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2020年01月27日19:13

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黒橡町 2

まだ夜は早くて、先斗町はこれから、という感じだった。メグと私は大通りに出てタクシーを拾った。メグが

「黒橡町まで」

と告げる。

運転手さんが

「え?」

と言う。

メグは私の方を見て笑った。

「私も知らないよ?何処にあるの?」
「知らない事が良い事もあるんだよ。WHO」

「南の方やったですかねぇ?」

と運転手さんが訊いた。

「そうでーす」

とメグが答える。

烏丸通を真っすぐ南に下って、何処なのか分からない駅を通り過ぎた所でタクシーは停まった。料金は二千円だった。私は、今度は強引に濃紺のLoeweの財布から金を抜き出して払った。

「もう」

とメグは言い

「よし行くか」

と言って近くの並んでいるイズミヤと業務スーパーに入って、テキパキと何かの具材とポップコーンとコーラを買い、買い物袋をぶら下げて空いた手で私と手を繋いでくれた。

またとても冷たい手だった。

「ちくしょう」

とメグは突然言った。

「どうした??」

と私は驚いて訊いた。

「綺麗な女はね、ちくしょう!って言わなきゃならない。知らない?そういう詩があるの」
「知らないなぁ」
「私はあんまり綺麗じゃ無いけどさ。でも綺麗になれたらいいのに、って思うよ」
「メグは超美人だよ?」
「そうかなぁ?」

真顔でそう言うとメグは自分の髪を両手でくしゃくしゃにした。

私は京都市内でも全く知らない場所を歩いていて、此処が京都なのか何処だか皆目見当がつかなかった。

黒橡町・・・そんな地名が京都にあったのだろうか?

在るのだろう。

メグがそう言っているのだから。

町は良い感じに古色蒼然としていた。そんな中にも新しい住居が点在している。一見すると京都の様な感じだが匂いは何だか京都から随分離れた場所に来てしまったような錯覚に捉われた。通りに老舗らしき和菓子屋があって、苺大福を特売で売っていた。

「ちょっと待ってて」

とメグは言い、駆け足で和菓子屋に入ると、顔見知りなのか主人の老人と談笑しながら、苺大福を幾つか買って帰ってきた。

「お待たせ。美味しいんだよ?ここの」
「美味しそう」

私は頷く。

食べ物は一緒に(食べる)人だ。それに因って味は著しく変容する。

もう黒橡町に入っているのか、入っていないのか分からないが夜がとても似合う町の様な気がする。

メグの家は歩いて直ぐの所にあった。中々新しい10階建てのマンションだった。入り口の所に初老の管理人さんが居てメグを見ると

「あれメグちゃんお友達なん?」
「うん。これからパーティするんだ」
「ほーええねぇ」

と莞爾とした。メグは大きく左手を上げて挨拶し、エレベーターのスィッチを押した。三階で降りるとエレベーターから程近いドアの前でメグはダウンジャケットのポケットに手を突っ込んで鍵を取り出して、ドアを開けた。


「どうぞ」
「うん。お邪魔します」

私はMargielaのブーツを脱いで、メグの家に上がった。

メグもAlexander McQueenのスニーカーを脱ぎ捨てて、無造作に部屋に入る。ライトを移動しながらぱちぱち点けて行く。

突き当りは広いリビングになっていて、リビングの横にも部屋があった。パソコンのディスプレイが数台、電源が入りっぱなしで点いている。キッチンの隣は和室になっていた。大きく、良く整頓されたキッチンだった。巨大な冷蔵庫が目を引いた。メグの家は見た限りでは、広さの割に物は驚くほど少なった。

「物少ないんだね」
「物あると色々不便でしょう。大切なものは失くした時に困るから。あと私引っ越し貧乏なんだ」
「メグはデイトレーダー?」
「・・・のようなものかな」

そうなのか、と私は初めて知った。

メグは何処で生まれたのだろう?

「メグは京都で育ったの?」
「違うよ。ニュージーランドのテ・アワムテゥ、って街で育った。オークランドから二時間位の所かな」

メグは上着を脱いで、腕まくりをして、買った物を冷蔵庫に放り込んでいる。

「両親は?」
「父親はロサンゼルス、母親はローマ」
「へぇ。何だかすごいんだね。国際的」
「私はおじいちゃんとおばあちゃんに育てられたんだ。二人とも健在で倉敷に居るけどね。でも大分一人暮らしが長いな。あ、牡蠣食べられる?」
「オイスター?」
「うん」
「うん。大好物だよ」
「よっしこれ飲んで待っていて」

とメグは言って、冷蔵庫からエビスの缶ビールをくれた。

「見ていてもいい?」
「料理を?」
「うん」
「詰まらないよ?」

構わない、と私は言った。メグはきっとそんなに胸は大きく無いのだろうけれど、腕まくりをして、台所をテキパキと動く姿はとてもセクシャルな感じがした。まぁ胸が大きいか、小さいかだけで性的な魅力は判別できないが。

