「ちいさい秋みつけた」〜「かかってこんかい!」
「○郎」シリーズ、、
先月の「七郎」は、数が少なくてネタに困ったが、
「八」は末広がりで縁起が良いので、本名でないにしろ
「八郎」の有名人は多い。
私が子供の頃に春日八郎
と
井沢八郎
という有名歌手がいた。(二人共芸名)
それぞれ「お富さん」「ああ、上野駅」というヒット曲があるが、
小学生の私にとっては、さほど魅力のある歌手ではなかった。
というか、、春日は、もうその時点で「懐メロ」歌手だな。
後年、工藤夕貴が井沢の娘と公表し驚いた。
サトーハチロー、詩人・作詞家(本名は佐藤 八郎)
「ちいさい秋みつけた」は小学校の音楽の教科書にも載っていた
歌謡曲でも、戦後初の大ヒット曲
「リンゴの唄」(歌唱・並木路子)を始め、
「悲しくてやりきれない」フォーククレセーダス68年3月
も記憶にある作曲:加藤和彦
東八郎、これは2人いる
まず、フィクションだが、漫画「8マン」の正体
というか「表の顔」
普段は探偵、東八郎(左画像)だが、
事件が起きると8マンとして活躍する。
「八郎」とは「8」から取ったのだろう。
この日記上、唯一の2枚目の八郎。
もうひとりの東八郎は、実在のお笑い芸人。
トリオ・スカイラインのリーダー。東 貴博の父親。
この人は1965年頃のお笑いブームでテレビに出て来た。
私は最初、「8マン」から名前をパクったと思っていた。
つまり、三枚目なのに、わざと格好良い8マンの登場人物の
東八郎と名乗って笑いと取ろうとした、と思ったんだが。
コメディアン東は「8マン」連載開始(’63年)以前に
八郎と名乗って芸能活動をしていたようだ。
そして漫画「8マン」も、芸人、東八郎とは関係なく、
同姓同名の探偵を登場させたようだ。
つまり偶然の一致。
タコ八郎(中央画像)
元プロボクサー、引退後お笑いタレントに転向
ボクサー時代のパンチドランカーの影響で、
芸でボケているのか、本当にボケているか、
分からない危ないタレントだった。
1985年にたこ八郎が海で亡くなったとき、
ビートたけしが
「たこが海に帰った」には名言になっている。
そのたけしも、
「27時間テレビ」昨年の歴代最低下回る5・8%
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=8&from=diary&id=5852068
田中八郎
元プロレス団体オーナー。
古いプロレスファンなら、名前を知っていると思う。
この人、メガネスーパー社長で、大変なプロレス好きでもあった。
それが高じて、1990年春に多額の資金を投入して、
プロレス団体(SWS)を作ってしまった。
しかし、天龍ら全日(馬場が社長の団体)の選手を
多量に引き抜き、全日寄りのマスコミに叩かれ、
また引き抜いた選手も内部分裂を起こし
旗揚げから、わずか1年半で解散。その間、
つぎ込んだ資金は60億とも90億とも言われる
。
私は、90年の暮に、そのSWSが新横浜の試合を
見に行った。しかし、会場が分からない。
ふと見るとメガネスーパー店があった。
そこなら分かるだろうと、入店して店員尋ねても
、要領を得ない、と。その時、店にいたスーツを着た
中年男性が答えてくれたが、よく見ると田中八郎社長だった。
「田中八郎さんですか?」と聞いたら、うなずいた。
一時は、プロレス雑誌の表紙を飾った(右画像)。
私は東八郎(コメディアン)に似ていると思った(苦笑)
岡八朗
吉本新喜劇のコメディアン、
私は東京人なので、そう思い入れはないが、
それでも奥目で「くっさー」
(引け腰の弱そうなポーズ)、「かかってこんかい!」
のギャグは知っている。
歴史上の人物では
大塩平八郎と東郷 平八郎
宅八郎
オタク評論家。
前述したタコ八郎のタコと「オタク」の「宅」を
掛けたのだろうが、この男も危なっかしい。
まぁ、テレビに出なくなって久しいが。
なんか10年前にmixi上で、殺害予告を
して逮捕されたんだよね。
起訴はされなかったようだが。
今回は、一癖も二癖もある男ばっかりだなぁ。
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