8年前の1月18日はフィリピンの田舎町にいました。
温泉のあるマイニット村に向かうジプニー(現地のバス)が途中でパンクして修理に時間がかかったけど、小さな集落で楽しい出会いも。
マイニット村ではプールのあるゲストハウスに泊まりました
歩いて行ける共同浴場にも入りに行きましたよ。
風呂の中で体を洗う人もいれば洗濯する人もいて、不潔感満載でびっくりしたけど、これも文化なのね。
*************************
6年前の1月18日はミャンマーからタイに移動した日。
10日ほどミャンマーを旅したのは落ちそうで落ちないゴールデンロックと、
世界一高い鉄道橋「ゴッティー鉄橋」を走る列車に乗りたかったから。
ミャンマーの次はお隣のラオスに行こうと思っていたけれど、日本人は国境を通過できないので、タイを経由してラオスに入ることにしました。
ここはゴールデントライアングルと言われ、ミャンマーとラオスとタイの国境が交わっている場所。
ミャンマー側の国境
徒歩でタイ側の国境へ
私は翌日のラオス行きを楽しみにしながら、タイ北部の「チェンライ」という村に泊まることにしました。
この村には立派な温泉があり、宿に荷物を置いて、レンタルバイクで向かいました。
温泉プールもあるけれど、私は個室の温泉でのんびり。
温泉を出て、看板の前で写真を撮ってもらったのですが・・・・
この写真を撮った後の記憶がありません
19歳の男の子が運転する車がカーブを曲がり損ねて、温泉施設エリアに突っ込んで・・・・。
たまたまそこにいた私は、
事故に巻き込まれたのです。
バイクの後ろに、たぶん、はねられた私が横たわっているのだと思います。
はねた車も結構ダメージを受けていました。
温泉に入っていた
現地に住む日本人が、ただならぬ音を聞いて駆けつけてくれて、救急車を呼んでくれたそうです。
そして、運ばれた病院の医師は、
日本で医学を学んだ人でした。本当に
運が良かった!
右の足首とすねがバラバラ。太ももからは骨が飛び出し、骨盤も真っ二つ。右ひじにヒビ。右肩も粉々。
右半身、7か所にダメージを受けました。顔にも傷が・・・。
気が付いたときは病院のベッドで、点滴や輸血や、おっしっこにつながるもの、チューブだらけ。
ドクターが、「出血が多すぎて、
かなり危険な状態だったけど、目が覚めて良かった。」と言ってくれました。
生死をさまよって、やっと目覚めたのに、血だらけの自分の体を見てまた気絶。足が自分のものとは思えないくらいおかしなことになってましたから。
自分の身に何が起きたか全くわからなかったけど、その時は、すぐに起き上がって日本に帰れると思いこんでいました。強力な鎮痛剤を投与されていたから、骨がバラバラだなんて認識がなかったんですよ。
あれから、6年間、ずっと痛みとの闘いで、本業の鍼灸クリニックも再開できないまま。
「神様は乗り越えられない試練は与えない。」と、今でも自分に言い聞かせて、
生死をさまよったのに、ちゃんと歩けるようになっただけでも感謝しないとな。
一寸先は闇
自分だけは大丈夫・・・なんてことはないからね。
事故に遭って一年後の日記はこちら。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1937757064&owner_id=476810
あらためて読み返しても、自分の日記なのに、泣いちゃう。ほんと、頑張って来たし。たくさんの人に助けてもらったから。
ログインしてコメントを確認・投稿する