mixiユーザー(id:4763004)

2020年01月30日00:53

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文學的な鬱と、現実的な鬱(フェイスブックの鬱コミュニティーに寄せて)

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鬱というと、近代以降の、文學的な、高邁な思索、存在を問う根源的思索、などのイメージがありますが

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実際に鬱になってみると、あんまり高尚さはなくて(笑)、

運動不足、加齢、不規則な生活で体重が増加したり

かたづけられないので、雑然とした部屋でぼーっとしながら、片付けなきゃ……と反芻したり

恋をするゆとりがないか、あるいはゴタゴタするか、

だらしなくなって、身なりが保てなくてあんまり文學的じゃないし

おふろに入れない、衛生を保てない、くさいと言われる、なんてもう文學的とはとてもいえなくて

高邁な思索ならまだしも、雑用的、卑近的なちょっとしたことがいつまでも悩みの種で

決断困難でループする思考
あんまりわかってくれない周囲

いやほんとかっこよくないのが泣けます。
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コメント

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