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2020年09月22日21:37

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ヤングセーラーマンby渋谷哲平〜浅草橋ヤング洋品店〜「ヤング720」by関口宏

〜悲劇の漫才師Wヤング〜ヤングプロレスで高千穂対永源〜

先週「老人」=「オールド」をテーマにしたので、今回は「ヤング」

これも以前に日記のテーマにしたような気がするけれど、(^^:
まぁ新しいネタを書いておこう。

手(パー)先ず、一曲、西城秀樹の「ヤングマン」ではなく、、、
るんるん渋谷哲平の「「ヤングセーラーマン」1979年

作詞:浅木ゆめ、原曲はヴィレッジ・ピープルIn The Navy」
西城秀樹のヒット曲「ヤングマン」と同じ、ヴィレッジ・ピープルのカバーで
共に「ヤング」が付く。歌詞は「ヤングマン」同様、若さで突き進め!」というもの。
さらに同時期ピンク・レディーが「ピンクタイフーン」と題して同じ曲を歌う。
哲平がどうしても2番煎じに思えてしまう。

目1960年代半ばから、
「ヤング」という言葉が流行ったと思う。
それ以前は歌の題名も「若者」、映画は「若大将」だった。
テレビ、そしてラジオでもやたらと「ヤング」がつく番組が増えた。
その時、ハイティーンになった団塊世代をターゲットにしたんだろうね。
グループサウンズが良く出ていた。

○「ヤァヤァヤング」左画像(67〜8年)は、
高校生だった姉と良く見ていたよ。
スクールメイツが歌っていたテーマソングの歌詞、いまだに覚えている。
♪暗い、まだ暗い、東の空にやがて一筋の光が伸びる
あの光めざして行こう。若者よ振り返らずに進もう。
手をつなぎ駆けて(歩いて)行こう。歌いながら、
朝陽のもとへ、朝陽のもとへ♪

○朝の7時20分に始まった情報番組「ヤング720」(66年〜71年)は、
関口宏や黒沢久雄が司会をしていた。

○ラジオの深夜放送はセイヤング。
DJのレモンちゃんこと落合恵子が人気があったが、
私は「パックインミュージック」を聞いていた。

1970年から始まった「ヤングオーオー」とか「リヴヤング」あたりから、
私も番組の世代に近づいた。

ムード「ヤングボーイ」河合奈保子作詞:竜真知子/作曲:水谷公生1980年8月

奈保子のデビュー2曲目、ここからブレイクした感がある。

ムード古くは「ヤング・ワン」クリフ・リチャード

ビートルズ登場前、イギリスのポップス界のスターと言えば、この人。
ただ年齢的にはジョン・レノン、リンゴ・スターと一緒なんだな。
今年、80歳か!?

手(パー)70年代から、ヤングアイドルという呼称が始まったように思える。
南沙織、麻丘めぐみ、男性では新御三家。
南沙織の初期のアルバムには、「ヤングのテーマ」という
サブタイトルが付いていた。

人影新日本プロレスの若手は、ヤングライオンと呼ばれていた(右画像)。
1969年、プロレスの前座試合を中継した「ヤングプロレス」
という番組があった。
高千穂明久(後のグレート・カブキ)対永源遙の試合とかあった。

目70年代、W(ダブル)ヤングという漫才師が関西にいたそうだ。
フォト
私もテレビで見たことがあるような、ないような。
1980年に漫才ブームが訪れるが、そのちょっと前に、メンバーの一人が
借金抱えて自殺したとか。
もう少し辛抱すれば漫才ブームに乗れた言われている。

カチンコ「猿人ジョー・ヤング」
前にも紹介したが、見た人はいないようなので、画像だけ貼っておく。
フォト

ペン「ヤング島耕作」
島耕作の課長以前の話。
2001年から2010年まで『イブニング』誌上で連載。
ただ、これを読むと課長編と矛盾する部分がある。
課長編で、後に社長にまで昇進する中沢喜一に初めて会ったとあるが、
ヤング編で、度々世話になっている。

ムード田原俊彦『悲しみ「TOOヤング」作詞・作曲:網倉一也1981年9月


本この1980年頃、「ヤング」と付く、コミック雑誌が創刊された。
最初は、少年ジャンプの兄弟誌としてヤングジャンプ(79年)、
その後、「ヤングマガジン」「ヤングチャピオン」等が続々創刊。
これは、大学を卒業した世代も、繋とめるためだろうね。
つまりターゲットは、私と同世代の1956年頃生まれだ。

