どうにも分からなかった。
空とか実体無いとか悟って、
苦しみや死から、何かを見出せるのか?と。
色々勉強したり、瞑想を重ねてきたが、
楽にはなるが、答えは出なかった。
しかし、何となく分かった。
実体無いとか、空とかは知恵であって、
悩みや奥の想いに用いるものだと。
実体無いとか、空自体でなくて、用いるものだと。
苦しみや死の悩みなら、肉体や、欲する正体を、分明するものだと。
この実体無い、空とは、縁起に正対するものだ。
肉体や悩みは、縁起である。
縁起であるから、本は空であり、分明できる。
解くことができる。そうして、
知恵によって、煩悩を砕くのである。
それならば、事実は変わらない訳だから、
知恵にも用いる気も起らない。
つまり死に悩んでも、悩まなくなるとして、死は変わらない訳だから、
用いても変わらない。
つまり現実は変えられない。
そうなのだが、
それならば、死を恐れて過ごすのと、
死を恐れず、過ごすのは、どちらが幸福か?
第一、心の性質上、死を悩まず過ごすことは、
当たり前になされている。
しかし決まったように、独りになると、悩みが訪れるのである。
一日の内で、生産的なのは、悩まぬ方であり、快活である。
それに、執着を断った者は羅漢と呼ばれ、聖者に類する。
その境地は、やってみなければ分からない。
なってみなければ分からないのである。
仏教とは、必ず救いなのである。
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