〜華麗なる羽仁一族〜
先日キングトーンズの「グッドナイベイビー」を紹介したら、
この「ベイビー」を文字通り赤ちゃんのことだと思っていた、
というコメを貰った。
私は小学校入学前に、聞いて不可解だったのは、
「ルイジアナ・ママ」、
‘60年代アメリカンポップスで、日本では飯田久彦などが
‘62年にカバーした。
飯田氏自身は、そう記憶にないが、歌は覚えていた。
これもイカした女性のことを歌っているのは分かるが、
「ママ」=母親なのか?と思った。
♪あの娘(こ)は ルイジアナママ♪っていう歌い出しからしてオカシイ。
娘(こ)とママが相反する。
後で知ったが、その当時、恋人を「ママ」と呼ぶ俗語があったらしい。
飯田氏は、この曲の後、ヒットがなく70年代に
ビクターエンタテインメントに入社。
ディレクターとして松崎しげる、岩崎宏美、ピンク・レディーらを担当。
‘80年くらいに敏腕ディレクターとしてテレビで紹介されたのを覚えている。
40歳くらいだったが、さすがに元アイドル歌手、格好良かった。
その後、テイチクエンタテインメントの社長まで上り詰めた。

「ルイジアンナ」キャロル1972年
作詞:大倉洋一、作曲:矢沢永吉
初めて聞いた時は「ルイジアナ」だと思った。
これ、「ルイジアナ・ママ」からインスパイアしているよね。
また、キャロルというバンド名は、
キャロル・キングから取ったのかと思ったら
違った

。まぁ音楽性に共通点はないし。

話は変わって、3月6日
森山加代子さんが亡くなった(享年78)
世代的には、飯田久彦氏と同世代。
否、飯田氏に方が1歳(学年で2級)上。
やはり、‘60年に、「月影のナポリ」のカバー曲が大ヒットしたらしい。
これも曲だけは知っていた。むしろザ・ピーナツが歌っていたのを
微かに覚えている。
では、ミーナのオリジナルで。
やはり、迫力があるな!
それよりも、森山佳代子の歌で印象に残っているのは
♪らめちゃんたら、ぎっちょんちょんのパイノパイノパイ♪
これ、なぜか「まぁちゃんたら、ぎっちょんちょん」
と記憶していた。これ歌謡曲というより童歌というか、
「ずいずいずっころばし」に近いモノだと感じていた。
あと「じんじろげ」とか意味不明な歌を歌った、
当時としては、ぶっ飛んだキャラだったんだね。
で、森山加代子は、60年代初期にブレイクしたものの、
一旦、表舞台から姿を消し、それと交代するように
‘60年代半ばからフォークの女王、森山良子が登場した。
加代子が、70年に「白い蝶のサンバ」で復活した時、
私は、良子が物凄く弾けた曲を出したと勘違いしたものだ。
高峰秀子と三恵子、小池真理子と百合子、
阿川佐和子と泰子のように、同時期に、
そうポピュラーではない名字の人が活躍する
という法則があるんだな。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1954430867&owner_id=4597260
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1955611257&owner_id=4597260
加代子さん、「白い蝶のサンバ」がヒットしていた時、
私が当時住んでいた世田谷区上用賀に在住していたらしい。
同級生が見かけたとか。
私の中学の同級生は、近くに住んでいたじゅん&ネネのどちらかに
花を持って会いに行ったが門前払いを食らったとか、
プロレスのユセフ・トルコに判定の抗議に行ったが、追い返されたとか
(後にトルコ氏に聞いたら、そんな中学生は来なかったと)
そんな嘘くさい話ばっかりだが。

ところで!、舞踊家というより左翼運動家の
花柳幻舟も2月28日に橋から転落して亡くなったんだよね。
この人も1941年生まれ
家元制度に反対し、家元を刃物で切り付けたとか、
それが高じて、権威、最終的には天皇制反対の立場を取り、
天皇即位礼の祝賀パレードで爆竹を投げて逮捕され、
同じく反天皇を訴えた歴史学者の羽仁五郎とネンゴロになったとか、
年齢差(40歳)よく世の中を騒がす人だった。
確かに、反社会的な人だが、亡くなった時は、
もっと人となりがマスコミに紹介されても良いと思ったが、
どこも載せていないね。
これがちょっと意外だった。
私からすれば有名人なんだが、むしろ2月に、
なんか90歳くらいの女優が亡くなったようだが、
私は全く知らなかった。彼女が出たドラマ、全く見ていないもの。
かたや、花柳幻舟が逮捕されたというのはニュースになった。
映画にも結構、出ているし。
実を言うと、久本雅美を最初に見た時
「花柳幻舟」に似ている!と思った(^^:
で羽仁五郎の奥さんは夫人運動家、息子、進は
映画監督という華麗な一族。
その娘、未央( みお)=64年生まれは、
小学4年の頃(74年)、登校拒否を起こし、父親の進は、
それを容認というか「学校教育の方が間違っている」
とか言って、学校に行かせなかったのを覚えている。
まぁ権威に反抗した一家だが、当時は、こういう風潮が
「リベラル」とか「進んでいる」
とか評価されたものだ。
ついでにいうと、進と未央は、シンシアのファン。
揃ってファンクラブに入っていたと。
↓は、72年、フォーリーブスと共に
シンシアの誕生日を祝うの図。
青い矢印が進氏、赤い矢印が未央ちゃん。
未央さんは、50歳で夭逝したんだな。
進氏は、90歳で健在か!
しかし、あの華麗な羽仁一族も、もう昔日の輝きはない。
まぁ、人生無常だね。この人も↓。
日産どうなるんだよ!

