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2017年07月14日22:26

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激動の昭和46年に〜昭和歌謡曲100!〜ジュリー、マチャアキソロデビュー〜

〜その後、永ちゃん、さだまさし、岡村 孝子〜

この昭和歌謡曲がテーマの日記も、100回目!
100に因んだ曲を書こうと思ったが、思いつかないので
今回は、ソロデビューについて。
あるグループでボーカルを担当していたメンバーが解散後、
ソロでデビューすることね(←そのまんまじゃないか!?)。

以前に、触れた畑中葉子やピンクレディのケイちゃんも該当するが、
まず、前提としてグループがなければ話は進まない。

グループと言えばグループサウンズ(以降GS)。
昭和40~43年頃まで隆盛を誇ったGSブームも
44、5年に、多くのグループが解散の憂き目に逢う。
ここから多くのソロデビューが産まれた。

衝撃激動の昭和46年!1971年!
私も中学3年生(←森昌子かよ!?)色々なことが起こった!
先ず、前年暮れにアントニオ・猪木がブラジルで毒蛇に
噛まれると言う波乱の幕開け、
幸いその後遺症もなく3月にはロスでUN王座を獲得。
5月、ワールドリーグの優勝は逃すモノの、G・馬場に挑戦状を叩きつける。
所属する団体の回答は「時期尚早」(ここでその言葉を知る)。
11月、猪木、秋のタッグリーグに優勝し、女優の倍賞美津子さんと結婚。
しかし、12月には、団体を乗っ取りいう疑惑が起こり解雇という
非常にショックな出来事で終わった年であった。
思えば猪木に始まり猪木に終わった年であった。

あと、プロレス界では、2月、ファン待望のミル・マスカラスが初来日。
7月には、もうひとつの団体、国際プロレスでストロング小林が
IWA世界王座を取り戻し凱旋帰国。

芸能界では小柳ルミ子、南沙織、天地真理(デビュー順)の「3人娘」がデビュー。
その3人より早く2月に、当時14歳のアン・ルイスがデビューしたが、
ブレイク出来なかったあせあせ

一般社会では、マクドナルドハンバーガーとカップヌードルが発売開始。
ニクソンショックで、いままで1ドル=360円で固定されていたレートが
変動するようになった、でも中学生には関係ないし。
相変わらず、過激派が暴れて、先日容疑者が逮捕された渋谷事件とか。
大久保清連続強姦殺人事件、そういう犯罪が理解できる中3生にとっては
刺激的な年でもあった。

手(パー)で、その昭和46年のソロデビューは、「さらば恋人」堺 正章(元スパイダース)
作詞:北山修/作曲:筒美京平、5月1日リリース

オリコン2位まで行き、この年のレコード大賞大衆賞受賞。
学校で誰かがミスをしたら、♪悪いのは君のほうさ。僕じゃない〜♪
と替え歌を歌ったものだ。(苦笑)
ただマチャアキは、歌手一本ではなく、俳優、司会もこなすタレント
だったので歌手デビューというイメージは薄かった。

ムード同じく元スパイダースの井上 順は、
「昨日・今日・明日」作詞:阿久悠 / 作曲:都倉俊一 、
4月25日のリリースでマチャアキよりちょっと早かったのか!?
まぁ「さらば恋人」ほどはヒットしなかったが、よく耳にした。
第二弾の「お世話になりました」9月25日もそこそこヒットしたと思う。
井上順も、マチャアキと同じ、タレントで、Vサインを示し「ピース!ピース!」
を流行らせた。

るんるんさてGS時代の人気者、元ザ・タイガースの沢田研二はPYGを経て、
作詞岩谷時子、作曲宮川泰の「君をのせて」11月1日でソロデビュー。
フォト
いや、その黄身ではなくて、、、(^^:

良い曲だけれど、オリコン最高位23位、売上10万枚と、ジュリーの
ソロデビューとしてはパッとしなかった。
後年のジュリーから見れば、ずいぶん地味で大人しい曲だよね。
追体験かも知れないが、このジュリーから「ソロデビュー」
という言葉を聞いたような気がした。

