〜たのきん発進、シャネルズ失速〜
年別歌謡曲シリーズ、今回は昭和55年後半(発売日が7月1日以降)
この年は、西暦で言うと1980年、新しい旋風が歌謡界に吹きまくった。
上半期でデビューした松田聖子が「青い珊瑚礁」で「ザ・ベストテン」に初出場、
次の「風は秋色」はオリコン1位、ミリオンセラー。
作詞:三浦徳子/作曲:小田裕一郎、10月1日リリース。
河合奈保子も8月リリースの第二弾「ヤングボーイ」で「
ザ・ベストテン」入り
あと、三原順子「セクシーナイト」
作詞:亜蘭知子/作曲:長戸大幸,9月21日リリース
https://www.youtube.com/watch?v=rPyishC8QNg
今や、国会議員の先生となった三原順子(現、じゅん子)、
この時、弱冠16歳!(^^:つっぱりムードで「第二の百恵」とも言われた。
但し、この年のレコード大賞新人賞(5人には選ばれなかった。
(田原俊彦、松田聖子、岩崎良美、松村和子、河合奈保子が受賞)
男性ではトシちゃんこと田原俊彦が、
「哀愁でいと」で華々しくデビュー。
(リリースは6月21日だが、実質、後半期ブレイクということで)
私は見ていなかったがテレビドラマ「金八先生」で共演した田原の他、
野村、近藤の3人で「たのきん」というユニットを形成していて、
後の2人も、追ってデビューするとか,言われていた。
私は、まぁ男性アイドルには興味はなかったが。
上半期デビュー組で注目を浴びたザ・シャネルズは
2曲目の「トゥナイト」が、今一つ(ミュージカル「ウエストサイドストーリー」
の挿入曲「トゥナイト」のテンポを上げただけじゃないか?)だと、
思っていたら、不祥事を起こして、この年、一杯謹慎
。
上半期の日記に漏れたが、
鹿取洋子の「ゴーイングバックチャイナ」3月リリース。
これも結構、気に入っていた。作詞 岡田冨美子作曲 Pim Koopman
でも、歌手としては消えちゃったなぁ
チャイナと言えば、もう一曲、中国をテーマにした曲が流行った(後述)
7月19日から8月3日までモスクワオリンピックが開催されたが、
日本は欧米諸国に倣い、ボイコット。40年後の東京大会は延期。
「恋人よ」五輪真弓(作詞、作曲も)8月21日
私は昭和47年のデビュー曲「少女」から注目していたんだが、
いまひとつ、世間の耳目を集めてないと思っていた矢先のヒット曲。
しかし、私にすれば、「なぜ、この曲が大ヒットしたのかなぁ?」
と疑問にさえ思う。当初は、B面曲だったらしい。
こういう例は、他の歌手にも時々、耳にする。
とにもかくにも、五輪さん、この曲はレコード大賞金賞(グランプリ候補曲)
に選ばれ、暮の紅白歌合戦初出場。
『パープルタウン〜You Oughta Know By Now〜』
八神純子7月21日リリース作詞:三浦徳子
作曲:・Ray Kennedy・Jack Conrad・David Foster
田原の「哀愁でいと」の元歌が「ニューヨークシティーズ・ナイト」なら、
これもニューヨークが舞台。
当時の題名は「『パープルタウン』だけだったが、その後、Ray Kennedyの
「You Oughta Know By Nowに似ているとクレームが付き、題名と作曲者に
名を連ねることになったとか
。
チャゲ&飛鳥(現、ASKA)「万里の河」作詞・作曲:飛鳥涼 9月25日
同グループ3枚目のシングル。デビュー曲「ひとり咲き」はそこそこ売れたが、
2曲目は不発。満を持しての3曲目だったらしい。
その後、押しも押されもしないビッグアーティストになったが、
ASKAが逮捕されちゃって
。
「愛はかげろう」雅夢(がむ)作詞・作曲:三浦和人(メンバーの一人)
しっとりとした良い曲だった。
奇しくも上記のチャゲ&飛鳥「万里の河」と同じ9月25日リリース。
男性二人組ということで、チャゲアスと比較されたが、その後、
ヒットはなく84年に解散。
数年前、ある韓国の有名ドラマの主題歌が、この曲に似ていると
話題になり、思い出した。
私は、当時、大学4年生で、10月から、会社訪問解禁、
就職活動を行っていた。
11月、アメリカ大統領選は、共和党のロナルド・レーガンが当選。
40年後、同じ共和党のドナルドさんは、どうなるの?(←すみません。ダジャレです)
首尾よく、某メーカーに入りこめたが、その後、卒論を仕上げなければならなかった。
そんな暮れに太田裕美の「さらばシベリア鉄道」(11月21日リリース)を
よく耳にした。
12月8日、ジョンレノン射殺される。
そうこうするうちに、「たのきん」の「きん」、マッチこと近藤 真彦が
12月12日にデビューした。
『スニーカーぶる〜す』作詞:松本隆/作曲:筒美京平
オリコン史上初の「デビュー・シングルで初登場1位を獲得したシングル」
この頃からジャニーズの進撃が始まった感があるなぁ。
無論、この頃は、各個人が携帯電話を持つなんて夢の世界だった。
■菅首相、携帯下げ「一刻も早く」=家計の負担軽減で武田総務相に指示
(時事通信社 - 10月09日 17:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=6262369
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