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2019年11月17日09:17

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ドロシー・ダンドリッジの話・その2


 というわけで、「その1」を別のSNSに書いたのが、1週間くらい前。 そのあと、彼女の歌をもっと聴こうと調べた。 現在入手可能なCDは1枚しかなかったので、それを注文した(→Smooth Operator, Verve=Polygram 1999)。
 聴きながらそのライナーノーツを読んで、大昔の話なのに、胸が痛んだ。
 彼女のことを、美貌に加えて、ジョービズで磨いた上品なお色気と、そしてattitude(強気の気構え)の持ち主だと先に書いたけど、それは観客やファンに見せるために、彼女が作り上げた仮面の記述にすぎなかった。

 戦前に、ニコラス・ブラザーズのハロルドと結婚して、生まれた娘さんに脳障害があったことも、彼女が抱えた重荷の一つで、それで精神的に不安定になったという面もあるようだ。
 しかし、それよりも何よりも、ナイトクラブ歌手として暮らすしかない彼女にとって、お客の前でのパフォーマンス自体が辛かった。

 「批評家やお客は何も知らなかったが、観客のまえにナマで登場することを考えるだけで、不安にかられたダンドリッジは平静を失い、パニックにおち入り、嘔吐し、ときには過呼吸になった。 
 ナイトクラブのことをつねに「サルーン(酒場)」と呼んだ彼女は、タバコの煙や、飲酒や、演奏中のおしゃべりや男たちの視線、そしてとりわけ自分がそう見られている性の女神のイメージそのものが大嫌いだった。
 『かれらはわたしのことを、セクシーだ、セクシーだっていい続けるのよ』と、ダンドリッジは友人のジェリー・ブラントンに語っている。 『でも、わたしは、自分がセクシーだなんて、ぜんぜん感じない。 そんなふうに見るのは、やめてほしいと思う。』」(Donald Bogle のライナーより) 

 歌手としての力量は明らかなのに、彼女のレコーディングはわずかしかない。
 このライナーのついたCDの収録曲の多くは、ノーマン・グランツが、オスカー・ピーターソンのコンボをバックにつけて、いわゆるジャズのスタンダード曲を歌わせたもので、しかし、ヴォーカルが insecure(不安定)だという理由で、おクラになった。
 たしかに、上手いのはわかるけど、ボーナストラック的に入っている別の伴奏の数曲、とりわけクライド・オーティス作のR&B曲、「Smooth Operator」のような輝きはない。 
 この曲の「チャー・チャ・チャ・チャッチャ・チャチャチャ、それが好きよ」と歌うくだりの闊達さなど、まさに、ナイトクラブ歌手の面目躍如だ。
 でも、思う。
 彼女はたぶん、グランツからヴァーヴに吹きこむようにいわれたとき、自分が作り上げてきた、そういうナイトクラブ歌手の仮面を外していいと思ったのだろうと。
 これはアートなんだし、バックはオスカー・ピーターソンなんだし、セックスシンボルなんかやめて、不安な自分をそのまま出して歌っていいんだと。
 そう思いながら聴き返すと、胸が詰まる。

 人種を超えた恋愛でも、彼女は大きく傷ついた。
 映画『カーメン・ジョーンズ(カルメン)』で、黒人女優としては初のハリウッドの大立者になったものの、そのあと役に恵まれず、嫌いなナイトクラブへ逆戻り。
 だめ男と結婚し、そいつのビジネスに投資して破産。 
 ニューヨークの Basin Street East での公演で再起をはかる直前に(1965年9月)、ハリウッドの自室で孤独死。
 死因は、抗うつ剤の過剰摂取だった。 享年44歳。

 これが1970年代以降なら、人種をめぐる状況もけっこう様変わりしたし、また、彼女が抱えたセックスシンボル問題をめぐって、役に立つフェミニストカウンセリングを受けられたかもしれない。
 とにかく、これだけきれいで天分に恵まれた人が、そんなふうな人生を送らなければならなかったと知って、これも注文した『カーメン・ジョーンズ』のDVDをもう、無邪気に観ることはできなくなったなと思う。


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