ゴーン前会長 日産憂える発言
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=5535039
僕は、俳優のなべおさみが”なべちゃんたらぎっちょんちょんの〜”とCMで歌っていたので、これがオリジナルかと思っていました。オリジナルは大正時代の『東京節』、いやアメリカの軍歌とか!?
> 同じく反天皇を訴えた歴史学者の羽仁五郎とネンゴロになったとか
あぁ羽仁一族ね。羽仁進は左幸子と結婚し不倫して離婚。その娘の羽仁未央は(僕と同学年ですが)いやに大人びた発言をしていたなぁ〜と思ったら小学校の時からいわゆる登校拒否とか。自由学園に纏わる人たちは、生き方も自由だったわけですね(^^)
> なんか90歳くらいの女優が亡くなったようだが
佐々木すみ江さんではないでしょうか。ドラマの脇役でたまに拝見しましたよ。
「白い蝶のサンバ」を唄ってた人なんですね。
ぎっちょんちょんのパイノパイノパイというフレーズは聞いたことがありますが、それも唄ってたなんて驚きです。
でも、この「白い蝶のサンバ」、なんて言うんでしょう。今改めて聴くと、前奏から気持ちが良く早口での曲調もいい刺激になります。亡くなったのを知ってから何回も聞きました。
間奏の振りも特徴があって、井上順が真似して笑いをとっていましたね。
>なべおさみが”なべちゃんたらぎっちょんちょん
それは知りませんでした。
聞いたかも知れませんが、記憶にありません。
まぁ色々な人が歌ってようですね。
なぜか私は「まぁちゃん、、」で覚えています。
その方が歌いやすいと思いますが(^^:
羽仁未央はと同学年ですか!?
あの人と父親の進氏の教育方針は、一時、
ずいぶん話題になりましたよね。
それも、肯定派の方が多かったような印象があります。
そう!
佐々木すみ江さんとか、、、よく驚かれますが
私は、本当に日本の俳優は疎いですよ。
別に知らなくても恥だとも思わないし(^^:
一方、ルイジアナ・ママはもっと前に流行ったので自分の記憶にはないですが、当時の若者だった伊丹十三がエッセイに書いていたことが印象に残っています。
当時は漣健児の訳詞による日本語バージョンが先に流行った。で、最後のロニオリってなんだということで論争が起きたというのです。
オリオリ、ロリオリ、フォリオリ、フロリオリ等。。
で、ある日原曲を聴いてハタと膝を打った。どう間違いようもなく、フロム・ニュー・オルリーンズだったんですと。
そのエッセイには可愛いベイビーのナゾのことも書いてありました。 あの歌詞の中にスチャラカ・ベイビーという具合に聞こえる一節があるけどなんだろうということでやはり論争が起きた。 イチイチベイビー、七一ベイビー。。
で、レコードを買ってきてプリティ・リトル・ベイビーだとつきとめたそうです。
33年前に買って未だにとってあるジューゾー・イタミの「ヨーロッパ退屈日記」を本棚から出して確認しました。^^
私も、「森山」と聞いて、一瞬「良子」の方を
思い浮かべました。息子の良太郎が歌手として
成功し、母親の「良子」の名前も、出てきたので
やはり、こちらの方が有名でしょうね。
加代子さんの方は、近年、名前を見ませんし。
私も、「白い蝶のサンバ」で再ブレイクをしてから、
あの「ぎっちょんちょんのパイノパイノパイ」は
彼女が歌っていたのかと、後年知って驚いた口です。
私は、「白い蝶のサンバ」のイントロ、
中国の古い音楽を思い出しました。
劇で、中国が舞台の時、流れそうな曲想だと。
あと、「蝶になる」というのは、
その2年後、山本リンダの「どうにもとまらない」
♪ああ、花になる。蝶になる♪を聞いた時、
思い出しました。
作詞は、両方とも阿久悠ですが。
そう!飯田久彦の「ルイジアナ・ママ」は、
「フロム・ニュー・オルリーンズ」が
聞き取りにくいですね。
で、この歌は、明るく陽気ですが、この後、
知ったアニマルズの「朝日のあたる家」での
ニューオルオーンズは暗くて陰惨です(^^:。
私はストーンズの「黒く塗れ」
で「インディアン・サマーブロー(BLOW=(風)が吹く」だと
思っていたフレーズ、後で歌詞を見たら
「IN THEIR SUMMER blouse〔ブラウス〕だったので、
拍子抜けしたことがあります。
それから、やはり「ルイジアンナ」は「ルイジアナ」
