さて、「乗り物」がテーマの日記。先月の「船」に次いで、今回は「ボート」に
しようか、「潜水艦」にしようかと思ったが、ネタも少ないので、ふたつ一緒に。

まず一曲「バナナボート」
https://www.youtube.com/watch?v=qXgnYmSPL0A
オリジナルは、ジャマイカの民謡で、1956年黒人歌手ハリー・ベラフォンテが
アメリカでヒットさせた曲。日本では、浜村美智子、江利チエミがカバー。
私は小学校の時、この歌の♪イデデ、イデデ(IS A DAY)♪のフレーズを
「痛てて、痛てて」と、漫談師が茶化していたのを覚えている。
で、ゴールデンハーフが1971年にカバー(左画像)、と言っても50年近く昔。
その後、メジャーリーグで活躍した野茂英雄の応援歌として
「ヒデーオ・ヒデイ・エイ・エイ・オー」と歌われた、と言っても25年前。

「漕げよマイケル」
https://www.youtube.com/watch?v=hwGly1pGaMI
1960年代半ば、日本でフォークソングが流行り「500マイル」や「花はどこにいった」
と同様に良く歌われた。「ハレルヤ」という言葉が日本で普及したのも、
この歌の影響ではないかな?その後、黛ジュンの「恋のハレルヤ」(‘67年)とか。
この歌も「Michael, row the boat ashore, Halleluja、
マイケル、岸に向かってボートを漕げ!ハレルヤ」の繰り返しだが、
♪Sister help to trim the sail, Halleluja♪、Sisterは姉妹ではなく、修道女のことかな?
舵取りを手伝ってくれるよ。ハレルヤ。
♪Jordan's river is deep and wide, Halleluja
いきなりヨルダン川が出て来るよ。広くて深いよ ハレルヤ
♪Meet my mother on the other side, Halleluja.
お母さんと向こう岸で会えよ。ハレルヤ
ヨルダン河の向こう岸は約束の地カナン
宗教的な意味があるんだな。

ローロー、ローユアボート
https://www.youtube.com/watch?v=fDR_pRHYMGA
人生なん夢みたいなものさ。

結構、欧米にはボートが出て来るフォークソングがある。
ビッグボート
http://blog.livedoor.jp/lemontree123/archives/741973.html

チコちゃんに叱られる
ボーーット生きてるんじゃないわよ
(^^:

リッキー・スティムボート (プロレスラー)
蒸気船と言う意味ね。日本人の血を引いていて、アメリカでは
そのオリエンタルタルムードで人気があった。末期だがNWA世界王者にもなった。
しかし、日本では、いまひとつ受けなかった。

ボートピープルというのも問題になった。

さて、次に行く前に、一昨日、出したクイズ
昭和期に日本で活躍した45%ほどの女優は誰でしょう?
45%「ほど」というのがポイント。別に47でも44でも良いのだが。
正解の前にヒント。50%は半分ですね。
今、この問題を見た人もいるかも知れないので、
答え合わせは最後に。

では、潜水艦に行きます。
まず「イエローサブマリン」
原曲をアップするのも面白くないので 、イエロー・サブマリン音頭/金沢明子
https://www.youtube.com/watch?v=gnMViTALj8g
歌詞に、宗教的な意味はないね(^^:。
私が小学校の時、「サブマリン707」とか「青の6号」という小沢さとるの
海洋、潜水艦漫画があった。前者は、まだ少年サンデーを毎週読む前の時代
(63年〜65年)、後者は67年だから、ちょっと読んだ記憶はある。
それよりも園田光慶「あかつきの戦闘隊」(攻撃編)で、
潜水艦が舞台になったが、敵のレーダーに感知されないように、
ただでさえ狭い潜水艦の中でまったく物音を立てることが出来ず、
搭乗員の精神がオカシクなるシーンがあった。
これを小学校の時に読んで、潜水艦には乗りたくないと思ったよ。
今まで乗る機会もなかったが。
海洋漫画「沈黙の艦隊」も読んでいなかった。
ということで、このニュースに引っかける。
■なんで、あんなに怖かったんだろう……。子どもの頃に怖かったものってなんですか?
(ママスタジアム - 11月10日 15:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=176&from=diary&id=6300946

潜水艦ではないけれど、サンダーバード4号
これなら乗っても良いな。
これも色は黄色だね

野球の投法で「サブマリン」とかあるがよく分からん。

映画「1941」の冒頭のシーン。
女性が、海で泳いでいると日本軍の潜水艦の潜望鏡に引っかかる。
スティーヴン・スピルバーグ監督、1979年公開。
日本海軍の伊19潜水艦、艦長の役に三船敏郎が出演。
それにしては、ただ建物が壊れるシーンの連続で、あまり面白くはなかった。
潜望鏡と言えば、子供の頃、こんなおもちゃが駄菓子屋で売っていた。
鬼ごっこやカン蹴りをするときは、鬼の動きを探るのに便利だった。