るんるん「雨のバラード」湯原昌幸(元スウィング・ウエスト)
作詞:こうじはるか、作曲:植田嘉靖4月1日リリース

この曲は、元々、スウィング・ウエストが昭和43年に
リリースした曲(ボーカルは湯原)。
フォト
同グループが解散し、ソロに転向した湯原の2曲目としてリメイクしたもの。
10月にはオリコン1位を獲得。
その時に、なんとなく昔、聞いた記憶がある曲だと思っていたが、
湯原昌幸という歌手名には、記憶がなかった。
その後、彼は「噂のチャンネル」で、またブレイクする。

るんるんGSの前にジャニーズという4人組アイドルがいて43年に解散したが、
その内のひとり、あおい輝彦も、この46年6月25日に
「二人の世界 /」作詞: 山田太一、作曲・作曲: 木下忠司をリリースして
最高オリコン3位まで行ったとのことだが、あまり印象にない。

あおい輝彦は、ジャニーズ解散後、俳優の方に進み、
この曲も出演していたTBSドラマの主題歌だったと。
そのドラマは見ていないし、あまり他局の歌謡番組にも
出なかったのでは?

ジャニーズに対抗していたスリーファンキーズも
解散後、長沢純、高橋元太郎は、俳優・司会業に専念していた。
長沢純なんか昭和46年と言ったら、オーディション番組の
「全日本歌謡選手権」の司会をやっていたもんなぁ。

手(パー)その後、しばらくGS出身者のソロデビューはなかったが、
話題になったのは元キャロルの永ちゃんこと矢沢永吉ではないかな?
でも、デビュー曲(昭和50年の「I LOVE YOU, OK」はコケタとか。
私は元々キャロルのファンでもなく、50年に解散時、話題に
なったのは知っていたが、その後は、全く関心がなく、
53年頃、彼の「時間よ止まれ」がヒットして、思い出したくらい。

時間よ止まれって、太田博之主演のSFドラマ「ふしぎな少年」
(原作・手塚治虫)の方が馴染みがあったのだが。

目あと、元「クレープ」のさだまさしも
昭和52年の「雨宿り」でソロデビューだけれど、
その前の「クレープ」からソロボーカルだったから、いまさらという感じ。

アリス解散後(昭和56年)前から谷村新司や堀内 孝雄はソロ活動をしていたよね。

るんるん元「あみん」の「あみん」と言っても、このオッサンではなく、
フォト
岡村 孝子「はぐれそうな天使」来生えつこ作詞、来生たかお作曲、昭和61年。
これも、イメージとしては「クレープ」のさだまさし的なモノを感じた。



あせあせ平成に入ってからは、
元おにゃんこクラブのメンバーのソロデビューしたそうだが、
このあたりは、もう分からない。


位置情報■サカナクション山口 “売れたミュージシャンを嫌いになる理由”あれこれ
(TOKYO FM + - 07月14日 17:10)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=257&from=diary&id=4668549

そうなんだよな。
猪木もジュリーも、大受けしたのは昭和52、3年以降の
派手派手なパフォーマンス時代だが、
歌として、プロのレスリングが上手かったのは
昭和48年頃。
ジュリーでいえば「胸いっぱいに悲しみ」とか猪木で言えば
48年秋、足立区体育館のシン・リーガン戦、タイトルマッチでも
なんでもない一戦だが、あれは真の名勝負!
24 39

コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年07月14日 22:42
    沢田研二好きでした。
    よくカラオケで唄ってました。
    格好良かったですよね。

    岡村孝子の歌も良いですよね。
    心にグッときます。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年07月14日 23:02
    確かに、昭和46年と45年では、歌謡界の流れが、ガラッと変わった感じがしますね。GSの終焉からソロデビュー。新しい若い歌手のデビュー。世の中の流れも猛烈からゆとりに変わったとかおっしゃっていました。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年07月14日 23:18
    > mixiユーザー 
    ジュリー、私も好きだけれど、本文に書いたように
    昭和50年代、「勝手にしやがれ」以降の派手派手で、
    阿久悠が作詞して、色々とパフォーマンスや小道具を
    使った時代より40年代後半の、安井かずみ作詞の
    「胸いっぱいの悲しみ」とか「あなたへの愛」
    、、こういう歌が好きです。
    それほどはヒットしなかったけれど。あせあせ

