沖に舟あれどラッキョに義理はない(筒井祥文)
筒井祥文川柳句集「座る祥文・立つ祥文」より。
舟がなくても、ラッキョに義理は生じないはずだ。辣韮ではなく、ラッキョであるところにも言い切りの爽快さがある。
「沖に舟」は数々の物語に彩られてきた。「安寿と厨子王」あるいは、
人買ひ舟は沖を漕ぐ とても売らるる身を ただ静かに漕げよ 船頭殿
の「閑吟集」。
沖の暗いのに 白帆が見える あれは紀の国 みかん船
とカッポレ。時代を下ると、阿久悠の「舟唄」。
哀惜にせよ、希望にせよ、舟は作中主人公の心中と繋がることで、世界と主人公の有り様を映してきた。そこに「ラッキョに義理はない」とやれば、しがらみを断ち切って新しい世界の門出に向かう人の姿が浮かぶ。幸あれ。
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