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2020年10月20日20:08

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立禅

禅は無我であり、
そう決まるものだが、
無は限りない。無大無小。
人の身は、大きくも小さくもなる。
それもこれも大きくも小さくもなる。
無とはそういう力。
これは、本来の感覚が、自然なのである。
感覚は大きくも小さくも測る。
そういうものを自然に返すのである。
それが禅。
大きい小さい、広い狭い、暗い明るい、
そういうものは総て、感覚であり、
本来の感覚は、無大無小、無広無狭、無暗無明である。
本来の感覚に立つことを禅の自然という。
これは自然法爾である。
仏も聖であり、聖でない。
人であり、人でない。
無から観るのである。
禅という。
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