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mixiユーザー(id:4597260)

2019年10月11日22:10

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大阪で生まれた異邦人〜昭和歌謡126昭和54年後半〜真夜中のドアを開けたら大都会

〜ほほにキスして、ジュリーがライバル〜

では、年代別歌謡曲シリーズ、昭和54年後半(発売日が7月1日以降)

るんるんまず!「異邦人 -シルクロードのテーマ」久保田早紀(作詞・作曲も)
10月1日(発売日、以下同じ)
https://www.youtube.com/watch?v=ri5JPrSHWS4



三洋電機のCMに使われたこともあり、この年の暮には大ヒットした。
久保田早紀は、女性アイドル大豊作の昭和33年度生まれ。
ルックスも良いし、作詞・作曲も出来る。
大スターになると思ったら、「一発屋」で終わってしまった。
レコードリリースが遅かったためか、ニューミュージック系のためか
この年の新人賞にはノミネートもされなかった。

ムード「大都会」クリスタルキング、11月21日
作詞:田中昌之・山下三智夫・友永ゆかり / 作曲:山下三智夫

『世界歌謡祭』グランプリ受賞曲

https://www.youtube.com/watch?v=70IOvLdhEWg

るんるん「ほほにキスして」水越 けいこ7月1日
作詞・作曲:伊藤薫

♪ほほにキスして、そしてさよなら、今度会う時は笑顔で♪
オリコン最高33位だからヒット曲ともいえないが、
なぜか記憶に残っている。
水越けいこ、この時25歳。結構綺麗な人だと思った。

この人、WIKIを見ると3歳で母親、中学2年で父親を亡くし、
小学4年で家を全焼と、過酷な人生を送ったんだな。
その後、結婚して出産した子がダウン症、離婚して
シングルマザーというのは聞いていた。

ムード「大阪で生まれた女」BORO作詞・作曲:岡山準三&BORO8月1日

これまたインパクトの強い曲だった。

ムード「SEPTEMBER」竹内まりや8月21日
作詞:松本隆 作曲:林哲司

53年11月にデビューした竹内まりやの3枚目のシングル。
前2曲に比べ良い曲だと思ったが、オリコン39位で、
「ザ・ベストテン」にもランクインしなかった。

ムード桑名正博「セクシャルバイオレットNo.1」7月21日

作詞:松本隆 作曲:筒美京平の強力コンビ
前年ブレイクしたツイストの世良公則に次いで大阪から
来たロッカーという感じだった。

るんるん「ジュリーがライバル」石野 真子9月25日
作詞:松本礼児/作曲:幸耕平

外国のタレントを曲の題名にすることはあっても
(例:「アル・パシーノ+(たす)アラン・ドロン<(より)あなた」)
現役の日本の歌手の名前を出すとは大胆だった。

↑のyoutubeも、石野真子は、「カサブランカ・ダンディー」用の
ジュリーの衣装そのもので歌っている。
まぁ、当時、ジュリーは格好良い男性の代名詞ということで、
許されたんだろうが。
西城秀樹が♪ジュリーがライバル、撃ち落とせ、ライバル♪
なんて歌ったらシャレにならない(^^:

その秀樹だが、上半期に「ヤングマン」という大ヒットを
飛ばしたが、外国曲(ヴィレッジピープルの{YMCA}カバー)
だからレコード大賞は獲れないと言われ、後半期に
「勇気があれば」をリリースしたが、今ひとつだった。
というか、「ヤングマン」がピークで、だんだん下降線を
描いて行った。

ムード「関白宣言」さだまさし(作詞・作曲も)7月10日
いや、これは大変に話題になったということで


るんるん「真夜中のドア〜Stay With Me」松原 みき11月5日
作詞:三浦徳子 、作曲:林哲司

個人手に好きな曲。
BORO、桑名、そしてこの松原みきも大阪出身なんだな。


一時は、社会現象になったピンクレディも、もう下降線だった。
この年にリリースした曲は、オリコン1位を取れなかった。
7月リリースの「波乗りパイレーツ」が4位なのはまぁまぁとして、
9月の「マンデー・モナリザ・クラブ 」14位、
12月の「DO YOUR BEST 」が36位って、この曲、覚えてもいない。

