mixiユーザー(id:4597260)

2018年06月19日21:59

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初めてW杯を知った’70年〜ヒット曲不作の70年

〜アンドレもブッチャーも田嶋君も細かった70年〜

さてと、、サッカーサッカーワールドカップ(以降W杯)が始まりましたね。
日本は、予選通過(ベスト8)に進出できるかな?

日本が最初にW杯に出たのは1998年のフランス大会で、もう20年前か!?
この時、日本から飛行機で直行し、ホテルに泊まらず試合だけ観戦して
帰国する「弾丸ツアー」とか、観戦のために会社を辞めた人とか
マスコミに報道された。

まぁどの世界でもマニアはいるよね。
数年前AKB48のコンサートとかCD購入
(それも一曲に数十枚)で数千万使った中年男性も
紹介され、話題になったし。

手(パー)私が最初に、W杯を知ったのは、
中学2年の1970年の第9回メキシコ大会。
学校で、サッカー部と野球部の同学年の生徒がその話をしていた。
「決勝トーナメントに、どこそこが出て来るとは思わなかった」
とか言っていた。

当時は、テレビで中継していたわけでもないだろう。
せいぜい雑誌の情報だけだと思う。
私は、「サッカーにも世界大会があるんだな」と感じただけだった。
たいていのスポーツにはあるだろ?野球にはないけれど(^^:。
プロレスだってあるぞ!
その名もワールドリーグ戦、毎年春に行われていた。

‘70年は第12回。W杯は9回だから回数では勝ったな!
参加選手数は16人、その年のW杯参加国も16とこれは互角。
中でも話題になったのがG・馬場よりデカイ覆面選手、
ザ・コンビクト(左画像)それも「火星代表」だよ(^^:
開幕戦で高千穂(後のグレートカブキ)を圧殺したが、全くの木偶の坊!

衝撃70年は大阪万博の年、と共に「70年安保」だったが、
60年の時ほど、騒ぎにならなかった。
一説には、国民の目をを安保から逸らすために万博を誘致したとか。

目私の中学はサッカー部が強かった。
運動(球技)が得意な生徒はほとんどサッカー部に入ったものだ。
(私は違うけれど)
そして、私より一級下の生徒で、
この‘70年の4月に凄いホープが入部した。
よくサッカー部員が「あいつは上手い!」と賞賛していた。
田嶋幸三という生徒だ。彼が3年の時、関東大会で優勝した。
今の日本サッカー協会会長ね。
だが、彼はオカシナことを言ってる。
「私が中学に入った時、サッカー部がなく、仲間と一緒に作った」とか
http://global.innovations-i.com/article/63.html
いや、彼が入学した時、サッカー部はあったし、
彼が別の部を作ったとも聞いていない。

中学時代の彼は今のように太ってはおらず、格好良かったよ。
フォト
田嶋の同学年のサッカー部員で、非常に体格の良い部員がいた。
中2の終わり=私が中3の終わりで卒業間際の時点で、
身長180cm以上あった。
私の学年でも、バスケットボール部員で180くらいの
生徒はいたが、それよりも高く、無論、教師を含めて学校で
一番長身だったのではなかったかな?
身長もさることながら、横幅もシッカリして、
もうすっかり大人の身体付きだった。
ただ、彼がその後、サッカーやその他のスポーツで
有名になったという話は聞かない。がく〜(落胆した顔)

人影先ほどのコンビクトも含め、70年には、
G・馬場より長身のレスラーが3人来日した。
残りの2人は、アーニーラッドとモンスターロシモフ
(後のアンドレ・ザ・ジャイアントだ。

ラッドも大いに期待したが、ちょっと外れた。
ロシモフは、馬場とは別の団体(国際プロレス)に参加して、
それほど話題にならなかったが、長身なだけで
身体はヒョロとしていた。(右画像)
その後、あれほどブレイクするとは思わなかった。

