メランジュ月例会がなくなったので、投稿した文が活字になったものを確認していないが、筒井祥文違句集の句評に続いて彼の句の特徴をまとめたいと思い、途中まで書いたものを投稿した。続きはまだ書いていない。いずれ最後まで描き上げておきたい。とりあえず、投稿分をここに記す。
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筒井祥文の遺句集をひもときながら一句一句に、それこそ一喜一憂する形で句評を綴ってきたが、さて彼の句業全体をどのように受け取れば良いのか、ただ呆然とするばかりである。しかし、手をこまねいていても仕方がないので、とりあえず目に付く傾向から分類を始めてみよう。
まず目に付くのは発想の源としても落語の素養。落語研究会の部長を務め、高校卒業時に大ネタ「らくだ」を演じた逸話の持ち主でありながら、落語の道には進まなかった。しかし、その精進は川柳の中に生きていた。ただ、直接引用をするような野暮な真似はしないので、論ずることは厄介ではある。
めっそうもございませんが咲いている
何をおっしゃる別腹がございます
沖に舟あれどラッキョに義理はない
どれも落語の演目とダイレクトに繋がる訳ではない。三句目など、「品川心中」や「芝浜」を遠く反映させている雰囲気はあるが、具体的な手がかりがあるわけではない。
他方、落語を養分として培った語彙の蓄積は、慣用語句の転用というテクニックを生み出し、
ふくろうの視野にあいつの案の定
さてそこのざっくばらんな化石たち
ご破算で願いましてがごわごわと
さらには古典の引用
男ありけり真下から樹を見上げ
むべなるかモミジもカネも風に散る
と、彼の川柳世界を広げてゆく。
彼の本性がここにあるといえば、すでに本体が脱走ずみ。ルパン三世を捕まえたけれど、ぬか喜びに終わる銭形警部を、論ずる側は演じざるを得ない。最も目に付く落語の影響にしてからが、補足しにくいとあっては他の論点はなおさら論じにくい。
しかし、次に行こう。多様な韻律を駆使せんとする志向も彼の特徴として上げられるだろう。
水垢を水で洗えば佐渡おけさ
カッポレをちょいと地雷をよけながら
空瓶にすっと淡海節の風
など、七五調を基礎とする民謡、俗謡に対する関心は明らかだが、その関心の行き所が五七五の拡張を目指す。
五七五を拡張する場合、上五を肥大させる七七五の形、
なんだなんだと大きな月が昇りくる(時実新子)
下五を肥大させる五七七の形式
くちびるはむかし平安神宮でした(石田柊馬)
等、種々の詠法が考えられるが、祥文多用の形式は七五五のリズムで、
無い筈はないひきだしを持って来い
よそごとにして縁談を占わせ(西田當百)
などの先行句があることから、川柳では昔からあるリズムと思われる。
だが、先行句が無理すれば五七五と分類出来なくもないのに比較して、
何をおっしゃる別腹がございます
遺書の例文おもむろに笑い出す
せっぱ詰まればコウモリになってでも
どこへ行くのかライオンが歩いている
上5の切れ目に文節が来ず、七七五のリズムであると読み手が納得せざるを得ないものを獲得している。
(以下、次回)
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