その前に「ヤングコミック」(少年画報社)というのはあった。
一旦、67年創刊。84年に廃刊、

乙女座『ヤングレディ』という女性誌もあったなぁ(63年〜87年)
フォト

りんごヤングコーン
フォト

TV「浅草橋ヤング洋品店」
1992年に始まった番組だが、もうこの頃になったら、
「ヤング」という言葉が、いささか古臭くなった。
さらに浅草橋という地名、風情のある街だが、
けっして若者の流行の発信地ではない。
この番組名、テレビ東京が狙って付けたんだろうね。

最初は、本当にファッションやサブカルチャー等を紹介していたが、
なんだか、アイドルのオーディションを始めたと思ったら、そこから
デビューした娘たちが、国民的アイドルになったのは驚いた。


目破竹の勢いののヤングパワーも、今回はベテランの勝ち
位置情報羽生九段 藤井聡太王位に勝利
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=6241150
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コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年09月22日 22:21
    やっぱり哲平ですよね。
    この曲は振り付きで唄えます。
    ピンクレディ大好きですが、ヤングセーラーマンも好きで今でも唄ってしまいます。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年09月22日 22:34
    Wヤングは相方を新喜劇の佐藤武志師匠(まる兄ぃ)に変えてなんばグランド花月はじめ関西で活躍してましたが、昨年末に平川幸男師匠が亡くなられて、まる兄ぃは新喜劇にカムバックしました。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年09月22日 22:45
    僕の印象としては、ちょうどアイドルというものを意識し出した頃、やたらと「ヤング」という言葉が使われるようになった気がします。

    関西ではやはり、圧倒的な人気を誇ったテレビ番組「ヤングオーオー」、そしてラジオの「ヤングリクエスト」ですかね。

    そしてやがていつ頃からか「ヤング」という言葉自体も死語となっていくんですよね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年09月22日 22:50
    > mixiユーザー 
    健太郎さんは、渋谷哲平のファンでしたね!?
    私も、3曲目の
    「Deep(ディープ)」は良い曲だと思いました。
    「ヤングセーラーマン」は、ピンクの「ピンクタイフーン」と
    被っちゃいましたからね。
    で、77年〜79年にデビューした男性アイドル、哲平、太川陽介、
    川崎麻世らは、後続の80年以降のニューアイドル(田原俊彦、近藤真彦ら)に
    追い越された感があります。
    考えてみると哲平は田原よりいち学年若いんですがね(^^:
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年09月22日 22:51
    「パックインミュージック」や落合恵子はラジオ通にとっても懐かしいことです。小学生のときは、ラジオでは浜村淳の番組を聞いていました。中学校の頃は、「オールナイトニッポン」や「ヤングタウン」(関西限定かも)を聞いてました。
    Wヤングは、中田氏が亡くなってから相方の平川が弟子?と組みWヤングを続けました。
    その平川氏も去年亡くなりました。
    去年、なんばグランド花月へ行き、Wヤングの漫才を見ました。元気だったのでそれが最後だとは思ってませんでした。「ちょっと聞いたあ〜」というギャグも言ってました。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年09月22日 23:00
    ヤングオーオー、セイヤングで、やっと追いつきました。
    セイヤング、落合恵子、谷村新司、グレープ世代です。オールナイトニッポンは鶴光のみ。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年09月22日 23:12
    > mixiユーザー 
    第一次Wヤングは、漫才ブームの直前、中田 治雄が自殺したんですね。
    で、相方の平川幸男が、佐藤武志を誘って1984年第二次Wヤングを
    結成したようですが、その時は、すでに漫才ブームは終わっていましたね。
    関西の漫才は、’60年代半ばにお笑いブームがあり、私も夢路いとし&喜美こいし、
    鳳啓介&京唄子、若井はんじ&けんじ、漫画トリオなどを知っていましたが、
    70年半ば過ぎだと、もう関西のお笑いが東京で映ることは少なくなりました。
    でも、やすし&きよし、オール巨人阪神、カフス&ボタンなど、
    「ヤングオーオー」に出る漫才師は知っていましたが、Wヤングは
    名前を聞いたことがある程度でしたよ。がく〜(落胆した顔)
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年09月22日 23:26
    > mixiユーザー 
    実際、’60年代半ば〜’70年代半ばは、
    右を見ても左を見ても「ヤング」が大流行の時代でした。
    要するに、団塊世代の若者が多くいたんですね。
    「ヤングオーオー」は東京でも人気がありましたよ。