に聞こえますよね。(^^:
残念ながら、私は羽仁進の映画は
見たことがありません
しかし、邦画に興味のない私でも名前は
知っていました。
後に、彼の作品「初恋・地獄編』は題名が格好良いな、
と思いましたよ。
そして、奥さんが、女優の左幸子でしたね。
娘も後に有名になり、本当に華麗なる一族でした。
シンシアは、吉田拓郎とか篠山紀信といった
有名人のファンが多くいましたが、
デビュー時の、いわば「広告塔」は、
羽仁親子でしたよ。
羽仁未央さんねぇ、、
彼女も帰国子女だから、日本の学校に
馴染めなかったんでしょうね。
と言っても、私の小・中学校にも、結構帰国子女が
いましたが、それで登校拒否をした子はいませんでした。
お父さんの進氏が、未央さんの学校を見学したら、
「本当にヒドイ!」と言って、在宅学習を許したのだから、
やはり問題があったのかな?
その後、彼女が30代くらいの時、テレビでレポーター
みたいなことをしているのを
見ましたが、数年前に訃報を聞き驚きましたよ。
平尾 昌晃も、ロカビリー歌手を経て‘60年に
「ミヨチャン」が大ヒットしたんですね。
私もオボロゲながら記憶しています。
山下 敬二郎は、なんといっても柳家金語楼の息子
というのが印象に残っていました(^^:
その60年代のカバー曲も日本語訳だけつまんでみると、微妙なものがあります。ルイジアナ・ママもそうだし、ミコさんの歌詞も直訳っぽいです。
「キャロル」の命名理由は、
「ただ言葉の響きが恰好良いから」
と、どこかで読みましたが。
それにしても、この頃から、バンド名に
女性の名前を付け始めましたね。
「ローズマリー」とか「レベッカ」とか「かぐや姫」
森山加代子さんの歌には
「ぎっちょんちょんのパイノパイノパイ」以外にも
「じんじろげ」という意味不明な歌があります。
https:/
この歌は、私もリアルタイムでは知らず、
後年、1972年頃、愛川欽也がラジオの深夜放送で
下腹部の毛の意味で使っていましたが、
大元はこの歌だったんですね。
>よく本人がOKしたものです。
どうでしょう?加代子さん、まだ若かったし、
面白がって歌っていたのでは?
>ミコさんの歌詞も直訳っぽいです。
「ヴァケーション」の歌詞で
♪マッシュポテトを水辺で♪という歌詞がありますが、
これはマッシュポテトというダンスを水辺で踊ろう♪
という意味ですが、私は「マッシュポテトを水辺で食べよう♪
だと思っていました。(^^:
当時の若者は分かっていたのかな?
私も見ました。
それは知りませんでしたが、、、
まぁよくある話ですね(^^:
でもその中で目立っていたのは森山加代子さんでしたよねぇ〜
蟹座さんのおっしゃる様に歌詞の言葉が面白い〜〜
おじ3は今でも「白い蝶のサンバ」を聴くと〜丁度高校生の時に運転免許を取得する為に通っていた自動車学校で、普通車の教習車に乗り、教官が面白い人で「今寒いか?・・・寒かったら、そこの大型用のS字コースに入れ」と言われ〜その大型車用の普通車では少し余裕のある道幅のS字コースで【切り返し】をやらされて〜その教官が「歌うたってやるからな。♪貴方に抱かれた私は蝶になる〜♫」と〜教習車のサンバイザーと屋根の間に当時の「明星か平凡」の雑誌付録である歌本を引っ張り出して〜歌ってくれた〜実に想い出深い面白い教官がいたのを思い出すのでありまする〜〜ww
Nおじさんは、‘60年頃のロカビリーブームは
リアルで記憶にありますか!?
>S字コース
ありましたね!
私は、それよりも
「坂道発進」が苦手でした。
幸運にも試験では,後退せずに一発で
発進できましたが。
歌詞は全く違いますが。
そう言えば森進一の「花と蝶」は男が蝶ですね。
生物学的(?)にはこっちが正しいかな
>ドリフのバイのバイのバイ」)
は、WIKIによると1976年発売ですね?
「全員集合」でも歌ったかと思いますが、
私は、その年、晩秋までテレビを見ていなくて。
「○○ちゃんたら、ギッチョンチョンで」
の○○にカトちゃんとでも入れたんでしょうね。
ドリフの歌は「全員集合」のエンディングは
デューク・エイセスの「いい湯だな」がオリジナルで、
これは知っていましたが、「ズンドコ節」とか「ツンツン節」
はオリジナリを知らずドリフのオリジナルだと思っていましたよ。