mixiユーザー(id:4597260)

2020年01月03日21:59

202 view

‘60年「ダッコちゃん」〜末尾0の年〜’70年万博、‘80年は就活

〜浅野ゆう子、工藤静香、広末涼子が、、、〜

2020年、日記第一回は、末尾「0」が付く年の
ことをテーマに振り返ってみる。
まず、1960年、70年、80年を第一回として。

○私は、1956年生まれだが、
1960年の出来事を、微かに覚えている。
この年に家でテレビを買ったのではないかな?
安保反対運動、6月国会を取り巻いたシーンを
テレビで見たのだろう。
フォト
子供心に、非常に怖かったのを記憶している。
そして、その意味も分からず「アンポ・ハンタイ!アンポ・ハンタイ!」
というフレーズが脳裏に刻まれた。

暮れにテレビの「今年の出来事」的な番組を見て、
ローマオリンピックの聖火台を見た。
この時、最初にオリンピックという大会を
知ったのかも知れない。

11月、JFケネディが大統領に当選。
この時はまだ知らなかったが、
62,3年、ずいぶんこの人は日本でも
高く評価されていた。
20年に一度、アメリカの大統領選と
オリンピックが末尾0の年に行われるんだな。

日本の総理大臣は6月まで岸信介、7月から池田隼人。
私が最初に、日本の総理大臣と認識したのは池田からだ。

この年に大流行したダッコちゃんも、記憶にある(左画像)。

この年に生まれた有名人は、まず今上陛下
最初に芸能界にデビューしたこの年生まれの人は
浅野ゆう子ではないかな?(74年)、
あと高田みずえとか、大場久美子とかいたけれど、
各界で超大物は見当たらない。
旭富士が横綱になったくらいだ。

この年流行った歌は、西田佐知子の「アカシヤの雨にうたれて」
とかあるが、
やはり明るく平尾昌章 「ミヨチャン」作詞:作曲も平尾昌晃


レコード大賞は、「誰よりも君を愛す」和田弘とマヒナスターズwith松尾 和子

○1970年、中学2年に上がった年。

「1960年代から70年に移る時は時代って世の中が大きく変わった」
(BYユーミン「ルージュの伝言(というエッセイ集)より)
極めて同感。
学生運動の余波で、中学、高校の髪型とか服装が
自由になった。この時代の方が、今よりも自由だった。

私の中学でも、この年の春から制服がなくなった。
世の中が明るく、自由に感じた。
中学3年間でも、2年のクラスが一番、居心地が良かった。
しかしこれが学校のタガが外れる切っ掛けにもなった。
制服を廃止にしてから、風紀が乱れ、また制服を復活させた。

この年も、安保改正の年で、大きな反対運動が予想されたが、
それほど、大きな衝突はなかった。
ひとつには大阪万博があり、世間の関心がそれに向いた。
フォト
世間の関心から70年安保を遠ざけるために
万博を誘致したという話もある。(^^:
私も、夏休みに万博に行った。「月の石」とかは見なかったけれど。

サッカー部の生徒が話をしていたので、
サッカーのW杯があることを、私は初めて、
この年に知った。(メキシコ開催)

3月にハイジャック事件があった(よど号事件)
その後、来日したプロレスラー、ドンレオジョナサンの技を
「ハイジャックバックブリーカー」と名付けた(中央画像)。

総理大臣は、佐藤栄作。
巨人勝ち過ぎ(すでに日本シリーズ6連覇)、
これでアンチ巨人が登場した。
9月国際プロレス、デスマッチ敢行
フォト
日本でデスマッチをやったら、プロレスが終わる!
と言われたが、終わらなかった(苦笑)

レコード大賞は、菅原 洋一「今日でお別れ」だが、
そんなにヒットしていない。
この年の一曲は、岸洋子「希望」作詞:藤田敏雄、作曲:いずみたく


この年生まれの有名人は
工藤静香よりも、いとうあさこが今年50歳と言うのが注目
あと羽生 善治(国民栄誉賞受賞)

○1980年
前述ユーミンの言葉に続き
「70年代から80年代は、全然変わらないだろうと思ったら、
やはり変わらなかった」
これも同感だが、69年から70年になる時、私は13歳、
彼女は15歳、多感な時期だから変化を鋭く感じたきらいもある。

私は、学生最後の年だった。
夏から秋にかけ車の免許を取ったり、就職活動をして、
何とか潜りこめた。
大平 正芳総理大臣が6月に急死。鈴木善幸がその後を継いだ。
・ウオークマン
・タケノコ族
フォト
・モスクワ五輪ボイコット。
マスコットの熊は可愛かったんだがね。
フォト
・アメリカ大統領選、元俳優のレーガンが当選