もうひとり、この年に初来日したアブドラ・ザ・ブッチャーも細かった。
フォト
私は、9月に行われた馬場とブッチャーの選手権試合、
台東区体育館に見に行った。

るんるん歌謡曲は、グループサウンズの終焉(69年)と
ニューアイドルの登場(71年)の間で
低調だったという印象がある。

その年のレコード大賞が菅原洋一「今日でお別れ」
確かに、菅原洋一は歌唱力はあるが、この曲は30万枚の売り上げ。
大ヒットとは言えない。

この年のトップセールスは、
渚ゆう子の「京都の恋」詞: 林春生、作曲: ザ・ベンチャーズ5月リリース

これも、85万枚と1位にしては低調だった。
そして、なぜか渚ゆう子は、レコード大賞の候補(歌唱賞)に選ばれず。
あと、次位が、ドリフのずんどこ節(80万枚)、これは歌謡曲とは言えないし。
3、4位は、藤圭子の「女のブルース」と「夢は夜ひらく」、両曲とも75万前後。
ただ、藤も新人のためかレコード大賞には候補から漏れ、
新設の日本歌謡大賞を受賞。

ペン後年、漫画「孤独のグルメ」で主人公が、
自室でコンビニで買った食物で夜食を摂る時、
ラジオを掛けて、流れてきたのが渚ゆう子の曲、
それに対して「とほほ、、渚ゆう子か?」
というセリフは失礼だと思うよ。あせあせ
フォト
ちなみに、その時の曲は「京都の恋」ではなく「京都慕情」、
こっちもしっとりとして良い曲だよ。


手(パー)さてと、、この日記、
日本対コロンビア戦、ハーフタイムにアップした。
前半、初っ端からコロンビアの選手が一人退場、
日本PKで先取点を取ったが、その後、追いつかれた。
後半どうなるのかな?


位置情報■【速報中】香川、先制のPK弾 コロンビア、1人退場
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5163005
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コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2018年06月19日 22:29
    モンスター・ロシモフは、女性を4人担いでいた写真が凄いレスラーだと思いました。私も30代半ばに、キャンプで、小学校1年の女児を左右に2人づつ、計4名をぶら下げた事ありますが、ロシモフは、凄いと思いました力こぶ
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2018年06月19日 23:03
    > mixiユーザー 
    >女性を4人担いでいた写真
    ↓に貼られている写真でしょうね。
    https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13149425118
    この時は、もうアンドレ・ザ・ジャイアントと名乗っていたと思います。
    初来日前のロシモフは、その宣伝写真は、女性をひとり
    抱えている写真でしたが、それでもずいぶん長身だと
    思いましたよ。
    でもやはり身体は細かったんですね。
    まぁG・馬場も細かったけれど(^^:

    >私も30代半ばに、キャンプで、小学校1年の女児を左右に2人づつ、
    >計4名をぶら下げた事ありますが
    かっちさんも結構パワーがあるんですね!目
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2018年06月19日 23:06
    渚ゆう子も藤圭子もいいですね。ベンチャーズの曲は、欧陽菲菲もいい曲です。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2018年06月19日 23:08
    > mixiユーザー グッド(上向き矢印)そうですね。この写真ですね。私も20代後半〜30代半ばまでは、トラックで、建築資材の搬入等の仕事していたので、肉体派でした顔(笑)
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2018年06月19日 23:33
    > mixiユーザー 
    藤圭子は、ずいぶんブレイクしましたが、
    暗かったですよ。
    中学生が好む音楽ではありませんでした。
    まだ渚ゆう子の京都2部作の方がやはり良かったですね。
    特に「京都の恋」はノリが良かった。
    翌年の欧陽菲菲の「雨の御堂筋」も乗れましたよ!
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2018年06月19日 23:33
    > mixiユーザー 
    そうでしたか!?
    今のお仕事も、パワーを使いますよね!?
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2018年06月19日 23:38
    > mixiユーザー そうですね。内職程度ですがたらーっ(汗)肉体労働が生きていると思います指でOK
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2018年06月20日 01:53
     テレビがない私が言うのもなんですが、日本は初戦を突破したのですね。同じマンションの隣人が、ウォーっと叫び声をあげてましたし、直後ウェブニュースで確認しました。
     ワールドカップのサッカー版があると知ったのは、実に、社会人になった1989年以降です。"We are the Champ"をいやと言うほど聞きました。

