ネタがないので、先日、亡くなった元プロレスラー桜田一男選手
(リングネーム、ケンドーナガサキ=左画像)追悼の意味で、
今回のテーマはナガサキ(苦笑)
桜田氏は、長崎県出身ではないんだよな。
(北海道網走出身、父親は網走刑務所の刑務官)
ボボ・ブラジルがブラジル人ではないのと同じ。
素顔はこんな顔、結構優しそう。
昭和の日プロ出身だから、試合は、オーソドックスな
ラフファイターだった。
極め技は、特に印象にないな。

■プロレス界で今“昭和の決め技”が注目されている
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=diary&id=5943561
元々、ケンドーナガサキというのは1960年代
イギリスで活動していたレスラー。
桜田は2代目と言える。
しかし、本家・イギリスのレスラーは
桜田のように顔にペインティングはしておらず、
剣道の防具のようなマスクをしていた。
なぜナガサキと名乗ったのかな?
やはり原爆の被爆地ということで有名だったからか?
この選手は、1968年に国際プロレスに来日したが、
剣道着のコスチュームもなくリングネームも
「ミスターギロチン」として参加した。
まぁ、日本でこのギミックは受けないよ。

で、長崎県だが、
一度だけ、1993年頃旅行に行った。
グラバー亭にも、
原爆資料館にも訪れた。
これも乗った。

「長崎物語」1939年
江戸時代、日本に訪れたイタリヤ人航海士
と日本女性の間に生まれた「じゃがたらお春」
の悲劇を歌ったもの。
彼女は鎖国令によって国外追放になる。
長崎は、江戸時代、鎖国中、出島で唯一外国と
貿易をしていや国際都市だったんだね。
やはり、長崎と言えば、この曲かな?

「長崎は今日も雨だった」 内山田洋とクールファイブ
作詞:永田貴子 作曲:彩木雅夫1969年2月
この前後、「思案橋ブルース」『長崎の夜はむらさき』
と長崎のご当地ソングが流行った。

長崎名物
○トルコライス(右画像)
基本、ピラフとトンカツとスパゲティのワンプレート。
大人のお子様ランチという感じ。
もう、こういう炭水化物の三重奏は胃に重たいな。
無論、トルコには、こういうメニューは存在しない。
トルコ人から、また「トルコライス」などと名前を
付けて販売しないで欲しい!」
とクレームが来るかも知れない。
そうしたら、「ソープライス」になるのかな?(^^:
○チャンポン
リンガーハットにもあるが、、
普通にラーメンの方が美味いと思う。
○カステラ
まぁ子供の頃から長崎と言えば、カステラだったなぁ。

