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mixiユーザー(id:4597260)

2015年04月24日22:24

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たけし、ツービート〜昭和演芸MANZAIブーム〜紳助&竜助

〜おさむちゃんで〜す〜

「MANZAIブームが起きたのは、1980年1月20日(日曜日21 – 22)放映の
フジテレビの「花王名人劇場」からだと言われる。
その立役者が「B&B」だったのだが、その後、次々と新コンビが登場して来た。

手(パー)まず、
言わずと知れた「ツービート」
上記、1980年1月20日放映の「花王名人劇場」にも出場予定だったが、
それが流れてしまい、やや出遅れた感はあったが、すぐにブレイクした。

最初、私だけかも知れないが、コンビ名が「B&B(ビーアンドビー)」に似ている。
そして、洋七とたけしが、共に丸顔、早口なので、
なんとなく二番煎じ的なモノを感じた。
しかし、ツービート(たけし)は毒舌というか「年寄りは殺せ!」とか、
かなり残酷ネタのギャグを飛ばしていた。
面白いことは面白かったが、ボケとツッコミになっておらず、
B&B以上に、たけしの独壇場だった。

まぁ、「星セントルイス」に代わって東京を代表するコンビだったので、
心情的には応援していたが。

たけしは、漫才ブームが終わってもピンで大活躍。
司会、そして映画監督としても高評価を得ている。
 
Manzaiブームの頃、たけし自身が
「俺も、20〜30年後(2000〜2010年)は、
北千住あたりでスナックのマスターをやっているだろうな」
とか言っていた。

無論、その時、漫才師も辞めて、芸能界からも足を洗っていると思ったのだろう。
「で、店に【ツービート】の写真を飾っておくんだ。
常連さんが、これを見て、【なに?これ】と言ってきたら、
「俺も昔、漫才をやっていたんだ」「すると常連客が、
【へーー!?マスターが漫才をねぇ】」
こういう未来をたけしは予想していたが、見事に外れたんだな。

この人も色々あったねぇ。「フライディー襲撃事件」とか「バイクで事故」、
そのたびに「もうだめだろうと思ったら復活するから凄いよね。
ただ、お笑いタレントとしては、もうたけし軍団から「殿!殿!」
と呼ばれた頃には、もう毒もなくなっていた。

たけしがプロレスのリングに上がって暴動が起きた。
1987年12月、両国。
フォト

私も生観戦したけれど、暴動には加わっていない。
フォト

私、今まで631回、プロレスを生観戦したが、
一度も会場で暴れていない。
まぁたけしが悪い(暴動を誘発)わけでもない。猪木が悪い!
これで、ますます、たけしはプロレスが嫌いになったようだ。

今たけしは「テレビタックル」とか、「報道系」の番組に出ているけれど、
そうたいしたことは言っていない。まぁ昔取った杵柄で、最後にオチを付けて
話をまとめる「締め親父」だな。

手(パー)次に島田紳助&松本竜助
紳助は、島田洋之助の弟子で、島田洋七の弟弟子にあたるわけだ。
学年では一つ上だが、同じ年の生まれで3か月だけ年上。
竜助は私と同じ学年(不作の’56年度生まれあせあせ

彼らも関西若手のホープと言われたが、
ツッパリをトレードマークにしていてガラが悪い。
ミュージックで言えば「ダウンタウンブギウギバンド」みたいなもんだ。
いや、「ダウンタウン」のツッパリはキャラだが、紳助は本当の不良。
その前にも関西系ではエゲツナイコンビがいたが、
紳助は、もろ不良顔だった。

それと、紳助も洋七やたけしと同様、早口だったが、
最も聞き取りにくかった。関西弁なこともあったが、
声が通らないんだな。

その点、漫才師としては洋七の声は良かったよ。
85年に解散というか、紳助が竜助を切って、ピンで勝負にでたんだな。
ビートきよし(中央)、竜助(右)、そしてB&Bの洋八(左)が
「うなずきトリオ」などと呼ばれたが、洋八はまだ、漫才に参加していた。
フォト


漫才をやっている82,3年頃、なんかの番組で、紳助は藤本義一に
「私は漫才師で終わりたくない」と言っていたのが印象に残っている。
その後、紳助は、司会者で活躍したが、確かにお笑いの頭は良いね。
その間も、時々、暴力事件を起こし、いつか問題になって辞めると思っていたよ。


手(パー)ざ・ぼんち
このコンビは、漫才としてはボケとツッコミのスタンダード
60年代の私が小学校の時に聞いた漫才を思い起こし、
残酷、過激ネタを使わないし、聞いていてほっとした。
おさむちゃんの弾けっぷりが良かったし、
まさともちゃんと突っ込んでいた。