     1970年と言えば、小学校に入学した年です。
     そっかぁ…この年は歌謡曲は不作だったのですね。あの『黒猫のタンゴ』は前年リリースでしたね。でも、渚ゆう子の曲は好きでしたし、由紀さおりの『手紙』もカラオケで何度か歌ってます。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2018年06月20日 02:41
    渚ゆう子いいですよね。
    やはり京都二部作。
    本当に外人さんが作曲したのか?と思えるほど日本情緒にあふれていて、大好きです。

    ところでだいぶ前ですが、ラジオ番組の収録で、岡山のデパート近くにあるサテスタで喋っているご本人を見かけました。
    ヒットから十年くらい経ってたと思うのですが、偶然の目撃で、驚きましたねぇ。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2018年06月20日 06:26
    さすがですね。 なにがさすがって、渚ゆう子に触れたところで、「東京都内某所の深夜のコンブニ・フーズ」を持ってくる絶妙さです。

    ただ、僕はあれを初めて読んだとき、渚ゆう子に失礼とは思わず、むしろここでこれを持ってくるかあと妙に感心した覚えがあります。 

    なんというか、しっくりきたんです。 中年が独り深夜にコンビニでいろいろ買ってきて、仕事机の上に広げて、なんとなくウキウキして、ラジオをつける。

    あそこはそのとき流行りのJ−ポップとかじゃ決まらない。 ベタな歌謡曲の懐メロが似つかわしい。 それも、天地真理じゃ明るすぎるし、藤圭子じゃ暗すぎる。 ズンドコ節じゃ、おバカすぎる。  そこに「京都慕情」を持ってくる。

    「♪あのひーとの姿懐かしい」をBGMにして井之頭五郎が「トホホ、渚ゆう子か」と独り言を呟くシーンは、美人女優との別れのこととか今の侘しい独り暮らしのこととかが凝縮されてる感じがしましてねえ。

    しかも、ラストは「♪苦しーめないで、ああ責めないで、別れのつらさ知りながら」をバックにして、五郎が「俺・・いったいなにやってるんだろ」と心の中で呟き。 「♪遠い日は二度と帰らない 夕やみの東山」が流れる夜のマンションの外景のコマで締める。

    なんとも絶妙だと思ったのでした。

    ちなみに僕も昨日はコンビニの冷凍スパゲッティ他のボッチ飯でした。^^
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2018年06月20日 13:00
    渚ゆう子さんの歌は好きでしたが何故外国の人がこんなメロディー書けるのだろうと不思議に思ってました。
    何かの歌番組で歌っている途中で何故か泣き出して歌えなくなって(リアルタイムで観てました)その後あまりテレビで見かけなくなりました。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2018年06月20日 19:30
    > mixiユーザー 
    日本で、J リーグが発足したのが1992年でしたね。
    その時に、次回94年のアメリカ大会に出場
    というのが、大きな目標になっていたのは
    印象に残っていました。
    本番のアメリカ大会、アメリカもサッカーは盛んな国ではないと
    思ったんですが、この時、初めてヨーロッパと
    南米以外の国で行われたんですね。

    クリントン大統領(当時)が開会式で
    「サッカーは世界の言語」と言っていたのを
    覚えていますよ。

    由紀 さおりもデビューは69年でしたね。
    この年の方がユニークな新人が多く出ましたよ。
    ピーター、カルメン・マキ、新谷のり子(フランシーヌの場合)
    トワ・エ・モワ、藤圭子、辺見マリとか、その他、多士済々。

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2018年06月20日 20:02
    渚ゆう子の「京都慕情」いい曲ですよね。
    カラオケで、歌うナンバーのひとつです。
    私も歌番組の時、泣いて歌えなくなった場面が印象に残っています。
    当時、別れた人がいたとか・・・そんな風に司会者だかが言ってたことも
    子供心に、歌手の人も現実を生きてる?んだな〜なんて思ったことが

    今現在を見てみたら、なんとその時別れた人と38年たったあとに再会、その男性はその後結婚したけど奥様に死別
    そんな時に再会だったとか
    そして結婚を

    ベンチャーズ、今も活動していますよね。
    日本公演の案内をテレビで観ました。
    メンバーは変わってるけど、息が長いですよね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2018年06月20日 20:58
    > mixiユーザー 
    「京都の恋」と「京都慕情」、よくどっちがどっちだか
    混同しますが、あせあせ「慕情」の方が日本的で好きです。
    残念ながら、セールスは「恋」の方に及びませんでしたが。
    渚ゆう子も、この2曲の前に、名前を聞いたかな?という
    程度で、翌71年も、「雨の日のブルース」
    とかスマッシュヒット曲があったらしいんですが、
    記憶にありません。もう3人娘の陰に隠れてしまった

