解脱は、虚妄を離れるを解脱となす。
諸苦の因は貪愛心これ本なり。
あらゆる相は虚妄なり。
この辺の瞑想が深くできるようになれば、聖人の域であろう。
仏教家は貪り怒り愚痴を懺悔する気持ち良さを知らねばならない。
毎日の勤行は、滅罪生善の大事である。
懺悔文は、我昔所造諸悪業、皆有無始貪じん痴、従身口意此所生、一切我今皆懺悔。
要するに、悪業は、貪り怒り愚痴から来てます。今皆懺悔します。
というもの。素晴らしい文だ。
他にも、罪は霜露の如く、大日皆消尽すなど。
瞑想し、掃除し、勤行する。あとはあまり外に出なければ、
清い仏教生活である。
私は将棋を勉強したりもするが・・・。
将棋にも悟りがありそうで、今のところ無い。
瞑想が深くて何がいいか?
瞑想には可能性が計り知れない訳だが、
熟練すれば煩悩皆除滅す。
従って、充実この上ない。
騒がず、落ち込まず、怠けず、
充実し、何事もはっきりする。
意識も、しっかりしたものである。
安定の力。
将棋なども、強くなった気がする。
まあこういうものだ。
更に、相虚妄に至るほどには、
瞑想という強い味方がいるようだ。
心の主人となるのである。
心が主人では、それは違う。
性愛などにも、しっかり己を立てられるのである。
とは言え、このくらいのレベルでなければ、性愛に対処はできないようだ。
性愛に対処できるレベルならば、解脱は近い。
悟りは、苦しみの世を脱却するのである。
脱却して帰らず。
それが、仏教の目指すところである。
往生と言う。
解脱は、神の世界に至るほどなのである。
長くなりましたが、ご精進めされ。
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