    岡村孝子
    まぁ、ソロになってからは、この「はぐれそうな天使」
    くらいしか聴いていませんが、(^^:
    これも来生姉弟の傑作ですね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年07月14日 23:34
    > mixiユーザー 
    昭和45年は、まだ歌謡界もオッサン臭かったと思います(^^:
    レコード大賞新人賞受賞者さえ、野村将希とか、にしきのあきらが、
    やや演歌調の曲を歌っていました。
    「もう、恋なのか」とか「一度だけなら」は、もろ演歌です。

    46年も、小柳ルミ子の「わたしの城下町」までは、
    その路線だったんですが、
    シンシアの「17才」から、ぐっと若くポップス系になり、
    47年は、もう若さ一杯ですね。
    46年はその過度期という気がします。

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年07月14日 23:36
    グループからソロになって目立つ人、あるいはソロになったけれど初期の記憶がない人がいます。沢田研二のソロデビュー曲は覚えていませんでした。ところが井上順は覚えてます。お世話になりましたは耳に残ってますね。あおい輝彦もソロになってから覚えてます。二人の世界はカラオケでも歌ったことありますね。ドラマのほうはたまに再放送してます。湯原は噂のチャンネルのイメージが強いけれど、歌もいける人なんですよね。どうもお笑いの印象になってしまいます。100にちなんだ歌は小学校時代に歌った「一年生になったら」がありますよ。一年生になったらともだち百人できるかな(^^♪
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年07月14日 23:38
    > mixiユーザー 転換期だったと言えるかも知れませんねるんるん
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年07月14日 23:47
    なるほど、46年はソロデビューの年でしたか。
    井上順のピースピースは当時、新鮮でした。
    あと井上順が森山加代子の「白い蝶のサンバ」の振り付けを真似して、ちょこんと飛んで手と首を震わせる動きが好きでした。

    それにしても蟹座さんは一人乗り突っ込みが上手ですね(笑)
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年07月14日 23:47
    湯原昌幸「雨のバラード」は大好きです 仰々しいイントロ、サビのバックで聞けるストリングス等々…湯原さんは今でも声が声量があるし歌が上手いですよね〜。 GS出身者の再デビューだとオックスの「真木ひでと」もいました。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年07月14日 23:54
    「真木ひでと」は先を越されたので、もう一人。
    尾崎紀世彦も「ワンダーズ」と言う地味なグループサウンズからのソロデビューでした。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年07月14日 23:59
    > mixiユーザー 
    >沢田研二のソロデビュー曲は覚えていませんでした。
    >ところが井上順は覚えてます。
    やはり、そうですか!?
    ジュリーは、翌47年から、ジワジワと売れ出しましたが、
    「君を乗せて」は印象がうすいんですね。

    私は、なぜかあおい輝彦の「二人の世界」の印象が薄い。
    後から聞いても、「この歌、聞いたかな?」と思うくらいです。

    >100にちなんだ歌は
    >「一年生になったら」
    その歌も、私が小学校時代には聞いたことも歌ったこともありません。

    後年、「ともだち100人作って、
    自分も含め100人で、富士山に登ったら、
    ともだち一人、置いてきぼりかよ!?」という突込みを
    聞いて知ったくらいです(^^:
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年07月15日 00:00
    ◆激動の昭和46年!1971年!小柳ルミ子、南沙織、天地真理(デビュー順)の「3人娘」がデビュー。◆