歌謡界はヤング勢が活躍。トシちゃん、聖子(右画像)、
私と同年代のシャネルズもデビューしたが、不祥事を起こして謹慎。

山口百恵は引退「さよならの向う側」

作詞:阿木燿子; 作曲:宇崎竜童

レコード大賞は、八代亜紀の♪雨、雨、ふれふれもっと降れ」だが、
この年を境に同番組の視聴率がどっと下がった。
(79年43%→80年33%以降、右肩下がり)

広末涼子、優香、小池栄子、井上和香、
この辺のアイドルが今年40歳か!?
男性は嵐の大野 智
位置情報大野智、家族への思い初告白 嵐メンバー・ファンへの感謝も語る
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=137&from=diary&id=5924164

では、来週は1990年、2000年、2010年を。





24 31

コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年01月03日 22:12
    こんばんはわーい(嬉しい顔)。ダッコちゃん、ウチにもありました。懐かしい。1970年はウチの学校の割と近くで三島事件が。騒然としてました(^_^;)。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年01月03日 22:13
    レコ大は、エェ〜〜〜〜ッ!と思う受賞者が多かったですよね。

    確か、雨の慕情/八代亜紀 が受賞した年も五八戦争と呼ばれて五木ひろしと争ってたのを覚えてます。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年01月03日 22:13
    非常に圧縮した日記ですね。
    蟹座さんと生まれが数年違うと、かなり違うと実感します。
    僕は総理大臣は佐藤栄作からしか記憶にないです。
    日本が上に向かってゆく時代でもありました。子供ではありましたが、未来に明るい希望を抱いていました。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年01月03日 22:54
    僕は1958年1月の早生まれ。 なので、蟹座さんから学年は一つだけ下ですが、実年齢は2年弱下です。

    この日記を読んで思ったのは、同世代と言えどけっこう違うと言えば違うということでした。

    まず1960年のことについては、その頃明確に物心がついていたであろう蟹座さんと違って僕はほとんどまったく記憶がありません。 自分の身の回りのこと、家族とのことなどならそこはかとなく覚えていますが、生まれて2年かそこらの身でここにあげられた社会現象が記憶に残っている人がいたら、神童の類いだと思います。 そりゃあ、ダッコちゃんも池田勇人も60年安保も知識としては知っていますし、自分が生まれた後の出来事なのでなんとなく実際にも知っているように錯覚しがちですが、冷静に胸に手を当ててみるとリアルな記憶は皆無です。

    一方、僕は1970年に中学生になって、浪人も留年もしなかったので80年3月に大学を卒業しました。つまり70年代の頭から尻尾まで学生時代だったピュアな70年代世代です。

    で、たしかに自由にやっていました。受験勉強一筋、四当五落の修行僧みたいな生活を送ったのは高三の1年間だけで、あとは仲間とダベって酒呑んだり、コーヒーやコーラ飲んだり、タバコ吸ったり、漫画読んだり、小説読んだり、映画見たり、(たまに)デートしたり。 この時代に皮膚呼吸的に吸い込んでいた音楽は歌謡曲でもフォークでもロックでもジャズでもクラシックでも聴いただけでジンとくるものがあります。

    そして1980年。。この年にサラリーマンになりまして。。今でも続けているので、はや40年。 人生の中で圧倒的に長い歳月になりました。^^;

    すいません、自分史みたいなコメにしてしまって。あせあせ(飛び散る汗) 

    次は90年、0年、10年ですか。 自分にとっても蟹座さんにとっても30代以降の節目節目ですね。 少年時代から青春時代になった60、70、80年よりもせちがらいけど、親のすねかじりではない一応は一本ドッコでやってた節目な感じがします。^^
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年01月03日 23:05
    節目の年代、60年に大鵬が入幕して、柏鵬時代になり、日本が高度成長時代の時は、昭和では、一番、勢いがあったかなと思います。70年の万博は行ったけど、覚えていないです。70年代は、歌謡曲第一期黄金期だった様な気がします。80年は、クリスタルキングやシャネルズ、トシちゃんや聖子ちゃん、マッチなど新しい風が来た様な感じがします。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年01月03日 23:09
    > mixiユーザー 
    ダッコちゃんは、明けて61年頃かも知れませんが
    近所の年上の子が腕に付けていたのを覚えています。
    ちょっと上ではなく、10代終わりの、その時の
    私から見たら十分大人の人ですね。