    というと、関西の人から「え?東京でも放映されていたんですか!?」
    と驚かれますけれどね。
    あれで、桂三枝(現・文枝)やあのねのねも、東京で
    メジャーになりました。

    ヤングリクエストというのは知りませんでした。
    深夜放送ですね?
    どっちみち、その時間帯はパックインミュージックを
    聞いていましたし。
    >いつ頃からか「ヤング」という言葉自体も死語
    90年代初めの「浅草ヤング洋品店」の時は、
    完全に死語で、笑いを誘いましたよ。


  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年09月22日 23:33
    > mixiユーザー 
    落合恵子らが、パーソナリティーの「セイヤング」は、
    中学2年の終わり頃、クラスメートが話をしていて、
    最初、テレビ番組かと思いましたよ。
    「ヤングオーオー」はすでに見ていましたがね。

    Wヤングについては、↑のさーとんさんへのレスに
    も書きましたが、第一次のは、名前を聞いたことがある程度でした。
    それも、「Wけんじ」は、昔、東京で人気があったコンビですが。
    「ヤング」と名前の二人か?
    「若井はんじ、けんじ」なら知っているが、それを
    英語で言っているのか?というレベルでした。
    おそらく東京の当時の若者はそれくらいの認識でしたよ。
    「漫才ブーム」の直前で、自殺とは実に不運ですね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年09月22日 23:51
    > mixiユーザー 
    だいたい「ヤング」と付く番組は下を高校生と
    設定しているようですね。
    60年代半ばの「ヤアヤア・ヤング」などは、まだ私も
    小学生でしたが、72年頃の「「ヤングオーオー」や「リブ・ヤング」で、
    やっと番組と自分の年齢が一致したと感じましたよ。

    セイヤングは、落合恵子のみならず、谷村新司というパーソナリティーも
    人気が出て来た、と73年頃、情報が入って来ました。
    でも、私は深夜放送はパック一筋。
    その谷村という人が後に「アリス」というフォークグループで
    ブレイクした時は、「ああ、あの時の谷村さんなのか!?」
    と驚きましたよ。

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年09月23日 01:00
    > ラジオの深夜放送はセイヤング。
     僕も何度かラジオで聴きましたが、『パック・イン・ミュージック』は聴かなかったです。やはり最もよく聴いたのは『オールナイト・ニッポン』(^^;
     と言っても、金曜日の夜・実質土曜日の未明ですが…

     ヤング・ボーイ、悲しみ2(too)ヤング、どちらも懐かしいです。クリフ・リチャードの『ヤング・ワン』『サマー・ホリディ』はカラオケで何度か歌いましたが、幼稚園の時に踊らされた曲が『コングラチュレーション』ですウッシッシ

     浅草ヤング洋品店…浅草橋ヤング洋品店でしたね。当初は、ファッションなど流行を追う番組でごくたまに観ましたが、その後、"ASAYAN"と名前が変わってからは観なくなりました。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年09月23日 01:13
    > mixiユーザー 
    「ヤングリクエスト」は通称「ヤンリク」。
    それからもう一方の雄、「ヤングタウン」、通称「ヤンタン」を忘れるところでした。
    どちらも関西圏の人間なら、全員ハマってた深夜放送です。

    「ヤングオーオー」が関東でも放送されてたというのは、本当に意外です。
    桂三枝が大ブレイクしてた頃ですね。
    後に明石家さんまも参入して、「ザ・パンダ」と共に人気爆発しました。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年09月23日 04:37
    > mixiユーザー 

    セイヤングは、73年4月ぐらいから聞き始めたんじゃないかと思っています。落合恵子が木曜担当だった。谷村はすでに火曜日深夜担当で、アリスセカンドシングルが売れず、3枚目が出せない頃。細々と74年はシングルを出すも売れず、セイヤングで曲を流し、驚異のステージ数をこなし、毎回番組で聴きに来てくれ、券に余裕ありを連発していました。そして私は、この売れなかった頃に出していた曲を今でも好んでいます。番組では下ネタ連発の天才秀才バカコーナーや、バンバンの超心理学コーナーなど笑いながら聴き、生歌コーナーではいい声していると感心していました。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年09月23日 08:38
    レオンさんのおっしゃるように「ヤング」という言葉はいつの間にか死語になって久しい。このカタカナ言葉がブームになったのは蟹座さんがおっしゃるように1960年代中頃で間違いないだろう。