ムード最後の曲は
「安奈」甲斐バンド作詞・作曲:甲斐よしひろ10月5日

前半期に「HERO(ヒーローになる時、それは今)」の
ヒットを飛ばしたが、それとは違い、しっとりとした名曲。


手(パー)他にも、この年の後半、名曲があるだろうが、
基本的に私が好きではない曲はアップしないので悪しからず(^^:。

昭和54年、西暦で言えば1979年で、
翌年80年になると、歌謡界の勢力図も大きく変わった。

ちなみに、昭和54年と言えば、少年マガジン創刊20周年の年。
あの時、まだ20年だったのか!?
ラインアップは、「おれは鉄兵」(ちばてつや)、「1,2の三四郎」(小林まこと)
「釣りきち三平」(矢口高雄)、「翔んだカップル」(柳沢きみお)、
「四角いジャングル」(中城健&梶原一騎)「フットボール鷹」(川崎のぼる)
「少年時代」(藤子不二雄)等
↓にはランクインされていないが、傑作ぞろいだった。

位置情報マガジン史上最高だった漫画ランキング
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=45&from=diary&id=5822357
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コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月11日 22:35
    大都会は昭和54年11月にリリースされたのですね。ベストテンでは55年の年が代わってからと記憶しています。

    水越けいこさんのほほにキスしてはたまにカラオケで歌います。私の中でお姉さん的な存在は竹内まりやさんと双璧ですかね。

    昭和54年は季節の中で、ヤングマン、いとしのエリー、燃えろいい女などビッグヒットが多かったと思います。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月11日 22:50
    ちょうど40年前のリリース曲ですね。どれも懐かしいなぁ(^O^)
    Stay with me 真夜中のドアを叩き 帰らないでと泣いた〜松原みきのクセのある歌い方が印象に残っています。

    ピンクレディ人気が収束し、聖子やたのきん登場前のこの時期の曲、結構好きです。

    まりやのSeptember、僕は好きでカラオケでもたまに歌いますが、チャート上はイマイチだったんですね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月11日 22:56
    水越けいこさんは、大阪朝日放送の「おはよう朝日です」という朝のワイド番組アシスタントでした。ちょうどその時に「ほほにキスして」が、出ました。私もとても印象に残ってます( ´ ▽ ` )
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月11日 23:28
    > mixiユーザー 
    発売日とヒットした時期は、タイムラグが
    ありますからね。
    10月1日発売の「異邦人」なんかも暮れに
    よく聞いた覚えがあります。
    >季節の中で、ヤングマン、いとしのエリー、燃えろいい女
    それは、前半期にリリースした曲ですね。
    「季節の中に」なんかは53年発売です。(^^:
    水越けいこさんは、人生で試練に立ち向かっていますねがく〜(落胆した顔)

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月11日 23:34
    > mixiユーザー 
    「異邦人」のような大ヒット曲ばかりではなく、
    売り上げは、今一つでも、思い出に残った曲を
    アップしました。
    「真夜中のドア〜Stay With Me」や「SEPTEMBER」は、
    昭和54年の秋を思い出しますよ。
    竹内まりやは、期待されましたね。
    この曲は、「ザ・ベストテン」に、あと一歩のところまで
    行ったと思いますが、届かなかった。
    その代わりに翌55年の春にヒットを飛ばします。
    それは、来年「昭和55年前半期」の日記で。