    おじ3の脳内では〜もはやその様な気憶がなくなってましたよ〜〜wwあせあせ
    マチャアキさんは〜ソロになってから一段と歌もですが〜ドラマや司会をこなして〜視聴者からの人気が更にUPしましたよねぇ〜ヽ(^o^)丿♪♪♪
    井上順さんも〜夜のヒットスタジオとかの司会もやったり〜マチャアキさんと二人はお茶目な〜感じのコントとかも面白かったなぁ〜〜ハート達(複数ハート)ハート達(複数ハート)
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年07月15日 00:03
    この前「ザ・インタビュー」という番組で井上順を見たら同じ70歳なのに堺正章よりはかなり若く見えたが難聴を患って唄えないらしい。堺は堺で長寿番組(ちゅーぼー)を降ろされてしまった。時代の波ですかね。(^_^;)
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年07月15日 00:09
     歌謡界で多発した”ある事”とは、そう言うことだったのですね。
     言われてみれば確かに、1971年はマチャアキや井上順やあおい輝彦らがソロデビューし、オリコンチャートでも上位に食い込んでいた感じですね。ジュリーもこの年ソロデビューか…
     GSのグループの多くがその前年までに解散したってのは、やはりビートルズ解散の影響でしょうか。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年07月15日 00:22
    三人娘からアイドル時代が幕開けしましたね。華やかな幕開けで、その後オーディション番組などで多くの歌手が生まれ育ちました。堺正章と井上順は、ヒットの後司会業で活躍。
    ジュリーは、「危険なふたり」から目立つようになったかと。
    湯原は、タレントとして、いじられキャラだったような気がします。
    あおい輝彦は、あおい君と佐藤くんのラジオから、俳優になったようなイメージ。
    永ちゃんも、キャロル時代のファンならともかく、そうでない人にとっては「時間よとまれ」からが共通のような気がします。
    さだ、谷村、堀内は、時代の流れでソロになった。そしてアリスは、時代の要請で復活した。
    アリスには、特別な思いがありますが、売れない時代の名曲の数々と、セイヤングにつきると思います。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年07月15日 00:23
    > mixiユーザー 
    井上順が差し出したサインは、「Vサイン」だったんですよね。
    その前から「サインはV」とか「巨人の星」でも、一徹オヤジが
    出していました。
    それを順ちゃんが「ピース!ピース!」と言いながら出したので、
    「ピースサイン」とも言われ、Vサインとピースサインは違うモノ
    (手のひらの返しが違う)とも言われました。
    「スマイルマーク」とか「ピース」という言葉も世界的に流行ったんですね。
    >ちょこんと飛んで手と首を震わせる動きが好きでした。
    そう!そのポーズも覚えています。
    井上順は、あのキャラでずいぶん人気者になりました。
    ただ、夜のヒットスタジオの司会(昭和51年)をやるころには、
    もう歌手はセミリタイアでしたね。

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年07月15日 00:32
    > mixiユーザー 
    「雨のバラード」は名曲ですね。
    湯原昌幸も「噂のチャンネル」でコメディアンを
    やりながらも、この曲は歌い込んでしました。
    でも、昭和46年の秋に、数週に渡って、オリコン一位を
    キープしていた=、そこまで売れたとは知りませんでした。
    シンシアの「17才」は2位止まりだったのに。(^^:

    ああ、オックスの真木ひでとも、やはりグループ解散後昭和46年に、
    ソロデビューだったんですね!でもマチャアキやジュリーのようにはいかず、
    この人、昭和50年に、再起を賭けて、本文でも挙げた「全日本歌謡選手権」
    に出場していたのを覚えていますよ。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年07月15日 00:41
    > mixiユーザー 
    尾崎紀世彦も、GS上がりで、いわばソロデビュー組
    というのは後年、小耳に挟みましたが、
    その時に、元ワンダーズの尾崎と知っていた人は
    どれほどいたでしょうかね?(^^:
    私もワンダーズ、、て聞いたことがありませんでした。

    彼は「また逢う日まで」の前に、ヒット曲はおろか、
    曲を出したことも知りませんでしたが、
    昭和46年、彼はレコード大賞を受賞しました。
    ということは、彼は「新人ではない」ということに気づきましたよ。

    「また逢う日まで」も、カバー曲なんですよね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年07月15日 00:50
    > mixiユーザー 
    マチャアキは、昭和46年といえば、天地真理さんが
    デビューしたことでも有名なドラマ「時間ですよ」
    のレギュラー役でしたね。
    私も、このドラマだけは見ていました(^^:。
    そこで、挿入曲として、「涙から明日へ」を歌い、
    それがまたヒットしました。

    井上順は、そのちょっと後ですが、「夜のヒットスタジオ」の司会。
    芳村真理さんんとの掛け合いが絶妙でした。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年07月15日 00:58
    > mixiユーザー 
    井上順さん、近年表舞台に出てこないと思ったら、
    難聴なんですね。
    それとは違う雑誌や、先日はテレビの番組でも言っていたので、
    知っていました。
    山本譲二も、片耳が全く聞こえない状態だと言います。
    実は私も難聴で、他人事ではありませんが歌手に取ってみれば
    音が拾えず歌えないとは辛いことでしょうね。