    では使われなくなったのはいつ頃からなのだろうと考えてみました。🤔

    最初は1980年頃じゃないかと思ったのですが、日記であげられているヤンジャンやヤンマガが陸続として登場した事実と整合性が取れない。なにしろ、僕自信がこの時期にサラリーマンになって、蟹座さんのご指摘の通りの出版社の戦略にハマって、仕事帰りの電車のなかで読みふけっていたので。あせあせ(飛び散る汗)

    一方、ヤングは90年代にはダサい言葉、いわゆるオヤジギャグ的な使われ方をされていたような気がする。実際問題として、この時期に子供時代を過ごしたうちの息子たちはヤングという言葉にまったく馴染みを持ってない。

    そうすると、たぶん80年代の後半辺りが転換点だったのではないかと考えてみました。

    2000年代の10年間連載が続いたヤング島耕作はヤングという語感に郷愁を感じる世代をターゲットにしていたのではないかと思います。物語の時代背景はまさにそのものズバリだったでしょうし。なによりも弘兼憲史はそういうのが上手いですからね。ウッシッシ
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年09月23日 12:42
    > mixiユーザー 
    「ヤング・ワン』は63年1月のリリースだそうですが、
    リアルタイムでは知らず、後追いで聞きました。

    『サマー・ホリディ』も同時期だと思いますが、ほぼリアルタイムで、
    日本人歌手が日本語詞で歌っているのを覚えています。
    ♪やーま(山)に行こうよ。サマー・ホリディ♪というふうに。

    『コングラチュレーション』は、もっと後ですね。
    かっしーさんが幼稚園の時に踊らされたとありますが、
    1968年頃でしょう。これも確か、藤田まことが
    カバーで歌っているのをハッキリ覚えています。
    検索したら、彼が歌っていたという証言がありましたよ。
    https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q126875407
    この3曲が、クリフ・リチャードという一人の歌手の持ち歌と
    知ったのは後年でした。


    「浅草」ではなく「浅草橋」でしたね。
    その方が語呂も良いですね。
    お恥ずかしい(^^:。修正しておきました。
    浅草橋と言えば、食器や食品サンプルで有名な問屋街。
    洋品店やファッションとはちょっと縁が薄いと思います。
    まぁ、そこを狙った番組名なんでしょうが。

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年09月23日 16:35
    > mixiユーザー 
    >「ヤングタウン」、通称「ヤンタン」
    そういう番組があったことは聞いたことあがります。

    >「ヤングオーオー」が関東でも放送されてたというのは、
    >本当に意外です。
    私としては、意外だといわれることが意外です(^^:
    幼児の頃から「番頭はんと丁稚どん」「てなもんや三度笠」など
    の大阪のコメディ、公開番組はよく見ていましたよ。
    71年の終わりの三枝のギャグ「はい、はい、はい、はい、そーーですか?」
    は学校でも流行っていました。
    「ヤングオーオー」も、東京での視聴率が良かったんでしょう。
    73,4年に数度、東京で公開されたのをも覚えていますよ。

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年09月23日 16:44
    > mixiユーザー 
    落合恵子は、73年頃「スプーン一杯の幸せ」を出版し、
    作家に転向しつつありましたね。
    谷村 新司も、その73年頃「セイヤング」のDJ時代、
    「くずれパンダ」とか呼ばれていませんでしたか?
    確か、「高2時代(あるいじゃコース)」で読んだ気がします。
    アリスの曲を自分の番組で流し、セールスしていたんですね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年09月23日 17:20
    > mixiユーザー 
    ‘90年代くらいから「ヤング」という言葉が死語になったのは、
    確かに、古臭くなったこと、団塊世代が若者だった’60年代に
    比べ若者が減少したこともありますが、
    「ヤンキー」という言葉が逆に流行りだし、「ヤン」と略すと
    「ヤング」よりも「ヤンキー」を示すようになった。
    その顕著な例が「ヤンママ」ですよ。
    というか、それくらいかな?(苦笑)
    あと、若者向きの歌番組「レッツゴーヤング」とか
    70年代後半からありましたが、90年代から、男性アイドルは
    ジャニーズ事務所のタレントばかりになり、
    番組にそのグループ名を冠にしちゃいましたね。

    ヤング島耕作の時代は、70年代初め、まさに「ヤング」な時代でした。
    読んでいて懐かしいモノがありましたよ。


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