mixiユーザー(id:46062987)

2019年12月11日07:41

203 view

知らない事と知りたい事と知ろうとする事

私はと或る親子と御話した。
日本語は分からないらしかった。
英語は少しだけ分かると。
後は二つか三つ位の言語を混ぜて話して居た。
フランス語か南アフリカ語かスペイン語かオランダ語か…分からん…。
 
私も別に英語が堪能な訳ではない。
寧ろ多言語が入り乱れた感じで、英語だけに絞るのは逆に難しい。
コレコレは何々語の単語・フレーズ、という風に覚えなかったので混ざり易い。
単純なマルチリンガルというよりは、コオーディネイト・(等位)マルチリンガルにコンパウンド・(複合)マルチリンガルが足された様な感じ。
ポリグロットなの。
 
私が話し掛ける事が出来たのも、その親子が幾つかの私の知る言葉を話して居たからかも知れない。
 
私は別れ際に訊ねられた。
日本語では多分、こんな感じの事。
「貴方は普段だと何語を話してるの?」
 
然う、「話せるか」ではなく「話すか」だった。
「何処の国の人か」でも当然なかった。
 
出来る/出来ないではなく、する/しない。
心を打たれた瞬間だった。
 
何かを知りたいと思った時、知る術が見当たらなかったとする。
然うしたら、諦める事が多かったのではなかろうかと、自問自答した。
多分、知りたいと思う前に、知れないから知りたいという想いにさえ至らなかったかも。
知ろうとする事は、知る事への第一歩だとは思う。
但それは、その前の知りたいという想いを芽生えさせる、その為の心の準備にも成ったのかも。
 
取っ掛かりは情報。
それを情報と受け取るか、偶然の産物と流すか。
偶然の産物に情報の錯覚を感じるか、抑、産物の有る偶然それ自体を探しに旅するか。
serendipityとも。
偶察力とも。
 
正しく、それを鍛えようものなら、そこに偶察力が必要という、メビウス・ループみたいな感じ。
そこに無限を見てみたいのは、私の確かな望みであり、目標である。
だからこそ、知ろうとする事で知らない事を見付け、それを知りたいと思い、再び知ろうと努めるのが私である。
それに気付かされた、と或る出来事。
6 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する