まず発明家がいる。
資本家に頼み、商品を現実化する。
そうして売り出し、資本家も元を取る。
これが資本主義社会の基本だ。
世の中の物はこれによって作り出される。
また、資本家が、想像する商品の現実化を頼む。
と言うのもあり得る。
すでに企業化していた場合、可能だ。
また、大衆のニーズから、このような商品が求められるというのもある。
現在はここに当たる。企業がニーズを探り、商品化している。
ただ、直接的ではなく、あくまで予想で成り立っている。
また、現実化されたものから連想して、予想するのもある。
車が空を飛ぶなどである。
これらが複雑に絡まって社会が成り立っている。
つまり、利便と資金の交換である。
そのまま、大衆の心が叶うものだ。
精神的には限界があるが、取りあえず、大衆の想いは反映される。
これが民主主義である。
歴史的には、ここに向かって、進化していった。
しかし、これは、個々の在り方である。
例えば先進国がいて、輸入に頼る場合、
また違う在り方が必要になる。
即ち、商品の分析と、コンパクト化、また、技術革新である。
これには学問が必要であり、研究施設も必要になる。
後進国は、学問と研究を疎かにできない。
即ち、こういう在り方である。
これは、資本家が想像する商品を現実化するのと、タイプが似る。
すなわち資本が必要になる。
これを国が替わって資本家になるのも、始めは必要だ。
後に、民主化すれば良い。
ただ、考え方として、後進国は、先進国のようになれるという論調と、
搾取されるシステムだという論調と別れるところだが、
理論的には、環境に因る、と言う。
畑で土をならし、雨と光で作物が成るように、
環境と因縁で、いくらでも増長する。
逆に言えば、先進国はその環境と因縁があったのである。
誰かが開発した、それを大量化する、ここに尽きる。
言わば大量化するシステムを構造的に産み出した、それが
先進国である。
システムであれば、各々の役割もある。
ただ、ここに精神的な幸福は、含まれない。
この辺の事をよく考えるべきであろう。
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