mixiユーザー(id:48131024)

2020年04月01日18:26

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答え

いつからなのか分からない。
自我に執着していた。
過去を捨てねば、精神を戻さねば、
あの人を忘れねば、
そのように、自我に執着していた。
やがて徳が至った。
何となく、無常無我を思惟していた。
すべて捨てて、そう考えていて、
無常無我は、精神にも言えると、やっと分かった。
観てみると、実体がなかった。
お釈迦様の悟りに、自分だと思って執着している自我は実体のないものである。
これだと分かった。
そういうものなのだ。
しかし、ある程度の瞑想は必要だった。
そこがジレンマだ。
最初から捨てられていれば良かったが、あとから言える事。
徳が養われねば、ここには至れなかった。
しかし、至った。
何かが変わるかもしれない。
希望を灯そう。
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