    感があります。
    その後、一回、73,4年頃、「金曜10時噂のチャンネル」
    のゴッドねえちゃんで
    コントを披露していましたが(^^:


  • mixiユーザー

    mixiユーザー2018年06月20日 21:30
    > mixiユーザー 
    「孤独のグルメ」の作者も久住昌之も、1958年生まれなので
    渚ゆう子と「京都慕情」は、聞き覚えのある曲だったでしょうね。
    思えば、この「孤独の〜」や、久住のB級グルメ漫画で、
    流行歌や普通に音楽がBGMとして流れているシーンは
    見当たりません。
    唯一出たのが、渚ゆう子というのが意外性がありました。

    そして、深夜にコンビニフーズを頬張る五郎が、毎度お馴染の
    「玉子が被った」「このきゅうり美味くない」って、トホホですね(^^:
    しかし、いくらなんでも食い過ぎだと思いますよ。
    夜食はせいぜいオデンとオニギリくらいにすれば良いモノを。

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2018年06月20日 21:51
    > mixiユーザー 
    それは「京都の恋」がヒットする前でしょうね。
    皆、駆け出しの時は大変ですね。
    私は、「京都の恋」の前に、なんとなく「渚ゆう子」という
    名前を聞いたことがあるような気がすました。
    調べると。
    >1966年、「渚ゆう子」に改名
    とあります。
    その頃、「渚」という曲名が流行ったんですよ。
    「渚のセニョリーナ」「銀色の渚」「遠い渚」「想い出の渚」
    「愛の渚」、この「渚ブーム」の火付け役は映画監督の大島 渚かな?
    と思っています。
    ちなみに片平なぎさが出てくるのは、そのずっと後ですが(^^:
    私がチラ見ではなく、大々的に遭遇した芸能人は、
    小学5年の時、当時人気があった子役の蔵忠芳です。
    私の小学校に転校してきたんですもの(^^:

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2018年06月20日 22:47
    田舎なので野球人気でした。
    部活もサッカーは無かったし、体育の授業でちょこっとやったぐらいです。
    W杯、ドーハの悲劇あたりから知ったような気がします。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2018年06月20日 22:54
    > mixiユーザー 
    ベンチャーズはバンドとして愛されたことは無論、「二人の銀座」とか
    「雨の御堂筋」の作曲でもヒットを飛ばし、日本の歌謡界に貢献しましたね!
    >何かの歌番組で歌っている途中で何故か泣き出して
    感極まって泣いてしまったんですか!?
    1970年代は、レコード大賞、特に新人賞受賞の若い女性歌手が
    泣くのは、ほぼ定番でしたがね。
    私、1965年頃、確か日曜日の午後「ロッテ歌のアルバム」で
    「愛と死を見つめて」を青山和子が泣きだし歌えなくなって
    舞台のそでに引っ込んだのは覚えています。
    司会の玉置宏が慌てていましたよ。

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2018年06月20日 23:17
    > mixiユーザー 
    私もヒットした「京都の恋」よりも「京都慕情」の方が好きです。
    「孤独のグルメ」でも作中に使われたし、
    記録よりも人の記憶のほうに残った曲ですね。

    >泣いて歌えなくなった場面が
    それ、「夜のヒットスタジオ」で
    「初恋の人」を歌った小川知子かと直感的に
    思いましたが、違いました(^^:。

    えーと、、それ誰だったんでしょうかね?

