mixiユーザー(id:46047393)

2019年10月20日15:28

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ありがた迷惑

他人のために良かれと思ってしたことが実はその人にとってはしてほしくないことだった、という経験をいたことがあるだろうか
おそらく、するほうにもされるほうにもなり得るだろう
無論「誰でも」だ
俺なんかは、むしろこれらとの戦いの毎日、だったかもしれない、とさえ思うのだ
たとえば、旅行に行って旅館に1泊していよいよ帰ろうとしたときに[立つ鳥後を濁さず」とでも言わんばかりに、布団をたたんであるいは押入れにしまって帰るとか
トイレを借りたとき、トイレットペーパーのふちを三角形に追って出る、とか
自動車を運転してるときに、ありがとうという代わりにパッシングする、とかなどだ
旅館の仲居さんには忘れ物確認とシーツの洗濯のため再び広げなければならない、と二度手間、トイレの三角折りは清掃員が別の清掃員にこのトイレは清掃済みと知らせるため、パッシングはもともとトラック同士のサイン、普通の人がパッシングされてもまぶしいだけ
散々だ
俺はそうではありたくない
でも遠慮してると親切のチャンスを逃してしまうかもしれない
親切にしようとするとなぜか気後れしてしまうのもこのせいだ、ありがた迷惑だといわれたくないだけなんだ、気がつかないことが罪なのだ
すべからく人生とはありがた迷惑を受けたり感じられたり野繰り返しなのかもしれない、ここには書けないが昨日俺もちょっと受けた
でもいえない、いえるはずがない
面倒くさいな、他人を気使うって一体なんだろう
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