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月11日 23:37
    > mixiユーザー 本当、凄い試練に立ち向かっているのは、昭和29年と戦後幾年か経っていない世代の特徴かも知れないですね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月11日 23:39
    > mixiユーザー 
    >朝のワイド番組アシスタントでした
    そのようですね。
    東京の人間からすれば、そういう前触れはなく、
    いきなり「ほほにキスして」と言われ
    焦りました(^^:。
    あと、「真夜中のドアを開けて」とか
    言われても困るんですよね。
    竹内まりやは、「借りていた辞書に「LOVE」
    という文字を切り抜いて返す」って、ダメだろ!?
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月11日 23:42
    本当に名曲が多い時代でしたね。

    松原みき「真夜中のドア」歌謡史に残る大名曲だと思います。久保田早紀は謎のバッシングで人気が終わりましました。ピンクレディは「ジパング」からですかね陰りが見えたのは。そしてアメリカ進出がとどめを刺しました。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月11日 23:51
    > mixiユーザー 
    今もそうですが、この世代の芸能人って、
    子供の頃、苦労した人が多かった
    という印象があります。

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月11日 23:57
    > mixiユーザー 
    久保田早紀も、なんかで叩かれていましたね。
    新人女性アイドルが登場すると、なんだかんだで
    叩かれたり、変な噂を立てられます。
    天地真理が元ソープ嬢だったとか、麻丘めぐみは
    秘密少女売春クラブにいたとか、栗田ひろみは13歳の時、
    少女ヌードを撮らせていたとか、、酷いことを書かれるなぁ!
    と思ったら、栗田ひろみは本当だった!(^^:

    ピンクレディは、この昭和54年の秋くらいから、
    アメリカに進出したんですね。
    結局、日本での人気は落ちたし、
    アメリカでもそうは成功しなかったようですね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月12日 00:08
    > mixiユーザー 山口百恵さんとかも苦労人ぽいですね
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月12日 02:09
    この時大学3年、挙げられた曲は全て聞き、好きな歌です。麻雀・パチンコ・レコード鑑賞・映画鑑賞・スポーツ観戦・飲み会全開で、金がなくて新潮文庫ステーションで夏からアルバイトしました。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月12日 08:39
    昭和54年、1979年の暮れ。。学生生活最後の暮れです。

    で、当時のポップスシーンはなんといっても久保田早紀でした。

    僕が思い出すのは仙台は広瀬通りの交差点です。 ゼミの仲間数人で信号待ちしていたとき、一人がなんの脈絡もなく久保田早紀って美人だよなと言ったら。 皆がいっせいに、んだ、んだ、ニューミュージックじゃ珍しいと声をあげたのでした。

    あの頃のヒット曲ってそういうどうでもいい街角のワンシーンと妙に結びついて思い出になっている曲が多いです。

    僕はリアルタイム当時、アルベール・カミュのファンだったので、パクリのタイトルはいかんなあと思いましたが、あれは本人の意向を無視してレコード会社かなにかのスタッフが決めたそうですね。

    国立の街角に着想を得た歌詞でシルクロードとはなんの関係もないと共通マイミクさんから教えてもらったことがあります。

    はい、パウデルさんのおっしゃる通りでメロディーの方は持ってきてるみたいですね。 まあ、このジャンルは蟹座さんの方が詳しいですが、70年代当時の日本のポップス界はパクリ天国でしたから。 今もそうかな。^^
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月12日 09:18
    SEPTEMBER、これもう少し早く南沙織に欲しかった…と、まだ言ってます。すごく悔しいけど、最近「異邦人」「SEPTEMBER」も原田知世がカバーして、少し気が収まっちゃいました(笑)
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月12日 09:38
    カラオケでは70年代後半をセレクトするので
    全部歌えますがあせあせ
    異邦人は別格ですね♬
    迷い道、ガンダーラ、どれにしよう?と迷い、やっぱり異邦人かな!と(^。^)

