〜あの狂乱物価も凄かったが、240円値上げって、、
さて!先週のビッグニュースは、なんといっても、
プロ野球のスーパースター、イチロー(左画像)の引退。
それに因んで、イチロー(一郎)をテーマに書こうと思ったら、
まず、この顔が浮かんだので、躊躇した。

イチローも、もう45歳。産まれたのは、
1973年10月だと記憶していた。
私は高校2年だったが、その頃は、オイルショックと狂乱物価で、
街にネオンサインが消えて、トイレットペーパー買い占めとか、
日本中が殺伐としていた。
あの時の値上げ幅も大きかったが、
このニュース、20円〜240円って、
絶対に24円の書き間違えだと思ったんだが、
240円値上げって、、セットか何か?

■びっくりドンキー値上げ ハンバーグなど20〜240円
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5554590
さて、イチローの誕生日は、10月22日
その日に起きた出来事は、プロ野球では、
セ・リーグ最終戦、甲子園で阪神巨人戦が行われ、
勝った方がリーグ優勝。
阪神は、0対9で大敗。巨人はリーグ9連覇達成。試合後、
怒ったファンがグラウンドに乱入、巨人ベンチを襲撃する
など暴動を起こす。熱いなぁ!
しかしこの事件は、野球に興味がなかったので知らなかった。
昔は、競輪場とかで、よく暴動が起きた。こっちの方が
金が絡んでいるから熱くなったんだろう。
巨人も日本シリーズで(V9)なんて勝ち過ぎだよ!
その前後、
●10月21日 - 滋賀銀行女子行員9億円詐取事件。
この事件の方が記憶にある!
1968年の暮に「3億円強奪事件」があり、その時、金額の
大きさに驚いたが、5年後とは言え、その3倍だからね!
それで、つまらん男に貢いだんだよな。
こういう銀行務めの女性が、横領する事件は、
その後も続いた。
21世紀になって、男の方が、キャバクラ嬢に6億、
会社の金を貢いだ事件もあったが。
●10月23日 - 江崎玲於奈のノーベル物理学賞受賞。
これはめでたいニュースだった。
日本人のノーベル賞は、やはり68年の川端康成の
文学賞から5年ぶり。
今、ノーベル賞は10月の第一週に発表されるが、
この時は23日だったんだな。
近年のように発表が近くなると、「今年は日本人のノーベル賞受賞なるか?」
「毎年、文学賞候補にあがるM氏は、どうか?」と話題になるが、
当時は、そんな雰囲気はなく、突然の受賞だった。
また、玲於奈(れおな)という名前がユニークで、それも話題になった。
今だったら、「またキラキラネームかよ?」と思われるだろうが、、
それと、江崎という名字も、この人と、江崎グリコの創業者しか知らない。
ありそうで、ない名字だね。
鈴木一朗(すずきいちろう)という名前は、
「一郎」だが、元の勤務先にいた。
鈴木という名字の社員は他にもいたので、
「一郎さん」と呼ばれていた。
この73年10月は、前述したように、オイルショックで
暗く殺伐としていて、流行った曲もシンシアの「色づく街」、
ジュリーの「胸いっぱいの悲しみ」、かぐや姫の「神田川」
といった失恋曲、悲し気な曲が多かったが、
(まぁ秋だからそういう曲が流行るのだが)

その中で麻丘めぐみ「アルプスの少女 」が
10月15日発売作詞:千家和也/作曲:筒美京平
これは、明るくメルフェンな曲だったなぁ。
♪お昼になったら、馬車が来る♪のところをバカが来る
♪私を迎えに彼が来る♪をカバが来る〜と茶化されていたが。
めぐみちゃん、この10月11日に18歳!

