mixiユーザー(id:4638795)

2019年10月20日09:56

206 view

mixiニュースから 献血の思い出

覚書き。

大学時代から就職したての頃は、献血が生きがいみたいになっていて(自己肯定感がきわめて低かったので、なにか社会貢献できるコトが無性にしたかった)、定期的に献血ルームに通ってました。
昭和から平成に代わった頃で、当時は全血献血の200mlは1回、400mlは2回、成分献血は3回でカウントしてました。
当初は全血400mlで献血してたんですが、400mlやると次回献血までのお休み期間を、長く取らないといけなくなるんですよね。

当時通ってた名古屋・星が丘献血ルームに成分献血の採血装置が導入されたのと、私とHLAが適合してる患者さんがいて、定期的に輸血の血漿成分が欲しいとかで、日赤から、成分献血の協力のお願いがありまして、成分献血に変更しました。
何度が成分献血に定期的に通ってる間に、そのうち患者さんの血漿成分輸血のスケジュールにあわせて、この日に献血に来て貰えないかというお願いの電話が、職場にかかってくるようになりました。
当時、まだ携帯電話は普及してなく(あるにはあったが、ショルダー型。むっちゃ料金が高く、シャチョーさんしか使えなかった)、急な連絡は職場の固定電話に入れざるを得なかったので、職場でのプライベート通話には、当時は現在よりも寛容でしたね。
職場に関係する方で、多分手術する事になったと思うんですが、自分と同じO型の輸血が必要との事で、O型の人の献血協力のお願いが職場に来たときには、全血献血しちゃうとお休み期間が長くなって、血漿成分輸血の採血スケジュールが狂うので、私は献血協力しないで欲しいと、日赤から懇願された事もあります。
HLAが自分と適合してる白血病の患者さんがいるならと、骨髄移植のドナー登録を考えたんですが、母が半狂乱になって猛反対。
一人息子の私を溺愛してまして、骨髄移植のリスクがゼロと言い切れない以上、絶対に認めないと、泣き喚きました。
ドナー登録には、当時肉親の同意が必要だったので、断念したいきさつがあります。

白血球が体質的?に低く、いつも献血できるギリギリの数値だったので(何回に1回は、白血球数が基準値に達してなくて、献血できない事もありました)、中村日赤まで相談に行った事があります。
相談に乗ってくれたDrは、小寺先生。
後に、中村日赤の小寺先生は、白血病の骨髄移植で、世界的に権威のある、とんでもない偉い先生である事を知りました。
検査した結果は、異常ナシ。
数値低くても、採血していいですよ。
星が丘献血ルームのナースさんにその事報告したら、「小寺先生には逆らえませんから」と、初老のナースさんは、苦笑いしてました。

トータルで献血回数100回を超えまして、50回に功労の銀盾、100回に金盾が日赤から贈られてきました。
自己肯定感がものすんごく低かったので、こんな自分でも社会から必要とされてるんだと嬉しく、実家に飾ろうとしたんですが、母が献血を感情的にものすんごく嫌がっていて、銀盾と金盾、折角日赤から表彰されたのに、母はしまいこんでしまいましたです。

93年にうつ病を発症、向精神薬を飲まないといけなくなったので、献血回数はそこでストップしてしまいました。
うつ病になってなかったら、今、献血回数、どこまでいってたかなあと思います。
間違いなく、新聞社が取材に来て記事になるような回数になってたんじゃなかったかと・・・・・・。

たくさん献血に行くと「素敵なグラス」がもらえる制度が話題に 「初めて知った」「綺麗」「聖杯欲しい」
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=128&from=diary&id=5832499
3 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する