メグは青梗菜をささっと洗って六等分に切った。根元の土を落として、ボウルに身を浸した。コンロで熱湯を沸かし、塩とごま油を入れて、銀杏とユリネを一枚ずつ剥がして入れ笊にあげた。同じ鍋で青梗菜を軽く茹でて、水気を切る。

中華スープ、生クリーム、無塩バター、砂糖、塩、胡椒を鍋に入れて、沸々するまで煮た。良い甘い香りがする。水溶き片栗粉それに更に入れてとろみが出るまで煮る。水気を切った牡蠣を取り出し片栗粉と塩を振って丁寧に揉んでそれを流水で洗う。塩と油を加えた熱湯で牡蠣を一分程下茹でして笊にあげて、しっかりと水分をきって軽く小麦粉を薄くはたく。

私はメグの動きが余りも華麗なので思わずライカの50ミリの単焦点のズミクロンで何枚かメグの料理姿を撮った。メグはおどけてピースしてから

「恥ずかしい」

と言って微笑んだまま作業をこなしている。

最後にフライパンに牡蠣を敷き詰めて両面焦げ目が軽くつくまでしっかり焼く。それをメグが最後に野菜と牡蠣の上にクリームソースをかけ、綺麗に彩られた美味しそうな牡蠣と青梗菜のクリームソースが完成した。私はそれを見ただけでビールが進んだ。

「食べよ?」

とメグが言い、台所の奥から獺祭という日本酒を取り出してきた。

「牡蠣にはねぇ白ワインより、日本酒だから試してみて?」

そう言って私とメグはリビングの小さな長い真っ赤なテーブルに行き、対角線に座った。

「食べて?簡単な物だけれど」

一口食べる。牡蠣の芳醇な甘みと触感が染み渡る。お猪口で獺祭を一口飲んだ。美味しい。白ワインじゃなくてもこんなに合うんだ。

「メグは何処で料理を覚えたの?」
「何となくだよ。本とか適当に読んでてさ、これはローマの店で盗んだ。パンテオンとテレべ川の間くらいにペール・メ・ジュリオ・テリオーニって梔子色の内装のお店があってさ。そこのご飯が割と美味しいんだよ。だから見て適当に盗んだ」
「すごいね。レストランで食事しているみたいだ」
「そうかなあ」

と言ってメグはクスッと笑った。

はて、私はメグと逢うのは何回目だろう?二回目だろうか。三回目だろうか?

いつもお互い殆ど会話らしきものはしない。会話の多さに批准して、逢っている事を認識しているのだろうか?ううん。違うね。メグは空気の様だ。

ナケレバナラナイモノ。

二人で並んで延々京都を歩く。私は時々メグを撮り、興味のあるものを写真に収める。メグは無言で何かを考えているのか、いないのか、ポケットに手を入れて、携帯も見ずに、私と並行して世界を行く。

私はメグに守られている錯覚に陥る。

いや、実際守られているのだろう。

メグはそういう不思議な包容力を持った女の子だ。

「私ね。いつも独りだけれど、独りになるのがとても怖いの。でも独りじゃないとダメになっちゃう様な気もする。でもメグと居るとさ。二人なのに静かに一人で安寧して居れる様な気がするんだよ。不思議」
「それはフィリアかしら?」
「友愛って事?アガペーかもしれない」
「アガペーって何だっけ?」
「無償の愛って事」
「プラトンか」

私とメグはまだ映画も観ずに珍しくちょこちょこお酒を飲みながら話しをしている。大きな液晶画面が鎮座していた。洗濯物がベランダに干されている。カラフルな下着が見える。メグのブラジャーを見ながら、嗚呼メグって案外おっぱい大きいのかもしれないなぁ、と私はどうでもいい事を思った。

メグは両手を頭の後ろに組み、白い項を私に見せた。刈り上げた黒髪と地肌が少し暗い調光の下で見える。

「メグは哲学も分かるの?」
「全然。ローレンツ変換は分かっても、リバタリアニズムは分からない」
「ジョン・ロールズとロバート・ノージックだよ。リベラリズムは巨大な政府を、リバタリアニズムは極小な政府を目指す。私は相対性理論が分からない」
「解っても仕方が無いよ。それにWHOならきっと解るよ。私でも何となく理解しているのだから。私は三次元の宇宙空間では説明出来ない高次元の宇宙論を勉強していた。私達が知覚できない、第四方向からの重力問題。そうすると相対性理論には若干方程式の修正が必要になってくる。ブレーン宇宙論っていうのだけれどね。分かる事してても詰まらないでしょ?やれない事やらなきゃ・・・でも・・・私見てよ?ただの飲んだくれじゃん。今夜泊っていくでしょう?」
「え?いいの?」
「勿論」