プロレス界では、この10月、
新日本プロレスは、最強タッグ戦開催14日蔵前、
猪木&坂口対Lテーズ&Cゴッチ
「最強タッグ」という名称は、新日が先に使用したんだ。
しかし、この時、テーズは57歳、いくらなんでも感があった。
全日は、期待のホープ、ジャンボ鶴田凱旋帰国。
9日やはり、蔵前でG・馬場と組んで、ファンクスに挑戦。
むしろ、同日行われたザ・デストロイヤー対ミル・マスカラス戦
に注目した。

一郎に話を戻すと、
翌74年さくらと一郎の「昭和枯れすすき」がヒット。
あまり好きではないけれど。
これも前年73年の秋に始まった不景気が
影響していると思うよ。
企業では、ずいぶん首切りをやったらしい。

古くは荒木一郎「今夜は踊ろう」(作詞:作曲も)‘66年
https://www.youtube.com/watch?v=KfhjZwwERXg。
この人も、一時、「ひとりGS」で人気を博したが、
69年2月に不祥事(わいせつ事件)を起こして干された。
私は小学校6年で、もうこういう事件が理解できる年頃だったので、
よく話題にしたこの人、顔つきかからして、ちょっとアイドルには遠い。
加山雄三のような爽やかさがない。
まぁちょっと不良性で売っていた面はあったが。
●財津一郎
子供の頃、人気コメディ「てなもんや三度笠」で
途中からセミレギュラーで登場した。
●茶川 一郎
喜劇役者、西川きよしの前に「目玉」といったら、この人だった。
●水木一郎(右画像
あまり思い入れはない。
風もないのに、なびいているマフラーが印象的。
●松井一郎
元大坂府知事、失礼ながら橋下徹の舎弟
という印象がぬぐえない(^^:。

漫画「アニマル1(ワン)」の
主人公の名前が東一郎。
彼は長男で、以下、二郎、三郎、と六郎まで弟がいる。
その下は妹のナナ子

浪人で、一年目を「一浪(いちろう)」と呼ぶ。
小学生の時、この言葉の意味が分からず、
「一浪をしています」とか言っているお兄さんは
「一郎」という名前に改名したのかと思った(^^:。

山田一郎
赤塚不二夫が、この平凡な名前に改名。
これも1973年の12月のことだった。
ほんのシャレでやったのだろう。
すぐに、また「赤塚不二夫」に戻したが。
●字が違うけれど、古舘伊知郎

あと、「○一郎」と付く人は
小泉純一郎
惣一郎さん
「めぞん一刻」で、音無響子さんの元夫(故人)、
漫画の中では、最後まで素顔が出なかった。
及び、彼女の飼い犬。
●天龍源一郎
●辰吉丈一郎
95年頃、イチローと共に日産のCMに出て
「俺も、ジョーイチロー」と言っていた。

