mixiユーザー(id:4768494)

2020年01月24日18:30

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<世界は略語であふれてる>

私は頻繁に利用される言葉ほど、略語で使われると思う。言い換えると、略語で呼ばれる、あるいは呼ばれた物が世の中に広まっている、あるいは広まったと言うことができよう。

例えば、携帯は携帯電話の、ガラケーはガラパゴス携帯電話の、スマホはスマートホンの略語である。英語では、I'mはI amの、I'llはI willの、It'sはIt isの、Let'sはLet usの、isn'tはis notの、aren'tはare notの、RIPとR.I.P.はラテン語のrequescat in pace(日本語で"安らかに眠れ"、キリスト今日の墓に刻まれる言葉)の省略形である。しかし、am notの省略形は存在しない。このことは何を意味するのだろうか。また、アメリカの表では、該当なしの部分にn/aと書き込むが、n/aはnot applicableあるいはnot availableの略語である。数学の世界は、s.tはsuch thatの略語である。

さらに、身近な物や身近だった物の例を挙げると、テレカはテレホンカードの、国鉄は国有鉄道の、ファミコンはファミリーコンピュータの、テレビはテレビジョン及びテレビジョン受信機の、radioはradiotelegraphyの、秋葉は秋葉原の略語である。

料理名でも、ペペロンチーノはアーリア・オーリオ・ペペロンチーノの、天丼は天ぷら丼の、天重は天ぷら重の略語である。

コンピュータの名前の場合も、身近なコンピュータほど略語で呼ばれる傾向がある。マイコンはマイクロコンピュータの、パソコンはパーソナルコンピュータの、オフコンはオフィスコンピュータの、ミニコンはミニコンピュータの略語である。一方で、多くの人にとっては身近な存在ではないメインフレームの略語は存在しない。

人間はどこか手抜きをしたがる傾向がある。それが言葉にも適用されているのではないでしょうか。そのため、略語は日々、暮らしの中で生まれる。そして、生まれた言葉が、暮らしの中で定着することもあれば、定着せず消えてしまうこともある。世界は略語で満ちている。そして、略語がジェネレーションギャップの一つの原因となりえる。新しい略語が溢れている時代を生きることは難しい。そういえば、データを圧縮する場合は、頻繁に出てくるデータの部分を圧縮した方が、圧縮効果が大きいと聞いたことがある。実際、テレックスでは利用している。
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