    三島由紀夫事件ですか!?
    11月ですね。
    あの日、放課後のホームルームで
    担当の先生が、雑談的に「作家の三島由紀夫を知っているか?」
    「市ヶ谷の自衛隊駐屯地で割腹自殺したそうだ」
    と言っていましたが、皆、三島を知らないようでした。
    私も名前を聞いたことがある程度あせあせ
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年01月03日 23:19
    > mixiユーザー 
    レコ大で、一番意外だったのは
    72年、小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」(72年売り上げトップ)が
    最有力でしたが、ちあきなおみの「喝采」に
    かっさられことですね。
    ←(喝采と「かっさられた」を引っかけています(^^:
    あの曲は、リリース(9月10日)から受賞(12月31日)までの
    3か月が、最短記録だそうですが、受賞の時点では、まだ世間に
    浸透してなかった(売り上げもそう伸びていない)と思いますよ。
    思うに、やはりデビュー2年目の小柳には大賞は早い、
    という判断もあったのかと思います。

    >五八戦争、五木ひろしと争ってた
    いや、いや、五八戦争とは五輪真弓(恋人よ)と八代の争いですよ!
    、、と思って、検索したら、やはり五木だったんですね!
    今の今まで、五輪だと思っていました(^^:

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年01月03日 23:33
    > mixiユーザー 
    池田隼人が最初に知った総理大臣で
    日本で一番偉い人なんだな、と思いましたよ。
    実際、貫禄はありますね。
    彼の決め台詞「私は嘘は申しません!」というのも
    憶えています。
    1960年の安保闘争が終わって、61年〜63年高度成長期、
    そして64年の東京オリンピックに向けて、
    日本が躍動していたのを
    子供ながらに実感していました。

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年01月03日 23:49
    > mixiユーザー 
    私より一学年下の人は
    東京オリンピックの年に小学校入学、
    大阪万博の年に中学入学、
    高校入学の年にオイルショック、
    と節目に大きなイベント(事件)が起きた、
    と漫画家のとり・みきが書いていました。
    で、ストレートに大学を卒業した年が
    1980年というのも
    キリが良いですね。

    1970年〜80年は、色々なことが起きましたが、
    2000年まではともかく、もう2010年は、
    単なる通過点でした。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年01月03日 23:58
    > mixiユーザー 
    大鵬は、’60年1月場所、19歳で入幕し、
    翌61年の7月場所に横綱昇進。当時、最年少横綱記録。
    凄い出世ぶりですね。
    でも、名前は知っていましたが、その頃、
    私は相撲に興味がなく
    取り組みを見たことがないんです(^^:

    >70年代は、歌謡曲第一期黄金期
    そうですね!
    大晦日のレコード大賞授賞式の視聴率も、
    77年のジュリー受賞50%をピークに
    軒並み40%越えの優良コンテンツでした。
    それが80年代になると、ガクッと下がるんですよ。

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年01月04日 00:00
    > mixiユーザー 私は、阿久悠さんの詩が好きでした。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年01月04日 00:04
    > mixiユーザー 
    私はシンシアの詞の有馬三恵子と安井かずみ
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年01月04日 00:06
    > mixiユーザー 安井かすみさん、ジュリーの追憶とかですね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年01月04日 00:09
    ロカビリー歌手から作曲家になり「ミヨチャン」のレコードを出したりと〜甘い声の平尾昌晃でしたよねぇ〜♪
    岸洋子さんの「希望」は良い歌でした。一度だけカラオケスナックで歌ったら、音域が結構難しくて〜それ以来歌っておりません。(笑い)
    山口百恵さんが引退する時に「夜のヒットスタジオ」で歌い終わるとマイクを床にそっと置いたシーンが今でも思い出されますカラオケ
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年01月04日 00:26
    > mixiユーザー 
    そう!特にジュリーの70年代前半の曲、
    「胸いっぱいの悲しみ」とか好きです。
    この人は、60年代後半から活躍して、
    もう70年代後半は失速していましたね。
    昭和40年代で括った方が良いかも知れません。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年01月04日 00:28
    > mixiユーザー 
    まぁ私も平尾昌晃は作曲家の
    方のイメージが強いんですが、
    後年、畑中葉子のデュエットで
    歌手カムバックしましたね。
    山口百恵は、70年代の歌謡界黄金期を
    駆け抜けたと思いますよ。

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年01月04日 01:15
    ミヨチャンって曲、改めてちゃんと聴きました。
    この曲やったのか!ほぉ、そうだったのか。
    なるほどなあ。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年01月04日 02:19
    歴代総理大臣の中で、唯一目の前で見たことがあるのが佐藤栄作です。家のそばの歯医者から出てきて、手を振りました。現役の首相だったので、その場にいた人は拍手したと思います。
    山口百恵は同期生なので、ひと夏の経験からファンになり、若くして結婚、その後テレビに出てこないのが伝説的で良いです。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年01月04日 06:10
    > mixiユーザー ザ・ワイルドワンズの加瀬邦彦さんとも組んでらっしゃったですね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年01月04日 09:31
    子供の頃、両親に万博連れて行ってもらった懐かしい記憶が(^O^)。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年01月04日 12:25
    > mixiユーザー 
    >ミヨちゃん
    ザ・ドリフターズも1969年にカバーしています。
    https://www.uta-net.com/movie/10962/
    というか、これを聞いて、私は
    「なんか昔、聞いたことがあるなぁ」
    と思ったものです。
    で、オリジナルは、その時、作曲家として
    活躍していた平尾昌晃と知って驚きましたよ。


