mixiユーザー(id:48131024)

2020年10月08日15:04

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仏教の深い処

苦しまずに進むこともできる。
なのに、苦しまねば、実らないと考える。
危険と安心は紙一重だ。
自然界はそうであり、人為もそうである。
車で事故があるように。
では苦しみの相対は快楽だが、
食事の美味しさ、快便の気持ち良さ、
性愛の恍惚、等があろう。
機能という時、これらは、心である。
先の苦しまねば、と言うのは、心である。
快楽に流されない事もできる。
これは大事だ、養生にも繋がる。
因果の摂理。
どうしてもこうだと思ってしまう。
本当は何も無くても、何かを見ようとするように。
本来持たざる者である。
また本来無き者である。
この辺が、顛倒と言う。
今はただありのまま。
特に何かが見える訳ではないが。
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