意外と一郎って、ネタが少ない。
むしろ「タロー」の方があるみたい。
来月は、それをネタにしよう。
ちなみに俺と相方が初めて会った記念日です。
一郎と言えば、高校の一つ上の先輩が一郎という名前で、しょっちゅう「先輩一浪すんとちゃう」と茶化してました。
それが悪かったのか、先輩は見事一浪してしまいました。
でも、一浪して東大に受かったんですよ、凄いでしょ。
あの伊藤素子の事件を思い出しましたが、あれは80年代でしたかね。当時の9億円は、現在の90億円でしょうか
荒木一郎って、空に星があるように
それは大変でしたね!
しかし、私は家の近くのスーパーで
トイレットペーパーを並んで買ったという
記憶はありません。
学生目線で、値上げしたなぁ!と思ったの
ラーメンとか喫茶店のコーヒー。
買っていませんでしたが、少年雑誌などは
定価は変わらなくても、薄くなったのは
気付きました。
健太郎さんも、先生なら聞いたことがあるでしょうが、
受験で「現役偶然、一浪当然、二浪必然、、」
三浪から愕然、、四浪呆然、、と浪人年数が増えるにつれ、
○然が悲壮になります。
まぁ一浪くらいは、当然ですね。
それで東大に良ければ御の字固めですよ(^^:
そうですか!?
新日のシンボル、ライオン(レオ)から
取ったのかと思いましたよ。
江崎玲於奈先生が、ノーベル賞を受賞した時(73年)、
藤波は、新日の前座で、まだまだこれからの時でしたね。
玲於奈選手は、どうなんでしょうね?
デビューして、もう7年経ちますが、、、
橋本の息子と言い、、(^^:
そういえば、力道山の孫もいましたね。
>伊藤素子
三和銀行詐欺事件、‘81年3月、横領額は
1億8000万円で、額としては多くないんですが、
なぜか私も、この女性の名前は覚えています。
>空に星があるように
荒木 一郎のデビュー曲ですね。
私はあまり印象に残っていなんですが(^^:
彼の曲では「いとしのマックス」も有名ですが、
私は、「今夜は踊ろう」が好き。これは100万枚売って、
最大のヒット曲です。
私は「マックス」の方が売れたのかと思ったら、
「空に星があるように」の方が上のようですね(60万枚)
これを見てプロ野球のファンって怖いなあって思いました。
近鉄ファンもガラが悪くて、最下位で負けていたら、試合後にファンが事務所に怒鳴りたおしていたもんです。
言われても信じてしまいそう。
蛇足ですが、「れおな」の「な」だけ、「南」にしたと言っていました。
橋本が亡くなった時、青山葬儀場でのファン合同葬へ行きました。
そこでの大地君は、悲嘆にくれながらもしっかり挨拶して
くれたのが印象に残っています。
プロレス界があまりぶっとんだことができなくなったので、
プロレスラーもぶっとんだ人は少なくなりましたね。
最終戦、勝った方がリーグ優勝。
本拠地の甲子園で阪神が巨人に0対9で
大敗したら、そりゃ大阪のファンは怒るでしょうね(^^:。
プロレスでも、昭和の時代、
警官隊が出動し、翌日の一般紙に報道された
レベルの暴動は、いくつかありますが、
私は、昭和62年12月の両国暴動の試合は
生観戦しました。
しかし、暴動には加わっていません。
他のスポーツ、ギャンブルで暴動を
したことはありません
藤波の息子がデビューすると言っても、
体格はジュニアヘビー。それも父親よりも
小柄でしたから、そう期待はしていませんでした。
むしろ、橋本大地は、モノになるかな?
と思っていたんですがね。
デビュー時から、やたらと大物(蝶野、武藤)
と対戦したけれど、荷が重すぎましたよ。
ずいぶん、怪我も多くて、一回、新日の1・4ドームに
出場が決まっていながら、怪我でキャンセルになりました。
今、大日本プロレスで試合をしているんですね。
僕にとってのイチローは富永一郎。
名前に込めた意味もあとで知りました。
麻丘めぐみの〜アルプスの小女〜
1973年に4曲もリリースしてたんですね。
「森を駈ける恋人たち」もけっこう好きでした。
https:/
野球ファンにとっても波乱の時期でした。とくに古い虎ファンは忘れられないシーズンでしょう。10-10の引き分け試合のあと、9-0で敗れて優勝逃し、怒りを抑えられないファンがなだれ込んだシーンは私も忘れられません。
アイドル界では麻丘さんの全盛期ですね。波乱の世相の中で癒しを与えてくれた女性ですよ。
>「あるブス」はいるわ
人生幸朗・生恵幸子ですか?(^^:
>アルプスの少女
♪お昼になったら、馬車が来る♪の
馬車ところを「バカ」が来る
♪私を迎えに彼が来る♪彼のところを
をカバが来る〜とテレビで、