  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年01月04日 12:33
    > mixiユーザー 
    実際に見てはいませんが
    比較的、家の近所に住んでいた総理大臣は、
    本文でもちょっと触れた1980年就任の鈴木善幸。

    一応、最寄り駅の(と言っても歩いて15分は掛かる)の
    小田急線経堂駅の向こう側に住んでいたようです。
    80年の秋頃、その辺を歩いていたら、やたらと警官が
    いたのを覚えていますよ。

    まあくんのパパさんは山口百恵に限らず
    「花の昭和33年組」と同級生ですね!
    そのひとり、森昌子も昨年末で引退しましたが、
    引退後は姿を見せない方が
    良い思い出は残りますね(^^:

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年01月04日 12:47
    > mixiユーザー わしも、ドリフで聞いてました。
    平尾はロカビリアンなのでもっとロックンロールな曲かと思いきや、これだったのですか。(笑)
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年01月04日 20:49
    > mixiユーザー 
    そう!ジュリーは70年代前半は
    加瀬邦彦&安井かずみの曲が多かったんですね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年01月04日 20:50
    > mixiユーザー 
    万博に行かれましたか!?
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年01月04日 20:52
    > mixiユーザー 危険な二人とか軽快な音楽ですねるんるん
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年01月04日 21:00
    > mixiユーザー 
    「ミヨチャン」は、まぁ歌謡曲ですね。
    1960年前半、
    元ロカビリー歌手といったら
    柳家 金語楼の息子、
    山下敬二郎と、ミッチ―カーチスは
    時々、テレビに出演していましたが、
    平尾昌章は、もう作曲家として布施明に
    「霧の摩周湖」とか提供していました。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年01月05日 04:27
    学生運動には何のシンパシーも感じないので、中学の時の先生が、「お前らが大学に行くときにはまたちょうど安保闘争で、大変なことになるぞ」と半ば嬉しそうに言うのを聞いて、鬱陶しい気分になったのを覚えています。
    まあ実際には何も起こらなかったわけですが・・・。

    僕の中では70年代が物事の中心になりますね。
    要するに青春時代だったということでしょう。
    それが薄まりながらもまだ熱を持っていたのが80年代。
    そして空疎で何もなかった印象なのが90年代になります。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年01月05日 21:11
    > mixiユーザー 
    私もそうですが、
    1955年〜59年頃生まれは、政治的には
    「しらけ世代」と呼ばれましたね。
    ただ、私達は、中学2年で、ちょっと意識の高い奴は、
    「憲法だけで国が守れるか?」
    「やはりアメリカに守ってもらわない」
    「いや、平和憲法を守るべき」と討論していました。
    私は現実的だから、自衛隊は必要だと感じていましたよ。

    >中学の時の先生が
    その先生、団塊世代では?
    まぁ、ガチガチに学生運動をやっていた大学生は
    教師になれなかったと思いますが(^^:。

    私にとって、70年代は、まさに青春でしたよ。
    80年代に社会人になったわけですが、
    この10年は、奮闘期でしたね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年01月06日 00:23
    60は全く分かりませんが、70年以降ならば何となく分かると思ってたのですが、分からないことばかりでした。
    制服が無いなんてスゴイですね。
    ウチの県じゃ未だにそんな学校はないです。
    最近坊主頭は無くなりましたが。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年01月06日 12:43
    > mixiユーザー 制服について言うと
    私が中学(区立)に入った時は、強制的な制服はなく、
    詰襟、女子はジャンパースカートが「標準服」
    という位置づけでした。
    だから、私服でも良かったんですが、
    皆、詰襟を着ていました。
    で、2年生になった時、標準服も廃止になり、
    完全自由になって、私よりひとつ下の学年は
    最初から私服でした。
    私達の代は、自由化になったのに、
    あまり私服は着ていませんでした。
    特に女子の方がその傾向が強かった。
    前に書いた日記ですが、中学の卒業写真
    このように、男子がチラチラとセーター姿が
    いるくらいでした。
    https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1965096384&owner_id=4597260
    修学旅行は、完全に私服でしたけれどね。

    でも、私の中学ばかりではなく、私服になると、
    また風紀が乱れたりして、
    制服が復活したんですよ。面白いものですね。

    私の世代は、坊主頭を強制されたことって
    ないですね(中学の運動部でも)

mixiユーザー

ログインしてコメントを投稿する

<2020年01月>
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031