mixiユーザー(id:48131024)

2021年06月15日18:42

12 view

如来禅

無常を畏れ、空を念じ、自我を去る。
捨てきれて、だとしたら、瞑想の技術がある。
瞑想がある。これも捨てる。
坐禅は坐禅に非ず、坐禅と名づく。
本位を去る。簡単に言えば、捨てて捨てきって、坐禅を捨てる。
この時、奇しくも、釈迦の禅を想う。
八正道か、何に執着するか。
性欲、怠け、不信。そのようなものは、自我と共にある。
ここに、魔を知る。
頭上は空であり。諸法無我であり。
情欲も実体なし。
下に何かある。これが分からないが、
観ている事にした。
やがて頭上を抜けた。
何だかは分からない。石のようなものだ。
しかし、双林を予感する。
やっと辿り着いた。
やっと。
1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する