    ベンチャーズは本当に息が長いバンドですね。
    日本で最初にエレキブームを持ち込みましたからね。
    「ダイヤモンドヘッド」のあれのテケテケが、
    もう50数年前ですよ。
    初期メンバーで亡くなった方の息子が継いでいるとか。

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2018年06月20日 23:29
    > mixiユーザー 
    私も小学校時代は、皆、野球が好きでしたよ。
    ちょうどON砲が全盛期の時でしたからね。
    サッカーは目新しいスポーツといった感じでした。
    それが小学6年のメキシコオリンピックで日本が
    銅メダルを取ってから、凄いサッカーブームになりました。
    中学では、本文に書いたように球技が出来る奴は
    みなサッカー部に入りました。
    その分、野球部は弱かったんですよ(^^:
    まぁ地域の差もあるでしょうね。
    東京より埼玉の浦和とか、静岡はもっとサッカーが
    盛んだったと思いますよ。
    それと、  小、中学の時は体育の時間で
    野球もサッカーもやった記憶はありません。
    球技と言えばバレーボールとバスケだけでしたね。
    あと高校でハンドボールをやったことはありますが。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2018年06月20日 23:31
    こんな事を言うと〜サッカーファンに叱られますが〜まだまだ日本のサッカーは弱いバッド(下向き矢印)と思う おじ3であります。
    だってぇ〜すぐにセンターラインから敵側にボールをパス出来ても〜すぐに陣地へ敵がボールを奪って攻めてくるシーンばかり見ているのがつまらない!意地が焼ける!!・・・だから、おじ3はスポーツ中継はめったに見ないのデスよ〜〜wwあせあせ
    見るのはF1かラリーとかのモータースポーツだけが興味一番あるのです。♪♪♪
    渚ゆう子さんの「京都の恋」は、今でも好きでツタヤでCDを借りて来て〜ipod-nanoに取り込みランダム再生で〜愛車内でJAZZから演歌からポップスとか〜入れ替わりに流れる中でも〜たまに「京都の恋」を聴くと〜【いいなぁ〜揺れるハート】と感じるのでありマス目がハート指でOKハート達(複数ハート)
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2018年06月20日 23:45
    > mixiユーザー 
    まぁまだ日本のサッカーは強くはないですね(^^:。
    FIFAランキングで61位。
    それも、今年に入って、日本代表の監督を突然変えたりして
    ゴタゴタしたので、このコロンビア戦でも勝てないだろう、
    というのが大方の予想でした。
    それを覆し、アジアで初めてW杯で南米のチームを
    破ったのは立派ですが、あとの2戦、負けてしまったら、
    帳消しですね。まぁ3敗よりは良いかな?あせあせ

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2018年06月21日 10:03
    感極まってではなく、さっこさんがコメントされてる通り私生活での恋愛問題で泣いたと後に週刊誌か何かで読みました。間違い無いですよ。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2018年06月21日 14:42
    > mixiユーザー 
    >泣いて歌えなくなった場面が
    まぁ、芸能人も、色々なこと想い出を引きづっていますね。
    ちあきなおみが、(恋人が亡くなるという設定の)「喝采」が
    ヒットしました。
    あれは「実話」だという噂が当時、流れましたが、
    別れた恋人はいるだろうが、亡くなってはいない、
    ということでした。
    本当にそれが実話なら、ステージで歌えない、と思いますよ。がく〜(落胆した顔)

    ベンチャーズは本当に息が長いバンドですね。
    日本で最初にエレキブームを持ち込みましたからね。
    「ダイヤモンドヘッド」のあれのテケテケが、
    もう50数年前ですよ。
    初期メンバーで亡くなった方の息子が継いでいるとか。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2018年06月21日 14:45
    > mixiユーザー 
    すみません。
    >歌っている途中で何故か泣き出して歌えなくなって
    それが渚ゆう子だったんですね!
    私は、誰か他の歌手で、そういう人がいたのか、と思って、
    ピントの外れたレスをしちゃいました。(^^:
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2018年06月21日 20:45
    70年というとW杯の年でしたね。ただ私はまだサッカーの認識が薄く、はっきりと知ったのは74年大会でしたね。
    埼玉は野球よりややサッカーが優勢でした。ただし今のように情報網がない時代で、詳しくは知らなかった。
    私が中学のころ、浦和西高校のサッカー部に西野という選手がいました。昨日NHKニュースで学校が映りましたよ。さぞ彼はもてたことでしょう。