一時はレコードを出し、武道館でコンサートと


ツービート,紳助、竜助を凌ぐ活躍をした。

しかし、タレントとして残ったのは、
たけし、紳助、そしてこの頃のお笑いタレントとしては、
明石家さんまの3人なんだな。

その他のコンビについては、また来月以降に書きます。

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コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年04月24日 22:35
     漫才ブームは、僕が高2の時に始まってます。
     そうだ、あの頃はツービート…でしたね。「赤信号 皆で渡れば 怖くない」と言ったのは彼ら、と言うかたけしでしたっけ?
     『恋のぼんちシート』、これもなんかバカバカしい曲だけどうけましたねウッシッシ昔、四ツ谷でザ・ぼんちを見ましたよウインクただそれだけですが…
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年04月24日 23:21
    今日テレビで、映画監督としての北野武を見ました。
    初めてスーパーで買い物をしたり。
    でも、行きつけの喫茶店にツービートの相棒、ビートきよしさんもちらっと出演してました。
    今もプライベートでは仲がいいんでしょうね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年04月24日 23:21
    > mixiユーザー 
    高校時代だったら、クラスでも
    大いに受けたと思います。
    私の場合は、もっと大人でしたが、それでも、
    おさむちゃんの真似なんかしていました
    (バカですねあせあせ

    そう!たけしは、最初「標語式」の
    ネタをしていましたが、
    あれはセント・ルイスが
    先にやっていてような気もします。

    >【恋のぼんちシート】
    ワイドショーのモノ真似らしいんですが、
    元を知りませんでした。
    でも、大受けしましたよね
    オリコン2位まで行ったって。
    それくらい勢いがありましたよ。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年04月24日 23:27
    > mixiユーザー 
    >【恋のぼんちシート】
    ワイドショーのモノ真似らしいんですが、

     「そ〜なんですよ、川崎さん」「ちょっと待ってください、山本さん」って掛け合うやつです。あれは『アフタヌーンショー』だったかな?
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年04月24日 23:36
    1978年、タモリのイベント「中洲産業大学」を成功させた直後、漫画家の高信太郎が「ツービートのイベントをやりたい」と言ってきた。

    すでに高平哲郎から「浅草に面白い漫才師がいる」と聞いていたし、タモリのイベントにも起用していたので即OKして「初リサイタル・マラソン漫才」として準備を始めたが、直前になって「中止にするか相方を女房に替えたい」とたけしが言ってきた。

    会ってみると気の小さい彼がプレッシャーに負けただけだった。

    なだめすかし励ましてなんとかマラソン漫才は成功した。

    その後マンザイブームに乗ってスターダムにのしあがっていった。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年04月24日 23:45
    > mixiユーザー 
    たけし監督の映画は、特に海外でも評価が
    高いようですが
    私は、「菊次郎の夏」をビデオで見ただけです。
    ヤクザ映画って、興味はないしあせあせ

    きよしさんも、この間、テレビで
    たけしの番組の出て来たのを見ましたよ。
    別に「ツービート」は解散したわけでもないんですね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年04月24日 23:52
    > mixiユーザー 
    そう!「アフタヌーンショー」で山本 耕一が
    事件をレポートして司会の川崎敬三に
    説明するシーンだったらしんですが、
    逆に、ぼんちがネタにしてから知れ渡ったような気がします。

    そうでもなかったのかな?
    少なくとも中・高校生なんかは普段見ていなかったでしょう。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年04月24日 23:57
    MANZAIブームとかで〜ビートたけしが出てきた時には〜彼自身の体のクセ(肩を上げて首を曲げる)が面白かった。最近はその病気!?も治ってきたのか、まったく見かけなくなったみたいですよねぇ〜〜exclamation & question
    島田洋七さんの早口は本当に凄い指でOKハート達(複数ハート)と思いマス♪それに〜ハッキリと聞き取れる位に声がデカイし〜〜あせあせ
    島田紳助は漫才コンビの頃より、ピンで活躍してからが面白かった〜るんるん最近やっと〜今田 耕司の司会に慣れてきて〜「何でも鑑定団」ですが〜紳助の口の巧みさは「行列の出来る法律相談所」の司会もピッタリと馴染めて〜実に話術が面白かった〜おじ3デス♪
    最後に、ザ・ぼんち のおさむちゃんでぇ〜〜す♪とか〜橋幸夫のモノ真似が面白かったですなぁ〜〜ヾ(^▽^ヾ)♪
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年04月24日 23:57
    > mixiユーザー 
    貴重なお話をどうも!