そんな問答をしながら牡蠣のソテーを私は殆ど一人で食べてしまった。

二人で苺大福を食べながら、メグはリビングの片づけをして、私は洗い物をした。

生活音が二人分淡々と流れる空間は素敵だった。

メグはリビングに和室から布団を持ってきてテレビの前に敷いた。

「枕・・・枕・・・いっか!!」

とメグは言い、その場でComme des Garçonsのワンピースを脱いで、露草色のブラジャーを取った。空調が効いていて部屋は暖かい。メグの乳房はとても形が良くて予想以上に大きかった。メグはパジャマに着替えて、私の分を出してくれた。

「化粧とか落とす?お風呂は?」
「大丈夫」

私は言った。

「私も面倒だから明日でいいや」

とメグが笑いながら言った。

私も黒のJil Sanderワンピースを脱いで、メグに貸してもらった黒と白のチェックのパジャマに着替えた。

「コーヒー&シガレッツ観る?」
「ジム・ジャームッシュ?」
「そうそう」
「観る」

そう言って私達は二人でコーラとポップコーンと毛布を持ってリビングで二人重なる様にして横になった。後ろに居るメグが手を伸ばしてポップコーンを取る度、優しく私を抱いている様な錯覚に捉われた。

「煙草吸いたくなるんだよね。これ観ると。とっくに止めたのだけれどな」
「私も」
「コーラじゃなくて、珈琲も飲みたくなる」
「なるね。明日は珈琲行こうか?煙草買って」
「それもいい」

メグと居るという事は生命を謳歌する、という事の予行演習・・・否、それを実践しているかのようだ。

私はメグの温もりに抱かれて、早くも白河夜船だった。メグ、という温もりが私に睡眠を促す。

私はいつの間にか寝てしまった。

うつらうつらして、誰も居ない気配で目を覚ますと、まだすっかり夜で、メグが一人でベランダに居て、ビールを飲んでいた。部屋は暗めのダウンライト一つで、夜空の方が明るかった。メグの横顔が目に入った時、メグが涙を流しているのが見えた。私はゆっくり起きて、パジャマだけでベランダに出た。

「・・・起こしちゃった?」
「ううん」

そう言って、私はメグに並んだ。メグは自分の着ているダウンジャケットを私にそっとかけてくれた。思ったより、外は寒く無かった。「メグは?寒くない?」と聞くと、メグは静かに首を横に振った。

「どうして泣いているの?」
「・・・どうしてかなぁ」

メグは少しだけはにかんで笑った。

「幸せ、だと今思っちゃったからかな。ほら、大切なモノ・・・怖いんだよ・・・」

今度はどこまでも寂しそうな顔でメグはそう告げた。

「こんな夜はいつまでも夜が明けなければいいと思ってしまう。黒橡町はそういう場所なの」

私はベランダの欄干に凭れて、メグと腕を組んだ。メグは時々ビールを飲んで、それから少し涙を零した。

「夜が明けたら・・・明けてしまったらこんな気分ではなくなるのにな」

私は黙って聞いていた。

心地良い言葉のリズムだった。

メグは自分だけの言語ゲームはしない。寡黙だがきちんと私に分かる様に言葉を発してくれる。

「寝よう。朝が来る」

メグは静かにそう言った。そして今度は声を出して泣いた。



私は鴨川に立っている。

彼や彼女達が相変わらず等間隔の法則で並んでいる。

私はDries Van Notenの、冬の日本海色のコートを着て突っ立っている。

メグを真似て何も持たずに散歩に来てみた。

携帯も持たず。ナプキンも、口紅も、ティッシュも何も持たず。

左側の髪が重い。風が強く吹いている。

後ろから誰かが声を掛けてくれるような錯覚に陥る。

けれど誰も来ないし、誰も居ない。

宵闇が迫っている。私にはちょうど良い明度になる。

メグは今頃何処に居るのだろう?

私は私を生きている。

メグは・・・メグはメグを生きているのかな?

きっとそうだろう。

私の知っているメグは賢くとても強くそして儚い。

この宵闇みたいに。

男女達が相変わらずタイムラインを世界に流す。私はそれを見ている。知らないうちに誰かの撮ったスナップで私も世界に流れているのかもしれない。

皆有名になりたがっている。

コストなんて関係ない。

「社会の皆が一緒になってその社会状態を選ぶなら社会全体にとってもその状態を選ぶのが望ましいと判断しなきゃならない・・・か」

パレートの原理。リベラリズムの原理。自由主義のパラドックス。ネオリベラリズムへの移行。そしてその顛末。貧富の差、格差社会、ブランドなんていらねぇ。

Dries Van Notenのコートは重い。

私は死ぬために生きたい。

トートロジーかもしれないけれど、生きているってそんなカオスな事じゃないか。

「メグ、今日も黒橡町にメグの好きな夜が来るよ」

私は夜に飲み込まれそうになりながら一人で小さく呟く。

今日もまた。



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