mixiユーザー(id:48131024)

2020年10月17日18:47

29 view

柔らの心

柔術はフェアじゃない。
状況、無警戒、心で技をかける。
換骨奪胎した柔道はフェアだ。
だからスポーツ化した。体重さが物を言う。
そもそも柔らは、暴力を無害化する。
いや武道は、暴漢を鎮める。
ここを目的にすれば、どちらも技がある。
柔術家は、柔術家を相手にして、技を替える。
あるいは、感覚を磨くため柔道になる。
さて暴力を鎮める要は、服、地面、心である。
目付という。
また態を崩すと言う。これが柔らの要だ。
それならば慈悲や機転は、態を崩しもする。
それは柔らの要だ。
心なのである。
武道は、心を作る。
護身の心だ。それは、暴漢を観る。
技をかける。目付、心だ。
また無用な技はかけない。
無警戒を破るからだ。
態を崩すは、技だけではなく、
心法もあるのである。
重心、足元、部屋。これも重要だ。
常にこれらを気を付けるのが、武術の錬磨だ。
技の前に心なのである。
1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する