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2021年09月06日19:06

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啓典の神

六欲天ある。
四天王天が、お馴染みの天界だ。
天国らしい天界。そこからも修行に因る。
仏教では、天人も徳が尽きれば、老衰する。
だから浄土を求める訳だ。
四天王天の上に、トウリ天がある。三十三天とも言う。
遥か昔に、神が行き着き、三十三人の王と治めた。
これは素晴らしい徳を修めたためだ。
今も徳を以て治めておられる。
釈迦はそれより昔であり、この王の前世も知るらしい。
このトウリ天。いと高く、近寄りがたい天界だが、
これは、インドでも帝釈天として馴染みがある。
私は、啓典の神は、この帝釈天だと思う。
だから、聖書を学ぶのは、この神さまを学ぶ事だと。
聖書は、神を畏れよとある。偉大な御業を備えるからだと。
確かに恐ろしい。
そして、聖書の生き方は、このトウリ天への生き方だと。
つまり、聖書の生活は、トウリ天の生活であろうと。
そうに思うのだ。
偶像を嫌われるが、善法堂で、如法とされたのだろう。
ここで如法か非法か話し合う。とされている。
帝釈天が天界の主であり、その次にくるのが、四天王天なのだ。
こちらも徳がなければいけないのは同じだが、
三十三天ほど、崇高ではないのだろう。
更にその上は、次元が違うので、理解できないのだろう。
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