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2022年07月01日18:16

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普段の思考

悟りの体は自然体か。
何かになろうとしても、なれない。
しかし、これは、苦しみから離れている。
苦しみが何か?断ち切れそうな気さえする。
苦しみの本は何か?性欲か。であれば無理だ。
苦しむとしても、色々あるから、今がある。
色々あるから素晴らしい。それで、哲学以外について、
仏教的考えがあるか?思考してみた。
一番は、性愛が何よりも楽しく、何よりも素晴らしく、何よりも、勝ったものだ。
しかし、実際は、蜘蛛の巣だ。
鬱鬱としやすいか?はしゃぐ事ばかり推奨される。
一瞬でも忘れよう的な。
それは、酒に酔うような事だ。何にもならない。
推奨されるのだから、皆、等しく鬱鬱とするからだ。
それは死の問題。これは片付かない。
それで、鬱鬱とする。
これについては、実は解決できる。
修行か、メシアと契約する事だ。
修行は、仏教と仙道がある。
メシアと契約するのは、聖書を学び、まぁ、性愛を畏れる。
はしゃぐ哲学は、意味がありそうで、一時しのぎ的。
そして、深く考えていない。考えれば、それは、逆のようでありもする。
つまり、普段の思考に仏教的な要素はなかった。
これからは、仏教的要素のある、普段の思考でありたいものだ。
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