学んだのだ、最初は学生の闘いに理解を示したマスコミも、学生たちの先鋭化に対し「暴力はいけない」と批判し、そして「過激派暴力学生」のレッテルを張り存在を否定していく、絶対に大きな権力の暴力には目をつぶり、或は許容する、水俣で、三里塚・成田闘争でその歴史は繰り返されてきた、正にナポレオンとフランス新聞の逸話を現実として我々は感じた世代なのである。
 私は多分もう二度と「暴力」を実行することはないが、だが巷間ある「単純な暴力否定」へのアレルギーがある、闘ったものしかわからない覚悟がある、そしてその闘いの中で命を失った仲間、大けがを負い障害を持った先輩・同志の勇気を心から尊敬しているからだ、「窮鼠は猫を噛む」のであり「座して死を待つより撃って出る」、その窮状と死を待つ「状況判断」、何より価値観が我々は「世間とは」違ったのである。
 記事にある「第2の日大闘争」は起きえないし、そうであっても日大の学生のせいとは思わない、日本は既に終わっているし、日本社会は倫理観無き社会になっているのだから。
 この事件は正に現代日本を、1960年代以降の日本社会を反映する象徴的事件である。

■日大理事長を任意聴取 特捜部、金銭授受を捜査 側近ら逮捕後初めて
(朝日新聞デジタル - 10月14日 05:04)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6702116
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