    まぁマチャアキも70歳を超え、タモリもそうですが、
    第一線から退いても良い年齢でしょう。

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年07月15日 01:12
    > mixiユーザー 
    >1971年はマチャアキや井上順やあおい輝彦
    あと、他の方からコメで教えてもらいましたが
    オックスの真木ひでや、尾崎紀世彦(元ワンダーズ)も、
    GSからのソロデビューだそうです。
    まさに、GSソロデビューの年と言えますね。

    >やはりビートルズ解散の影響でしょうか。
    どうなんでしょうかね?
    ビートルズの魁さんが1970年ですが、GSの多くは、
    やはり70〜71年に解散していますが、もう69年には下火になっていたし。
    逆に私は、ザ・タイガースもスパイダースも71年まで活動していたんだ!
    と驚いたくらいです。
    ビートルズ解散後、71年の秋にジョン・レノンが「イマジン」を出しましたね。

    私は英語の勉強の傍ら、それを訳しましたが、
    「思い浮べるだけで平和は来ないだろ!?」
    と感じました。
    反感を買うかも知れませんが、私は、別にジョンを
    神格化していないので(^^:

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年07月15日 04:41
    「二人の世界」は中学生の時、親戚の結婚式で姉と一緒に歌った記憶があります。もちろん、当時はカラオケなんか無かったからアカペラでした。あおい輝彦は木下恵介アワードラマの常連で、竹脇無我か栗原小巻のひょうきんな弟役だったと記憶してます。同じく脇固めるオキャンな妹役としてはジュディ・オングもそうでしたね。後年「魅せられて」でイメチェンして出てきた時は衝撃的でした。
    ジュリーはソロ初期の「ジュテーム♪ジュテーム♪ジュテーム♪」を連呼するあれが好きで、今でもたまにカラオケで歌います。当時はフランス出身で人気絶頂だったポルナレフの影響もあったのかも知れませんねほっとした顔
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年07月15日 04:46
    ↑ジュリーの歌は蟹座さんが前述してる「あなたへの愛」ですね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年07月15日 06:17
    僕にとっては、あおい輝彦といえばなんといっても「あしたのジョー」です。

    1970〜71年放映。 矢吹丈の声、決まってました。

    当時のテレビ漫画界(アニメという言葉はまだ定着してなかった)では、専業の声優が声をアテるのが主流でした。

    たぶん、あおい輝彦はメジャーなスターがアニメの声優になった第一号じゃないかと思います。^^
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年07月15日 07:18
    ジュリーとショーケンが参加していたスーパーグループ「PYG」が音楽性や、ジュリーファンとショーケンファン同士の諍いで思ったより人気が出ず解散していったのも興味深いです。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年07月15日 13:22
    > mixiユーザー 
    >ジュリーは、「危険なふたり」から目立つようになったか
    ジュリーのソロデビュー(昭和46年)から40年年代の代表曲でしょうね。
    初のオリコン1位、48年度の日本歌謡大賞受賞曲。
    しかし、やはりこの曲も、あの決めのポーズ、パフォーマンスや
    派手な衣装が受けたと思いますよ。
    日本歌謡大賞は受賞しましたが、レコード大賞の方は、
    第一候補の歌唱賞の5曲にも
    入りませんでした(大衆賞を受賞)。やはりレコード大賞には、
    曲の品位という点で相応しくないと判断されたんでしょうね。
    私はその判断は正しいと感じましたよ。

    売れていない時の方がファンとしては
    思い入れが強いでしょうね。
    私が特にそう感じるのは、五輪真弓さんです。
    「恋人よ」も一般受けを狙った曲だと感じました。