    ピンクレディはカメレオンまでは踊れますが、確かアメリカ遠征行った頃から
    人気ダウンしたような、、、exclamation & question

    前に行った沼津の喫茶店にまた行きたくなりました
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月12日 12:27
    「虹とスニーカーの頃」もこの頃でしたっけ?
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月12日 12:41
    もう30数年前になりますか、自宅近くの公園にテレビカメラが多数。「撮影火」と思ったらブランコに久保田早紀と宇崎竜童が乗っていて対談を。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月12日 12:58
    > mixiユーザー 
    百恵がそうでしたね!
    だから、彼女、哀愁と根性があるんですね。

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月12日 13:04
    > mixiユーザー 
    私も大学三年生。
    9月末、中間テスト中でしたが、私の受ける科目は
    全て終わったので、金沢と能登半島に旅に出ました。
    その頃から、プロレスにハマっていましたが、
    生観戦はほとんどしませんでしたが、10月に
    蔵前国技館に猪木対T.J.シンの試合を見に行きましたが、
    最後は外人側が乱入の不透明決着。
    クラブ活動もこの年で、実質引退。
    来年は就職活動か!?と思っていた
    昭和54年秋から冬でした。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月12日 13:13
    > mixiユーザー 
    自作のデビュー曲がバカ売れしたけれど、
    その次から、バッタリ売れなくなったのは
    この曲と、小坂明子の「あなた」
    が双璧でしょうね。
    確かに「異邦人」は中近東風のアレンジと
    テレビのCMに使われてイメージが
    浸透したのが大きいでしょうね。
    アレンジなしで、メロディだけ聞くと
    ガッカリする曲ありますね(^^:

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月12日 13:20
    > mixiユーザー 本当、そう思います。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月12日 14:52
    > mixiユーザー 
    >学生生活最後の暮
    その時に大ヒットした「異邦人」には
    思い入れもあるでしょうね。
    私も、凄い新人が現れたと思いましたよ。
    やはり、そのタイトルから
    私もカミュの小説を思い浮べました。
    まぁ歌謡曲のタイトルは「勝手にしやがれ」
    とか「追憶」とか小説や映画から取ったモノがありますが。
    最初、あの歌のタイトルは歌詞の一部にもある
    「白い朝」の予定だったらしいけれど、
    それではインパクトが薄いですね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月12日 14:59
    > mixiユーザー 
    「SEPTEMBER」は、アメリカンポップスを
    彷彿としますね。「借りていた辞書」とか
    カレッジライフが舞台だし、昭和50年頃、
    「人恋しくて」とかクスンダ歌ではなく、
    こういう歌の方が似合っていましたよ。
    竹内まりやって、シンシアの引退と入れ違いに
    デビューしましたが、年齢や雰囲気(高学歴、バイリンガル)が
    似ているんですよね。竹内本人がよく間違えられたり
    「南沙織の二番煎じ」
    と言われて気分が悪かったとか。あせあせ

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月12日 15:28
    > mixiユーザー 
    「カメレオン・アーミー」(昭和53年12月)まで、
    オリコン1位だったんですね。その前の「透明人間」から、
    もうパワーダウンを感じていましたが。
    結局、彼女らの全盛期って2年でした。
    アメリカに進出しても、スターにはなれない、
    と思っていました。
    でも、まぁアメリカで冠番組を持った日本人タレントは、
    いまだに彼女らだけらしいですけれど。(^^:

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月12日 15:34
    > mixiユーザー 
    >「虹とスニーカーの頃
    確かに昭和54年7月リリースで、
    大ヒットしましたが、、、
    チューリップとオフコースは
    本文の最期に挙げた
    「他にも、この年の後半、名曲があるだろうが、
    基本的に私が好きではない曲はアップしないので悪しからず(^^:。)
    なんですよ。すみません。

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月12日 15:44
    > mixiユーザー 
    >久保田早紀と宇崎竜童が
    接点がない二人ですね。目
    宇崎竜童は、この頃は、もう歌手としてより
    作曲家として活動していたので、
    久保田早紀に曲を提供しようと
    したんでしょうかね?