小学校の時、同学年に長崎という姓の男子がいた。
気に良い奴だったよ。
それ以来、長崎と言う人にあったことは、、、ないけれど

長崎出身の有名人は、
先に挙げた前川清、福山雅治、さだまさし、大仁田厚
五島列島まで広げれば川口春奈。
路面電車は見ただけで一度も乗らなかったのが残念でした。
本場の長崎チャンポンも食べましたよ〜
路面電車には、別に乗ろうと
思ったわけではなく
原爆資料館に行こうと思ったら
路面電車が便利だったので乗っただけです。
長崎に行って、トルコライスも
チャンポンも食っていないんですが
はて、何を食ったんだろ?(^^:
宍戸といえば、アジャコングの
本名が宍戸江利花なんですね。(^^:
いや、宍戸錠氏のご冥福を祈ります。
卒業してサラリーマンになると、髪を切ってネクタイをして、カラオケで演歌を歌わねばならないのだというウワサがありました。3年生までは他人事だと思ってましたが、4年生になりいよいよ卒業間近になるとそうも言ってられない。
で、カラオケ用の持ち歌としてソラで歌えるようにしたのが「長崎は今日も雨だった」なのでした。
シンプルでさほど高低もなく歌いやすい歌だったことに加えて、八時だよ全員集合の前川清のボケ演技に好感を持っていたものですから。
平戸も行ってみたいなあ。天草にも。
>ソープライス、
石鹸飯ですから
食ったら、泡を吹いちゃいます(^^:
私は「長崎は今日も雨だった」
は歌ったことがないなぁ。
ちょっと難しそうです。
若手社員は、カラオケで歌わされますから
持ち歌のひとつも持たないとダメですね。
それも、やはり、年配の上役の分かる演歌っぽい
歌になってしまいます。
八時だよ全員集合で前川清は良い味を
出していましたね。
下手なコメディアンよりずっと笑えましたよ。
私も、長崎には1泊か2泊でした。
あと福岡にも行ったので、そこでの記憶も
ゴッチャになっていますが、
グラバー亭とか原爆資料館の他、孔子廟にも行ったなぁ。
また、たまたま通りがかった古い建物に、
しばし心を奪われましたよ。
街中の洋食店では、どの店にも「トルコライス」が
あって、店によって内容が違うのにも気づきましたよ。
国際プロレスに来た本家・ケンドーナガサキ
(来日時はミスターギロチン)は見ていませんが、
日本で剣道着のコスチュームを着ても
「ただの変な外人」ですね。
まぁ、所詮、実力的には2流だったんでしょう。
ダニーリンチも初来日の時は知りません。
テクニックを見せる欧州路線に入っても、
やはり、ああいうラフファイターはプロレスには欠かせませんね。
71年にバロン・フォン・ラシクと共に再来日して
杉山&木村のIWAタッグに挑戦。奪取はなりずとも
大暴れしたのは印象に残っていました。
でも、なんか勘違いして
注文する男性客がいそう。
有名な観光地が沢山あるし、いつかは行ってみたいです。
日本の47都道府県の内、
45まで行ったんですか!?
それは凄い!
で、、佐賀は分かりますが(^^:
長崎は、九州の中では見どころが多い
観光県なのに未体験ですか!
ぜひ、訪れて下さい。
確かに坂が多い気がしましたね。
最後に土産物店の広場で、蛇踊りを見て帰路に就きました。
ああ、岡山県は、中学の修学旅行が長崎ですか!?
グラバー亭はともかく、原爆資料館を見せるのは
良いと思いますよ。
関東は、奈良、京都ですが、寺を見てもなぁ。
まぁ世田谷区の砧の中学生は、京都で初めて
寺や生きている坊さんを見た!という生徒もいますが。
「港・坂道・異人館」は三種の神器ですね。
でも、横浜みなとみらいは、そんなに坂は
多くないと感じますが。
ヘビ踊りは見たくないなぁ
僕らの時代、岡山県の修学旅行は北九州で、新幹線のできる前なので、ひたすら普通電車で下関まで行き、バスに乗り換えて別府に着きます。
で、一日目は別府泊り。
翌日は別府の地獄巡りに始まり、草千里をバスで走り、阿蘇山に登ります。
それから九州を横断し、島原で二泊目となります。
朝になると、島原の火山地帯を見学して、長崎に向かいます。
それから上記の長崎見学で終了、という感じですね。
ちなみに原爆資料館の近くの売店で「水をください」という本を買いました。
もちろん原爆の話です。
涙が出ました。
「蛇踊り」とは言うものの、実際はでかい龍の作り物を、何人もの中国コスプレをした人達が棒で支えて練り踊る、という感じのものです。
奈良・京都は小学校の修学旅行となります。
こちらで異人館と言えば神戸のイメージですね。
横浜へは一度行ってみたいです。
海の近くで、親近感が持てそうですし、異国情緒も満載でしょうしね。
小学校の修学旅行のスケジュール、
よく覚えていますね!
ああ、「蛇踊り」というのは↓ですね。
https:/
これは実物は見たことがありませんが、テレビなんかで
知っていました。
私は、また本物のヘビだと思いました(^^:
ヘビと言うより「龍」ですよね。
検索すれば良かったんですが、それで本当に
ヘビが踊っている画像が出ても嫌だったので
小学校の時、修学旅行で奈良・京都ですか!?
私の小学校は、臨海、林間学校はありましたが、
修学旅行と名の付く行事は中学からでした。
いしだあゆみに「港・坂道・異人館」という曲がありますが、
これは、やはり神戸かな?
http://
子供の頃、いしだあゆみは、
「ブルー・ライト・ヨコハマ」のイメージが強くて
横浜出身かと思っていました。(^^:
大阪育ちと聞きましたが、大阪の感じでもありませんね。
瀬川 瑛子は、東京出身ですが、1970年
「長崎の夜はむらさき」をリリースした時、
「長崎出身」と偽り、それが功を奏したのか、
50万枚のヒットになったとか。
後年、彼女、テレビで謝っていました。
五島列島出身ということで、
倉田まり子と川口春奈は、やはり似ていますね。