人生は苦あれば楽あり。
これを損得で考える。
苦は損である。何かを学んで帳尻を合わす。
楽は得である。儚い。
得は徳ともいえる。未来への投資である。
何も学びえない苦というのもある。
後に捨てる修行を必要とす。
捨てれば軽く、重ければ、緻密。
時に、真実と理想が苦境を生かす。
認め合うを、理想とし、希望となる。
この理想は、以前に近しいものあり。
故に信じる。
損すれば後得をする。善を為し、死すれば天国へ往くように。
しかるに、道を知れば、死は損であり、生は得である。
得のままに終わるや、修行である。
師と書があれば成す。
修行は、稼ぎである。徳の稼ぎ。
徳至れば、神明、助を成す。
生は80年。
調子良きは、20年ほどであろう。
これを修行に費やし、未来を救い、
生を救う。
仏家にあり。金果にあり。
併せて養生を勧む。
知足清貧である。官位を退ける。
仏家の要は捨てるにあり。重ね積むにあり。
環境静かであれば成る。
人に会えば過つ。
街は、毒を薦める。
控えるべきである。
瞑想熟練せば、清らかで明るい。
天にも、認められん。
死は、如来の衣に布される。
念仏は、生と死を救う。
これら徳であり、大得である。
道を得れば、人生の得は大方である。
道を得れば、死後にも道を行くが故に。
道を得ずば、大損である。死後にも道は無し。
縛られ、暗く、労働である。
山は死後にあり、鬼となる。鬼、神あれば、山を登る。
神無くんば、拘束される。
神はあるかないかは、信心だが、閻魔は神である。
死後を裁断される。
悪を為せば、寿命は削られる。
善を為せば、見守られる。
守護が多ければ、徳であり、大得である。
捨てるは天国への投資と言える。
総て捧げよ。さすれば天国で、友を得る。
得である。徳である。
この世の修行によっては、天国の地位も定まる。
善を為すのみであれば、下士である。
瞑想を知るは中士である。
瞑想に熟練するは上士である。
天国にも仕事がある。
善悪を監視する。
時に罰を与え、時に利益しもする。
その間にも、修行をするのである。
瞑想を果たせば、高官として迎えられる。
まこと仏法は偉大である。
このように偉大である。
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