あのねのねが替え歌を歌っていましたが、
私はめぐみさんのファンなので、
あのねのねには、殺意を抱きました
でも、その前から、学校でも、馬車を「バカ」に
置き換えて歌っているのを聞きました。
まぁ、誰でも考えることは同じですね。
「私の彼は左利き」は、
「左巻き」に替え歌をされるし、
気の毒ですね。
可愛いから茶化されるんでしょう。
1981年、伊藤素子の三和銀行横領額は
1億8000万と、それ以前の73年滋賀銀行の9億、
75年足利銀行、2億1000万に比べて、
少ないのに、大きく報道された感があります。
ひとつには、この事件は初のオンラインを悪用したこと。
もうひとつは、犯行がバレそうになって、
女性銀行員が男に唆され、国外に逃亡し、
マニラで逮捕された点でしょうね。
>日本プロレスの清水一郎
聞いていたはずですが、正直言って、
印象が薄いですね。
スポーツ実況そのもので、淡々と語っていたと
思います。
まぁ、後年の新日の古館偉知郎や
全日の福澤 朗が弾けすぎた感はありますが。
あら!?そうでしたか!
73年生まれ、ざっと見まわすと
野球選手では、石井 一久、サッカーでは、前園 真聖
俳優では、金城 武がいますが、
プロレスラーではいません。
72年までは大谷とか真壁がいるんですが。
ああ!富永一郎を忘れていました!
「チンコロ姐ちゃん」とか「ポンコツおやじ」
むしろ、私の方が世代的に馴染みがあるのに、、
自身もテレビに出ていましたが、本当に漫画に
出てくるようなキャラでしたね。
93歳で、ご健在、水木しげる先生が亡くなって、
漫画家の最高齢ではないでしょうかね?
>次男だったんですね
ああ、その話、聞いたことがあるように
思いましたが忘れていました。
私の友人でも、男だけの三人兄弟の真ん中(次男)で
数字が入っていない名前なんですが、
弟が「○二」と次男のような名前なんです。
本人は子供の頃、悩んだそうですよ。
(本当の兄弟ではないにか?と)
>麻丘めぐみの〜アルプスの小女〜
歌い出しに「ヤッホー!」と掛け声を
掛けていた覚えもあります。
72年にデビューして、翌年も大活躍でした。
「女の子なんだもん」「森を駈ける恋人たち」
最大のヒットで、紅白で歌った「「わたしの彼は左きき」、
そして「アルプスの少女」ですね!
失恋の曲はなく、4曲ともラブラブで、
メルフェン調ですね。
あの昭和48年秋は、忘れません。
もう、世紀末と言った感じでしたね。
8年前の東日本大震災でも、スーパーの棚が
一時、空になったり、夜も街頭が自粛されて
暗くなりましたが、
あのオイルショックの秋を思い出しましたよ。
麻丘さん、72年デビューし、その年のレコード大賞
最優秀新人賞を獲得、73年は、「わたしの彼は左きき」が
オリコン一位、そして紅白初出場、と若手歌手では、
飛ぶ鳥を落としていましたね。
その余勢で、翌74年春、日劇でワンマンショーを
開催しますが、舞台裏で大怪我をするんですね。
人生、何が起きるか分かりませんよ。
そんなのありえない、剣道だって爺さんが体力ギンギンの壮年に勝てるわけがない。勝てないから引退しただけでなく、自分を討って名をあげたい若いのから避難するために山にこもったんだろという昔話ですが。
ルー・テーズ67歳とカール・ゴッチ(たぶん同じくらいの年齢)が猪木、坂口コンビと戦ったんですかあ。 ほとんど塚原卜伝的世界ですね。^^
空手の大山倍達が若い頃、修行で
山籠もりした話は、「空手バカ一代」にありますが、
あれは、戦後、倍達が進駐軍とケンカして
逮捕を逃れるためのものだったらしいですね。
確か、梶原一騎の自伝的漫画に、倍達が若き日の梶原に
そう告白する。さらに続け、「昔の武芸者の山籠もりも、
年を取り、過去に倒した武芸者の弟子に敵討ちを恐れて、
山に逃げ込んだ例が多い」と言われ「現実は夢がないなぁ」と
こぼしていました。
テーズは、73年の最強タッグ時では57歳でしたよ!
でも、さらにその二年後、シングルで猪木と対戦しましたが。
今、67歳というと、長州力が、昨年の12月で67になりました。
6月26日に引退試合をするそうですが、確か98年にも
一回やりましたけれどねぇ(苦笑)
ミル・マスカラスとか、ドリーファンクJRは、
75歳を過ぎても、まだリングに上がっています。
それにしても〜一郎さん って言う名前の著名人は多いんですねぇ〜〜
おじ3にとって〜【一郎】と言われると一番初めに思い出すのは〜断然野球の【イチロー】さんです
最近はあまり顔を見せませんが
小沢一郎は、「影の総理」でしたね。