抱朴子は、金丹を言う。
しかし、それは現実的ではない。
薬を集め、金を用いて、炉を起こす。
しかも、人に知られぬようにせよ。つまり、山に籠もれと言う。
現代日本では叶わない。
では、内丹か、となる。抱朴子にはあまり書かれていない。
そうして、考えてみると、呼吸法、房中術、内丹法となる。
内丹術は、ネットにある。
コツが分かればできるだろう。
重ねて、法を究める間、養生法で過ごすことなろう。
養生法では、身体は動かした方が良いと言う。
また、睡眠、大食大酒、色欲を慎めと。
気ままに為せば、必ず、五感の欲に囚われる。
そうして精気を損ずると。
正直な話、仏教を今まで勉強していて良かったと思う。
仏教の、自我を滅ぼすとは、こういった、五感の欲に惹かれる自我を滅ぼす。
つまり、欲に惹かれなくなるのだ。
静けさも必要である。
騒がしいのは養生に当たらない。
しかし、養生には、感覚的に自分で悟るしかないのではないか。
今のところ良書を見ず。
養生訓を読んだが、役には立つが、そのままを受け入れる事はできない。
養生訓では、食物の滞りが、病気の本と言う。
故に、食後すぐは、運動すべき、とされる。
鵜呑みにはできない。
しかし、他山の石、いろいろ勉強にはなる。
この貝原益軒さんも長生きした。
いろいろ勉強になるのである。
しかし、例えば、精を惜しむ場合、運動すべきなのか、静かにすべきなのか、
はっきりしない。逆にも思えるからだ。
ただ、補薬は用いないという点は、そう思う。
畏れや忍ぶも、なるほどと頷ける。
まあ、結果的には読んで良かった。
有益だった、ということである。
しかし、私はどうすべきか・・・。
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