mixiユーザー(id:48131024)

2020年04月09日14:53

30 view

祈祷の験

疫病や災害などで、
一度くらい拝んだところで、届きはしない。
この辺を、なぜか自信を持つ場合がある。
しかし、かなわない。
一般的な祈祷は、千遍真言を唱える。それが、三日乃至四日かけるのが、普通で変あり、
それで験があるかどうかである。
しかも、この道の人は多いが、全くオリジナルな祈祷の仕方をしたりする。
よほど怪しい。
普通の祈祷でも験はあるかわからない。
それも、毎日勤め行うような人なら、あるかもしれないくらいだ。
そもそも、疫病や災害は意味や予定があって、という場合もあって、
神の決めたことなら、そうやすやすとは変えられない。
冥界の者が、量って、行われる。
毎日積み重ねるような人は、名簿にあって、避けられる。
そう考えるが、まさかの事もあろうし、名簿が見れない以上、
これ以上は言えない。
しかし、善を積む者は量られるのである。
そこで、罪を滅する、あるいは、解く真言などもあるが、
そうなると、一万遍も唱えなければならなかったりしよう。
それで助かるなら、勤める者もあるだろうが、
普通はできない。
確かなことは、山の偉い人が集まって行う祈祷よりも、
毎日精進する者の祈祷の方が、験があるだろうと、いうこと。
私も、瞑想をする者として、拝みもするが、
便利な験はない。台風を消したり、疫病を終息させたり、できない。
ひょっとしたら守られてるかもしれない、というぐらいである。
それでも、安心のためには、拝みもする。
自分だけでなく、自分の近辺が無事であるように、祈るわけだ。
この辺のことを、一度、よく考えるべきであろう。
1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを投稿する