要は、真心を持つ事、
世間と距離を保つ事、
瞑想を重ねる事。
この三つである。
環境は大事だ。
真心で生きるのは、嘘をつかぬ、正直である。
思いやる。心の穢れを除く事である。
いつでも温かい心でいる事だ。誰にも温かい気持ちを向けようとする事。
傷つく事も多い。それでも、善であろうとする。
これが真心を持った生き方だ。
天神は見ている。やがて、目をかけてくれる。
世間はこれをしない。それがまかり通る。
そして、傷つけ合う。善を守るために、距離を置くのである。
自分は大丈夫、という事は無い。
そんな特別な存在ではないのだ。
煙草を吸う前は、すぐに辞められると思う。
酒を飲む前は、酒に呑まれないと思う。
しかし、辞められず、呑まれる。
善を守るのも、そういう事だ。
朱に染まれば赤くなる。という訳。
寂しさと、ストレス、これのみ常に付きまとう。
これに慣れる事のみだ。
不機嫌という事も少なくなるが、機嫌は自分で取らねばならない。
音楽を聴くなり、PCをのぞくなりだ。
あとは絶えず勉強をする事だ。
そうすれば、歴史的な、先祖的な味方がつく。
世界平和と言わずとも、
近くの人の不幸を願わず、幸福を願うのは、
人情だ。
十年一日。このような環境状況で生きれば、
道は全うされる。
涅槃に至れる。
涅槃に至れば真に自由である。
これは一生かけても願うべき、大宝だ。
縁があるなら、極めよ。
長く慶びあるなり。
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