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mixiユーザー(id:4677595)

2019年11月14日00:06

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サン・ペドロ要塞

1738年に築かれたサン・ペドロ要塞はマニラのサンチャゴ要塞と並ぶ古い要塞。小規模の要塞だがもちろんスペインが築いたもの。
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今は周囲は公園になっており、平和そのもの。中庭では貸切でバースデーパーティーがされるようだ。
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ここで面白かったのは小さな資料室があること。
始まりはいつものようにマゼラン。
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彼は1521年4月15日にセブ島に上陸した。
上陸した地域の支配者(Kingとされているが、実際は酋長に近い)は盟約を交わしてマゼランの軍門にくだった。
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他にもセブ島の酋長は次々とマゼランに降伏する。人数は数十人だが銃を持っているからね。
そしてキリスト教の布教
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4月21日にマゼランは目と鼻の先のマクタン島に上陸する。
ここの酋長がラプラプ
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彼だけは降伏せず、マゼランと徹底的に戦う衝撃
そしてマゼランは戦死し、ラプラプはポルトガルの撃退に成功した。

この後、マゼランの残党は航海を続け、翌年1隻(出発時は5隻)10名余がポルトガルに帰り着いて世界一周地球を達成する。
一方のラプラプは祖国を守った英雄として19世紀後半のリサール、ボニファシオと並んでフィリピンの3大ヒーローとなった。
今も大人気であちこちに像はあるし、ラプラプ市というのもある。
セブ島の他の酋長は英雄になりそびれたねげっそり

考えてみれば、マゼランやその後スペインの植民地を確立したレガスピもいろいろなところに像がある。自分の住んでいる地区の名もレガスピという。
侵略者なのに、それほど憎まれていないのはちょっと変わってるなぁ。

要塞を簡単に一周してセブ市のプチツアーおしまいend
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コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年11月14日 02:26
    マゼランという名はもちろん知っていながらも、歴史的なことはほとんど知らないようなおぼろげのような…
    そして、ラプラプさんは知りませんでしたあせあせ
    学生時代には興味なかったことでも、実際にその場に出掛けることで改めて知ったり、思い出したり、自分で調べたりするので、こういうお出かけは悪くないなぁ〜って思いますウッシッシ

    10名でポルトガルに戻ったのも凄いなぁ・・・
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年11月14日 10:04
     欧米の侵略者は、女性は侵して混血児を生ませる。混血児が多くなって、侵略者を憎むことができなくなるのでは?ペルーがその典型。日本人はおとなし過ぎた?
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年11月14日 17:04
    > mixiユーザー 
    ラプラプはほとんどの日本人はセブ島にバカンスに来て知るような気がします。知らないで帰る人も多いかなあせあせ
    そういえば去年センター試験の地理や歴史を解いてみましたが、かなりいい点が取れました。もちろん受験用知識ではなく、海外出張時に遊びまわっている役得です。おでかけバンザイです \(^o^)/

    マゼラン艦隊の生き残りはすごいですよね。望郷の念で一心不乱に帰ったのでしょうが、優れたリーダーが他にもいたのでしょうね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年11月14日 17:09
    > mixiユーザー 
    中南米のメスチソなんかはいい例ですね。南アのボーア人とかもそうですし、本能的な面はあるでしょうが戦略的にもやっていたのでしょうね。
    日本より欧米のほうが何枚も上と感じます冷や汗
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年11月15日 07:13
    香港で防弾チョッキ着てるのかどうか知りませんが銃相手に立ち向かう学生たちを見るとかなり衝撃的です
    ラプラプも何人か撃たれれば盲蛇ってことはないでしょうから相当な勇気ですよね
    マゼランが戦死するくらいなので相当な激戦
    弓矢で押し返されるなんて思いもよらなかったでしょうね
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年11月15日 11:23
    初めて鉄砲見たらそりゃ怖いですよね。ふつう戦意喪失しそうなものだと思います。
    人海戦術だったのか、兵法だったのかラッキーだったのか知りませんが、すごいことです。部下も恐れずに突っ込んだのでしょうから、ラプラプには高い人望があったのでしょうね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年11月15日 12:53
    > mixiユーザー 
    ウィキペディア先生によるとなかなか興味深い戦争でした(日本語版は王国ってなってましたが英語版ではkingdomとrajahnateが使われてました)
    サンゴ礁などにより近づけず母船の大砲が射程外
    ボートにより少数精鋭で島に向かうが
    ラプラプ側も大軍で待ち構えてて
    恐怖の余りスペイン側が射程外のうちに発砲
    早い段階で弾切れになり白兵戦に移行
    防具の無い脚部を狙われ圧倒されたようです
    マゼランを残し半分以上がその場を脱出するも臣従してたはずのセブ島側の裏切りにあいその後多くを殺されたようです
    スペイン人の記録によると49対4500人(1500人て書いてありますがそれが3部隊と書いてあります)みたいです
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年11月15日 18:40
    > mixiユーザー へぇ〜、おもしろいですねわーい(嬉しい顔) 4500人も動員できたのかしら?ってちょっと訝しみますが、いずれにせよ人数の差は圧倒的だっただろうから白兵戦になった時点で勝負ありですね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年11月15日 20:12
    > mixiユーザー 
    圧倒的な兵力差に対してマゼランはコルテスを引き合いに出したそうです
    面白いのが甲冑は機能していたようで矢の雨はものともしなかったようです
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年11月15日 21:30
    > mixiユーザー 鉄砲が生きていたらですよね。

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