掃除や法事は、後である。
先に出家得道がある。
経書を前にして、学ばずとは、
井の蛙を持って、蛙知りたりと言うに同じ。
出家とは、俗を去る事である。
得道とは、捨て去る基盤を固める事である。
後、掃除や法事がある。
しかし、出家得道は、必ずしも掃除や法事に就かない。
あくまで、徳積みの課程なのである。
それを、掃除や忙しい時間管理と、法事で、我僧侶たり、我道を修めたり、
我仏家なり、と驕り耽る。
これ僧侶に非ず、道を修めるに非ず、仏家ならず。
ただの黄衣なり。
ただの坊主頭なり。
ただ衆に言わる。
否。
よって、案を建てる。
一つ、籠もれ、
時間は、大衆の前で過ごす。これ、修行に非ず。
布施の時と考え戒め改めよ。
一つ、虫を殺すな。
一つ、密行をせよ。
けして、我道の者と言うな。
なるべく孤独であれ。
また、瞑想に耽るべし。
経書があるのだから、研究には持って来いだ。
小僧なりと思うな。
俗物であれ。
仏と大衆と作業のみ。
必ずしも仏事に非ず。
これを仏事とせよ。
即ち、仏を存念し、大衆の前施すなり、と心得、
作業は徳積みなると、
総ては瞑想のため。仏果のためである。
仏果は涅槃なれども、三界超脱。無我と心せよ。
更に、多言無用。
生活、寂なれば、基盤成る。
このほど。
経書にふさわしいのである。
得たれば、龍の如し。
裨益して止まず。
心せよ。
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