    1970年は音楽的にはイマイチでしたね。菅原洋一がレコード大賞とったけれど、あまり印象に残っていません。やはり渚ゆう子とかクロネコのタンゴですかね。GSもいたけれどNHKには出られませんでしたからね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2018年06月21日 21:24
    > mixiユーザー 
    私、70年にW杯が行われたことは、同級生の雑談で
    知りましたが、その時はメキシコで開催されたとは
    知らなかったと思います。
    考えてみると、メキシコは68年にオリンピックと、
    ビッグイベントが立て続けに開催されたんですね。
    でも、現地ではW杯の方が盛り上がったとのことです。

    >埼玉は野球よりややサッカーが優勢でした。
    そうですね。
    田嶋も浦和南高校に越境入学しました。
    私、高校の時、彼が浦和の高校に入学したと噂に聞いて、
    そこがサッカー強豪校とは知らず、
    「父親の転勤で浦和に引っ越したのかな?」
    と思いましたよ(^^:。

    >浦和西高校のサッカー部に西野という選手がいました
    それが、現日本代表監督の西野 朗ですね!?
    彼もまたスポーツ・芸能界で著名人を多く輩出している
    1955年生まれです。

    まぁ1998年、初めて日本をW杯に導いた岡ちゃんこと
    岡田 武史監督は、私と同じ56年生まれでしたが。

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2018年06月21日 21:45
    ザ・コンビクトはとんだ食わせ者だったのでは?初戦こそ相手を腹のバックルに叩き付けて子供扱いし、圧倒的な強さを見せ付けましたが、後が続かなかったですね、パンピロ・フィルポという、リーグ戦の白星配給係をマネージャー役に入場して、馬場より高いだけでニュースになる214センチの巨体から、ロスのマットでブラジルを苦しめていただけに馬場や猪木の危機はいかほどかと思いきや、あっさりとフォール負けには拍子抜けでした。決勝進出は馬場とジョナサンの定番戦だったしコンビクトも来日はこれのみだったと思います。ブッチャーも初来日の時は細かったし、今までの黒人レスラーにはないようなタイプで暴れ回り馬場のインター挑戦は日プロも予定にはしてなかっただろうし、白人レスラーのエース格も食ってしまって、これは翌年のワールドリーグ戦に来るかなと思ってたらホントに来て決勝までいきましたから、二回の来日でこの扱いは大抜擢といえると思います。 渚ゆう子は私以前コメント出しましたが、勤務先に慰問に訪れて、ミニスカートでステージに上がり、歌ってる最中前列にしゃがんで観ていた連中が見えたとざわめいたという内容でしたが、この時のことは1975年の出来事なんですが、いまだに渚ゆう子というと歌よりこの事件、というと言い過ぎかもですが、頭から離れません、私は後列だったのでなにも見えてはないんですが、前列側はめったに観ることのない芸能人の、それもミニスカートの中まで見えたとなると、一般人のを観るよりは付加価値を多少は感じていたのではと思います、意図的に観たなら犯罪ですがこの場合は偶然見えただけに悪気はなく、男ばかりの職場だっただけに、当時のこの話題が思い出に残っています。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2018年06月21日 22:27
    > mixiユーザー 
    プロレスについてのコメどうも!
    コンビクトは、とんだ一杯食わせ物でした。
    まぁお祭り用、話題作りには格好の選手ですね。
    リアルで見ていませんが、第6回のワールドリーグに参加した
    ミイラ男のようです。
    これ、ひとつには、雑誌「ゴング」の海外情報が、ロスに
    偏重していることもありますよ。ロスでちょっと売り出したレスラー、
    コンビクトのみならず、レス・ロバーツ、カール.ハイジンガー、
    マスカラスの弟、シコデリコなどを
    「凄い奴が現れた!」「まだ見ぬ強豪」と大袈裟に
    紹介しましたからね。
    まぁロスは日本に近いので情報も取りやすいこともありますが。
    かたや、ブッチャーなんかは、モントリオールで世界王者に
    までなりましたが、日本での紹介は少なかった。
    それで、初来日の70年の第二次サマーシリーズは、
    カール.ハイジンガーが当初エース格でしたが、
    これも、全く木偶の坊。
    代わりにブッチャーがエースに躍り出ましたね。
    確かに最初、このシリーズにはインター選手権は
    予定になかったと思います。

mixiユーザー

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