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年07月15日 13:56
    スパイダースはマチャアキ・井上順・かまやつひろしは勿論、
    大野克夫、井上尭之、田辺昭知など
    後年日本の歌謡界を支えた「ソロ」たちがズラリいたスーパーグループでしたね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年07月15日 14:02
    お久しぶりです。
    昭和46年(12月)は、僕の生まれた時なので思い入れはあります。ということで、今年は年齢と昭和の生まれ年が同じになります。
    この年に、マクドナルドの1号店が銀座にできましたね。
    成人式の時、昭和46年に何があったか色々聞きましたが、スマイルバッジが流行したこととか、円高ドル安だったことがそうですね。

    僕が生まれた12月は、欧陽菲菲の雨の御堂筋がヒットしてたらしいです♪
    あと、小柳ルミ子のわたしの城下町や五木ひろしのよこはまたそがれやにしきのあきらの空に太陽があるかぎりや尾崎紀世彦のまた逢う日までや、歌手は忘れましたがあの素晴らしい愛をもう一度など名曲も多かった年ですね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年07月15日 15:14
    雨のバラード」湯原昌幸の曲、リメイクだとは知らなかったです。
    いい曲ですよね。

    ジュリーの「君をのせて」は田中裕子とのこの映像のイメージが強いです。
    恋愛中だったかな
    https://youtu.be/vOmfuCGcRmQ
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年07月15日 16:59
    ↑訂正します。ジュリーの歌は「あなたへの愛」ではなく、「魅せられた夜」でした。
    https://www.youtube.com/watch?v=4-8AHdY6yW4
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年07月15日 19:49
    数年前から沢田研二にハマって、動画サイトで何とかというライブでの「魅せられた夜」を毎日のように聴いていましたが、削除されてしまった涙あと、「アリフ・ライラ・ウィ・ライラ」も凄く好きでするんるん
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年07月15日 19:59
    > mixiユーザー 
    「二人の世界」は、本当にドラマも主題歌も記憶がないんですよ。
    まぁあおい輝彦がジャニーズ解散後に俳優をやっていたのは知って
    いましたが、ジュディ・オングなんかは、むしろもっと昔、
    昭和40年前後からよく青春ドラマに出ていました。
    私は、普通に日本人だと思ったんですが、
    ジュディはともかく、オングとは珍しい姓だと思っていました。

    「ジュテーム♪ジュテーム♪ジュテーム♪」は、後の方で訂正されていますが、
    「魅せられた夜」ですね。原曲はフランスの曲で、安井かずみが
    日本語詞を書きました。
    ♪濡れた夜に抱かれて あなたの体は 月の光の中で 熱く燃える ♪
    痺れる詞を書きますよ!
    この曲は昭和48年11月のリリース。ジュリーは50年には、
    フランスに進出しますが、それを念頭に入れてのことだったのでしょうね。
    ちなみにジュリーはフランスで「日本のポルナレフ」と称されたそうです。

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年07月15日 20:12
    > mixiユーザー 
    まぁ。私も、元ジャニーズのあおい輝彦が
    アニメ「あしたのジョー」の声優をやったのは、
    小耳にはさんでいました。

    そうですね。昭和40年前後のテレビアニメは、
    メジャーな俳優が声優をやったときいたことがありません。
    それだけ「あしたのジョー」には気合が入っていたんでしょうね。
    ジャニーズも、あおいだけがその後、タレントとして生き残りましたね
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年07月15日 20:18
    > mixiユーザー 
    まぁ、GSのソロボーカリストとして
    人気を二分したジュリーとショーケンですが、
    両雄、並び立たず、ですね!
    ショーケンだったかな?
    後年、書いた本に、PYG時代の想い出も触れていますが、
    双方のファンが、ケンカをして、ステージに物が
    投げられるなどの騒ぎが起こったと。
    結局、二人が同じステージに上がったPYGの活動は
    1年も持たなかった。
    テレビでも、芸能ニュースみたいな感じで、
    二人が歌っているシーンが流れてのは覚えていますが
    、歌謡番組でちゃんと歌ったのは記憶にありません。

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年07月15日 21:12
    > コムシンさん
     ザ・スパイダースのメンバーの中で、そこに挙げられなかった人が一人いますね。
    ベースの加藤 充氏、グループで最年長だったんですが、彼だけ解散後、
    芸能、音楽界から身を引いて、保険関係の会社に入社し、
    会社役員にまでなったと聞きます。

