mixiユーザー(id:48131024)

2019年11月19日17:03

75 view

僕の中道

僕にとっての中道は、
どこにも秀でたところを持たない。だった。
若い心が騒ぐ。
凡夫でありたくはない。
しかし、人と同じ。気持ちも分かる。
分かり合える。
凡夫と非凡、これはどういうことか?
凡夫はまじめ、真人間だ。これは、苦行のようだ。
非凡とは、快楽のよう。
結局、性質であろう。そして、我々はどこか繋がり、関わり合っている。
だから、凡夫であれる。そうでなければ、全然突発的な人間になってしまう。
これは中道であるから、これで終わりではないだろう。
私は、非凡を求め、凡夫を厭う性質なのだ。
もし我があったとしても、すべて、分解できるだろう。
分解できるなら、やはり諸法無我だ。
覚醒はそこにある。自我自身とは、仮のもの。
総ては無であり、こうあるだけだ。
解脱とは、すべてのバランスがとられること。
自我とは、苦しみであり、傾きである。
1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する