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月12日 21:33
    石野真子好きでした。
    もちろん、この曲も振り付きで唄えます。

    ピンクレディでは「マンデー・モナリザ・クラブ」が一番好きでしたが、もう下降線の頃で寂しいです。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月12日 22:30
    > mixiユーザー 
    石野 真子 ちゃん、可愛いかったですよね。
    また、ちょっと奇抜な演出もありました。
    この「ジュリーがライバル」もそうだし、
    その前の「ワンダー・ブギ」では、
    バックダンサーの子供たちがケンカを始め、
    真子ちゃんが「やめなさい!
    やめなさい!」と止めるんですが、
    最初に見た時、
    本当にケンカを始めたと思いましたよ。あせあせ

    ピンクレディの「マンデー・モナリザ・クラブ」
    は、それまでのお子様向きではなく
    大人の歌に脱皮したようですね。

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月13日 16:28
    石野真子は最近でも戦隊モノに出ていましたが、相変わらず可愛いですよねえ目がハート
    50過ぎですよ。
    奇跡ですわぴかぴか(新しい)

    もしあの怖いお兄さんと結婚してなかったら、もう人気凋落していた天地真理から乗り換えていたかもしれませんね。
    実際写真集も買いましたしねほっとした顔

    しかしデビュー当時の歯並びも印象的でしたが・・あせあせ
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月13日 20:46
    石野真子は最初の結婚が長渕剛で、次が顔がきれいだけれど売れない役者でしたよね。その後が妻子ある人と同棲。しかも相手の奥さんも公認。彼が亡くなった時は、葬儀にも参列したんですよね。高倉健は彼女のために店を一見貸し切ったんですよね。それになぜか彼女は、キューバ?で大人気でキュ―バから招待されてるんですよね。彼女自身、高倉健にしてもキューバにしても、なぜ求められるのかが、わからないと言っていたと思います。あっ、今思い出したけど二番目の夫は広岡瞬でした。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月13日 21:09
    > mixiユーザー 
    >石野 真子
    50過ぎというより、
    1961年1月生まれですから、もうすぐ還暦ですよ!(^^:

    >怖いお兄さん
    1980年にブレイクした歌手ですね!?
    彼、デビュー前から真子ちゃんのファンで
    狙っていたそうです。
    この人も、色々とありましたね(^^:

    八重歯がチャームポイントになるアイドルは
    いましたが、彼女の場合は、ちょっと
    乱れ過ぎという気もしましたけれどね(^^:

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月13日 21:19
    > mixiユーザー 
    >二番目の夫は広岡瞬
    覚えていますよ。
    俳優だけれど、やはり、この昭和54年に
    売り出しましたね。
    ドラマは見たことがありませんが、
    何気なく、バラエティ番組や雑誌を見ていても、
    顔を憶えてしまいます。

    >顔がきれいだけれど売れない役者
    まぁ二枚目で売り出したんですから、
    端正と言えば端正ですが、
    男から見て、なんか気に食わない男でした。
    融通が利きそうもないというか、
    一緒に仕事をしたくないタイプです。
    だから、俳優としても大成しなかったのでは?

    広岡と離婚して、妻子ある人と同棲していた話は
    知りませんでした(^^:
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月17日 12:10
    昭和54年に長男が誕生したので、その年こんな曲が流れてたのかって感慨深いです。

    当時、甲斐バンドやチューリップ、松山千春などのニューミュージック系
    あと演歌もけっこう売れてた時ですね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年10月17日 21:36
    > mixiユーザー 
    私は、まだお気楽に学生をやっていました(^^:
    ニューミュージック系は、甲斐バンドとか竹内まりや、
    最後に、久保田早紀がドドーーンと登場しましたね。
    演歌は前半に、ヒット曲があったと思います。
    「おもいで酒」小林 幸子や「夢追い酒」渥美 二郎

mixiユーザー

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