サンドイッチ、
コッペ型パンに具を横から入れるのをサブマリンと呼ぶんだね(右画像)。
日本でもあるサンドイッチチェーン店「サブウェイ」も「地下鉄」ではなく
「(サブ」マリン」を「貴方のやり方(ウエイ)」のことだと。

では、最後、クイズの答え、45%=半分弱、、ということで
范 文雀(はん・ぶんじゃく)
健太郎さん、大正解!!
潜水艦と言えば、初めて自衛隊で女性が潜水艦の乗組員として採用されたそうですね。
一度乗ったことがありますが、男性でもハードで風呂も入れない過酷な環境で大丈夫なんだろうかと思います。
それだけ女性が強くなったということでしょうか。
范 文雀は、私が中学生の時「サインはV」などで活躍した女優で、
その頃も范 文雀→半分弱って、、よくギャグで言っていましたが
健太郎さんの世代もご存知なんですね!
ほう!潜水艦に乗ったことがあるんですか!?
>初めて自衛隊で女性が潜水艦の乗組員
潜水艦ではなかっかも知れませんが、自衛隊や警察で
「女性が初の任務に就いた」というニュースは聞きます。
女性が進出したのか?男性のなり手が少なくなったのか?(^^:
ともあれ、潜水艦に中は、大変な環境だと思います。
頑張って欲しいものですね。
『漕げよマイケル』…タイトルだけ見ると、これまた何だろ?って感じですが、聴けば、あぁあの曲か!と感動したのが、数年前のことです。これがヒットした前後は、あちらではフォークソングが流行したんですね。それを受けて、日本でもフォークが流行った、と言うことでしょうな
限定された空間の中での濃密な人間関係が描かれやすいし、ご指摘の「あかつき戦闘隊」に出てくる伊号の音波探知機をめぐるサスペンスなんかがサスペンスを盛り上げますからね。
もう一つの潜水艦ものの特徴が男だけの世界、女っけなしで自然に映画世界を作っていることにあったんですが。
健太郎さんがおっしゃった通りです。
去年の新作「ハンターキラー」を映画館で見たら女性の乗組員がいたので、時代は変わったなあと思いました。
ボートの歌で僕が思い出すオールディーズは「バナナ・ボート」ともう一つ、「中国行きのスロウ・ボート」です。^^
45パーセントのしあわせという題名の本もありましたがね(落合恵子著)
「漕げよマイケル」は同じメロディの繰り返しで、
ややもすると「いい加減にしろ!」と突っ込みたくなる歌ですが(苦笑)
今回、この歌の原詩を見て「ヨルダン川」が出て来たのに驚きました。
一説には、マイケルとは黒人奴隷で死んだらボートに乗って天国に行くんだよ、
という意味もあるそうです。
アメリカのフォークソングには「モーニングトレイン」とか、
電車に乗って「自由な国=天国」に行く、とか、またシスターが出て来て
どうのこうのという宗教色の濃い歌がありますよ。
>潜水艦ものにハズレなしの格言(?)がある通り
私は見ていませんが「Uボート」とかありますね。
やはり「あかつき戦闘隊」の「攻撃編」は読んでいましたか!?
第一部「ラバウル編」に比べて個性ある登場人物もいなくなり、
記憶が薄いんですが、あの狭い潜水艦の中で息を潜めるシーンは
印象に残っていました。ああいう場面は「青の6号」とかには
無かったと思いますよ。
>中国行きのスロウ ・ボート』
はて?オールディーズにあったかな?と思ったら
村上春樹の小説でしたか!?
と思ったら、、そういう曲もあったんですね(^^:
実際に、搭乗したんですね!?
>とにかく狭いですね、通路に挟まれるように歩き
昔、国際政治評論家の小室直樹の部屋が、テレビで
紹介されましたが、彼は有名になっても6畳くらいの
アパートに住んでいて、色々なモノがキッチリ整理されて、
彼曰く「この部屋は潜水艦のようにしている」
と説明していましたよ。
船だったら、大海原を見て、心も晴れるでしょうが、
潜水艦は、狭い艦内だけでしょう?
あれはストレスが溜まるでしょうね。
過酷な環境だと思いますよ。
リッキーは、1953年生まれで、今67歳ですか!?
藤波や木村健吾と同じ年代ですね。
ちょうど40年前の1980年の最強タッグに初来日しました。
その時の試合も覚えていますよ。
全日としては、もう身体が衰えつつあるマスカラスの
後継者として期待したんですが、そこまでは
行きませんでしたね。
1989年3月にはNWA世界王者として武道館で
タイガーマスクの挑戦を受けたが、あまりの凡戦ぶりに
館内から「馬場さん、これで良いんですか!?」
という野次が飛んだほどです。
私は生で見ていて、そう酷くもないとおもいましたが。
逆を言って、そう期待して見ていなかったこともあります(^^:
80年の最強タッグにですか?
フレアーは、その2年前、78年春に全日に初参戦、
鶴田のUNに挑戦していいところを見せたので
最強タッグにも呼ぼうとしたんですね!?
でも、誰と組ませるつもりだったのかな?