    ともあれ、スパイダースのメンバーは、解散後も活躍しましたね。
    10数年前、マチャアキがその時、20歳そこそこの若い女性アイドルに
    「私は、昔、スパイダースというバンドにいたんだが、
    そこには井上順・かまやつひろし、大野克夫、井上尭之、田辺昭知が
    揃っていたんだよ!」と自慢したら、
    その娘「凄い!」「で、誰がボーカルをしていたんですか?」
    マチャアキコケていました。
    シャレで言ったのかも知れませんが、実際にスパイダースは無論、
    マチャアキや順ちゃんが、歌っているところも見たことが
    なかったんでしょうね。

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年07月15日 21:54
    > mixiユーザー 
    昭和46年の出来事と言ったら、よくマクドナルド日本上陸が
    挙げられますが、ハンバーガーそのものはもう日本にあって
    珍しいモノでもないし、特にマックが美味しいものという
    事もありませんでしたね。
    今より、ずっと高級感はありましたが。

    その年の暮れ、
    >欧陽菲菲の雨の御堂筋
    あと、仲 雅美の「ポーリュシカ・ポーレ」も流行っていました。
    欧陽菲菲は、パッと登場して、ヒットを飛ばしレコード大賞新人賞5名
    の内の一人に食い込みました。
    同賞は、小柳ルミ子、シンシアも受賞しましたが、この3人で「3人娘」
    というのは、ちょっと無理があったようです(^^:。
    天地真理ちゃんは、夏にドラマ「時間ですよ」に出演。女優でデビューでした。
    10月に歌手デビューしたけれど、新人賞レースには間に合いませんでした。

    そんなことがあった年ですが、私やプロレスファンにとっては、
    猪木が日本プロレス追放というのが大変ショックでした。ふらふら

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年07月15日 22:49
    > mixiユーザー 
    >「雨のバラード」
    最初、スウィング・ウエストが昭和43年にリリースした時も
    B面だったんですよ(本文中の画像を参照)。
    後にA面になりましたが、それでもそうヒットした
    という記憶はありません。
    それを見事に、湯原昌幸が復活させ、歌い継いでいます。
    ちなみに、この年にレコード大賞を取った尾崎紀世彦の
    「また逢う日まで」も、リメイクなんですね。
    本来なら両方とも歌謡史に埋没してしまうところでした。

    「君をのせて」はソロ時代のジュリーの曲としては
    純然たるラブソングですね。
    あとは、失恋の曲が多いので、田中裕子さんと
    デュエットするならこれしかないでしょう。
    まさか「勝手にしやがれ」を歌うわけにはいかないし(^^:
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年07月15日 23:06
    > mixiユーザー 
    「魅せられた夜」がお好きですか!?
    ↑の金蔵さんへのレスにも書きましたが、
    これは元々フランスの曲に
    安井かずみが日本語詞を付けたモノですが、
    詞がイカシテいます。

    ジュリーも猪木も昭和40年代後半の方が歌、レスリングともに
    むしろ良いモノを発揮していたと思います。
    ジュリーはその年の暮れ日本歌謡大賞を受賞、
    猪木はNWF王者になりました。
    この二人、運命が似ているんですね。
    ジュリー昭和46年暮れソロデビュー、猪木は47年3月独立。
    48、9年頃に第一期黄金時代。
    51年は、ジュリー暴行事件で謹慎。猪木はMアリとの対戦で
    借金を作り一時、新日の社長を降ろされたりして(^^:

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年07月16日 07:39
    > mixiユーザー 一年生になったらという歌は私達が小学生(蟹座さんと大体同じ)の頃はなかったのでは?。今は年中ランドセルは売っているけれど子供たちが小さい頃は正月以降、売り場で流れていたので子供が「ランドセルの歌」といっていました
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年07月16日 16:34
    > mixiユーザー 
    >一年生になったら
    いや、本当に知りませんでしたよ。
    忘れているという可能性もありますが。
    それほど馴染みはなかったんでしょう。

    この歌を、検索したら
    >1966年に発表された童謡である。
    >幼稚園などの卒園式でよく歌われる。
    66年と言ったら、私はもう小学校に入っていました。
    一年生になったら
    と言われたら、「もう4年生だよ!」と言い返す
    生意気なガキでしたよ(^^:

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