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2021年09月17日19:16

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悟りと大仏

いつも通り、掃除をして、風呂に入っていた訳だが、
何かを感じた。久しぶりに、坐禅をしたくなった。
何かを悟れる気がした。
しかし、悟りとは何か?知恵か?涅槃か?
分からないまま、取り敢えず、坐禅した。
小乗的だが、貪箸だとは思った。
それを進め、生きる事、見える物、思う人、そのようなものを
遠ざけていった。
貪箸の火を小さくし、消そうとした。
そこにある願いのようなもの、明るい者、楽しい者、
欲しい者、そういうものも捨てられた。
自分さえも捨てられた。
取り敢えず、静かにはなった。しかし、想うに、
これは阿羅漢の悟りだ。とても大仏の知恵とは思えない。
大乗は、学びながら、執着を去るものだ。
なぜなら、真実である故に、妄想を離れるからだ。
そういう教えを、今、自分が説けるとは到底思えない。
では大仏の知恵はどこから来るのか?
悟りではないだろうから、因果。
つまり菩薩道しかない。
菩薩道の功徳が大仏の知恵なのだろう。
今現在、大乗はない。
善を勧めるものはある。
非常に似ているが、妄想を離れるものではない。
大乗を求めるが、私にはどうすればいいか分からない。
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