私の知る仏教は、
悪を為さぬ者のみの仏教だ。
善を積み、悟りを積む。
しかし、皆救われるか?と言えば、
悪を為さぬ力のある人に限られる。
教えには、頭面節足礼は、明王の足を頭に頂戴して砕いてもらう。
というのもある。それが、最上の礼であると。
これは不浄な考え意識を砕いてもらう事だが、そんなことを求める程ならいいが、
なかなかない。ただ、仏教は、浄めてくれるのは確かだ。
しかし、それは根性というものだろう。
他にも、光明真言を七度聴けば、罪が許されるなどある。
それならば、三帰受戒の時に、光明真言を唱えれば良いではないか。
私は、どうも、力のある人しかできないように、差別的に思ってしまう。
時間はかかる。しかし、環境と導師がいれば、出来る事だろう。
真言には、皆を救う可能性を秘めている。
いや、もともとそのためかも知れない。
つまり悪人が浄められるというのが仏教の本懐。
つまり皆を救うという事だ。
ただ、阿弥陀様の念仏往生に、五逆罪だけは無理だとされている。
五逆罪とは五つの、恩ある人を殺す事だ。
両親とか仏の事だ。
詳しくは、調べてほしい。
私共は、許す事だろう。
そして、門を開く事だろう。
自分の事だけで精一杯でもあろうが、
普通の人よりは、心身軽いのだから、
それくらいは務めだ。
確かに不浄に触れたくないのはある。
考えたくないのもある。
昔、その近くにいたから。
そういうのも捨てて、
門戸を開くことだ。
それが、真の大乗の務めだ。
皆救われる。そのためであらねばなるまい。
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