mixiユーザー(id:4597260)

2020年12月08日22:01

170 view

悲しみのジェットプレイン〜飛行機雲BYユーミン、飛行機投げBYアニマル浜口

〜陽水の「チエちゃん」って、、、、〜打倒キングコング〜
今日は、真珠湾攻撃の日だが、それとは関係なく、乗り物シリーズ「飛行機」

るんるんまず一曲「悲しみのジェットプレイン」   
https://www.youtube.com/watch?v=vlYHveipLps

ジョン・デンバー版よりピーター、ポール&マリーに方が良かったのだが。
フォークソングでは、「500マイル」とかTRAINはよく出てきたが、
この曲で「飛行機」が出て来て驚いた目

私は、国際便はおろか、国内でも久しく飛行機に乗っていないなぁ。

るんるんもう一曲「空の終列車 」ザ・スプートニクス1962年
https://www.youtube.com/watch?v=EWfV3vgz8XA

この曲も1966年頃、流行ったが、知っている人は少ないと思う。
ザ・スプートニクスって、ソ連の人工衛星の名前、ソ連のバンドか!?
いや、共産圏にバンドはないだろ?と思っていたら、スウェーデンとのこと。

カチンコ映画では、飛行機というより、「大空港」シリーズが印象に残っている。
第一作(左画像)は、中2の終わり(3学期)、渋谷、明治通りの「全線座」で
クラスのS水君と一緒に観た。特にこの映画が見たかったわけでもない。
「渋谷に映画でも見に行こう」ということになって、安い名画座と言ったら
全線座だったから。

続けて、75年の春には、『エアポート'75』、も劇場で鑑賞。
アランドロンの出た「同80」は劇場で観たような、それともテレビなのか、
ハッキリしない。

印象に残っている飛行機のシーンは、
1933年、エンパイアステートビルに登ったキングコングを攻撃する飛行機、
フォト
これ機関銃は装備しているが、別に戦闘機でもなかったようだな。

2017年「キングコング骸骨島の巨神」
この映画では、最初のシーンで、ヘリコプター部隊を蹴散らすコングが描かれている。
フォト
第一作のリベンジか!?

手(パー)話を変えて、日本のフォークソングで
「チエちゃん」井上陽水(作詞、作曲も)
https://www.youtube.com/watch?v=wSolsnfESGQ

♪ひまわり模様の飛行機にのり、夏の日にあの娘(こ)は行ってしまった。
誰にも「さよなら」言わないままで、誰にも見送られずに♪
♪ひとりで空に、まぶしい空に消えてしまったの?♪
これ、チエちゃんは、外国に行ったと解釈できるが、実は死んじゃった、
という説もある。

となると、ユーミンの「ひこうき雲」に近いなぁ。
https://www.youtube.com/watch?v=9HInQDjCCRc

ユーミンは他に「紙飛行機」という曲も好き。

あと、歌謡曲は飛行機と言うより空港で別れるというパターンが多い。

手(パー)中学1年の初めての文化祭、クラス展示では「飛行機」を取り上げた。
確か、飛行機が好きな男生徒が言い出し、みな、他に良い案もないので従った感じ。
今、考えれば他愛のないテーマなんだがね。
と言っている私が、今「飛行機」のテーマの日記を書いている(^^:

クラスで器用な奴が、ライト兄弟の初の飛行機に似せた大きな模型を
作り、展示の教室の中央に置いた。
フォト
それが結構、注目を浴びた。幅2mくらいだったかな?

あと、クラスの生徒で飛行機のプラモデルを持っている人、
数人がその周りに展示した。
無論、飛行機に関する文も模造紙に書いて貼ったが、飛行機の歴史とか
種類について百科事典や資料を丸写ししたと思う。

飛行機のプラモデルと言えば、車や船のプラモは、実際動かせるが、
本当に空を飛ぶ飛行機のプラモはなかったな。飾るだけ。

ゴム動力で飛ぶ飛行機の模型はあったけれどね。
フォト
無論、当時から飛行機のラジコンもあったが、高嶺の花だった。

手(パー)さて、漫画だが、少年雑誌では、ひと頃、戦闘機の漫画が流行った。
代表的な作品は、辻なおきの「0戦はやと」(少年キング)、
フォト
ちばてつやの「紫電改のタカ
だが、これらは私が本格的に少年漫画を読む前、64年〜65年に連載終了した。

その後、少年サンデーで『あかつき戦闘隊』68年〜69年が始まった時は、
最初、「今頃、戦記ものか!?」と思ったくらいだった。
フォト
そういえば、今日12月8日は「真珠湾攻撃」の日だな。
最初に書いたな。

私自身、そんなに旅客機に詳しいわけではないが、1970年代ジャンボジェットとか、
フォト
機首が折れ曲がっているフランスのコンコルドが話題になった。
フォト

プロレスでは「飛行機投げ」 アニマル浜口の現役時代の得意技。
これ、1970年くらいまではフィニッシュホールドになっていたなぁ。

ハイジャックバックブリーカー
フォト
ドン・レオ。ジョナサンの決め技だが、元々「クルススピンバックブリーカー」
という名称だったが、1970年春に来日直前、「よど号ハイジャック事件」が起こり、
この名称になったと(^^:

子供の頃に腕を広げて走り回り、飛行機の真似をして遊んだが、
小川直也のこのポーズは相手を挑発したもの。
フォト







16 14

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2020年12月>
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031