    >相方を女房に替えたい
    奥さんも元お笑い芸人だったんですよね。
    それにしてもきよしさんも、
    そう言われたら惨めですね。あせあせ

    78年頃、タモリが売り出していた時、
    東京では、漫才はもう「古典芸能」になっていましたよね。(^^:

    それでもやはり、高信太郎あたりは、
    ツービートに目を掛けていたんですね!?
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年04月25日 00:17
    前にも書いたが、「花王名人劇場」はフジテレビの系列の関西テレビ発で、「てなもんやシリーズ」などをつくった澤田隆次による、いわば古い関西演芸番組のリニューアル。
    その人気を利用して、フジテレビの横澤さんが演出も進行も美術も今までの演芸スタイルを壊した「The MANZAI」を打ち出して流れを変えて、さらによりTV的なバラエティを作っていったというのが、漫才ブームのMANZAIムーブメントを区別するという、あくまで僕なりの解釈(^_^:。

    ある意味で、THE MANZAI」は、「ヤング、オーオー」のカジュアルをリスペクト?
    ツービートの毒ガスネタも、これまでのテレビの演芸の制約を壊した、下町の演芸場のものだった。
    ツービートの名前も音楽好きなタケシらしい。

    B&Bは洋七と、後にのりお・よしを組む上方のよしおおコンビたったか、
    「セント&ルイスくらい稼ぐには」と東京進出を目指す洋七と、大阪にこだわるよしおで解散。洋八を得て、全国人気を目指す。


    タケシと横澤Pに呼ばれることに。

    紳助はダウンタウンん見て自分たちの漫才の終わりを予感して知り、司会とプロデュースで延命を。。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年04月25日 00:39
    > mixiユーザー 
    ピンになってからの島田紳助、
    司会の番組って、あまり見ていなかったけれど、

    行列の出来る法律相談所」と「TBSの感謝祭」
    は見ていましたよ。
    ああ、一時報道番組「サンデープロジェクト』のキャスターに
    抜擢されましたが、「大丈夫かよ!?」と思っていました。
    本人が「私は報道するほうではなく、
    (犯罪を犯して)報道されるような男ですが、、」
    と自虐ギャグをとばしていましたがね。ふらふら

    まぁタレントとしては才能があった人だと思いますよ。
    テレビで見ている分には面白い。
    近くに住んでいたら微妙ですね。
    若手芸人ばかりではなく、素人さんも
    罵倒されたと聞きますから。あせあせ
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年04月25日 00:46
    > mixiユーザー 
    たけしの老人イジメネタはセンセーションを呼びましたね。
    放送禁止一歩手前か、振り切っていたでしょう?
    あれで、紳助・竜助も思い切ったネタを飛ばせたのでは?

    >紳助はダウンタウン
    かたや、ダウン・タウンは横山やすしから
    「チンピラの立ち話」と酷評されたとか、

    私も、ダウンタウン、とんねるずといった80年代半ばの
    お笑いは分からなくなった。
    歌謡界も、「おにゃんこ」が出てきた時で、
    これも付いて行けなくなったなぁ。(^^:

    まぁ、紳助としては、ダウンタウンとか
    若手に脅威を感じていたし、
    そういつまでも漫才をやっていく気も
    なかったんでしょうね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年04月25日 00:48
    THE MANZAIは面白かったですねえ。
    ツービート、紳助竜介、B&B
    すべて新しいものを感じました。
    でも、大トリに出るやすきよにもホッとするものを感じたり。

    たけしは、このあと「オールナイトニッポン」をやるんですが、
    これが抱腹絶倒の面白さでした。
    毎週聴いていて、高校の金曜朝(ラジオの次の日)のクラスの話題は、
    ほとんどたけしのオールナイトでした。
    おかげで寝不足でしたあせあせ
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年04月25日 05:06
    私は、ひょうきん族を通じて、若手の漫才ブームを見ていました。大正テレビ寄席や日曜演芸会などが好きだったもので、随分変わったなと感じました。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年04月25日 11:15
    > mixiユーザー 
    >たけしのオールナイトニッポン
    私も聞いていましたよ。
    と言っても、短い期間でしたが。
    81年の1月〜3月、、つまり大学4年の終わり、
    4月からの就職の前、最後に夜更かしが出来た時期です。
    WIKIを見ると、この番組は
    1981年1月1日から1990年12月27日、
    とありますから、始まってすぐに聞き始めたことになりますね。
    で、その時に「村田英雄ネタ」をやっていましたよ。

    それと、この放送は木曜日の深夜1:00〜3:00とありますが、
    木曜の夜?正確に言って、金曜日になった時でしたかね?
    なら、私は中学の時から、野沢那智と白石冬美の「TBS金曜パック」を
    聞いていたはずですが、浮気をして、たけしのほうを聞いていたのかな?
    そんなに毎日、深夜放送を聞いていたということもないんですよ。
    「パック」を聞いていて、CMの時、他の局に合わせたら、たけしが
    DJをやっていて面白かったので、そっちを聞き始めた、そんなところでしょうね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年04月25日 17:18
    蟹座さんの評価は低いですが、紳助は一種の天才です。

    関西という土地柄はお笑いにはとても厳しいです。
    もう一般人からして相当のレベルですから。
    その連中を笑わせるというのは、並大抵ではないセンスと共にどぎつさが必要とされます。
    ダウンタウンの浜田なども、関西で「若手を鍛える番組」を持っていますが、それなど観ているともう寒気がするほどの厳しさです。

    紳助が押し渡ってきたお笑いの世界は、まさにそういう生き残りをかけた地獄のような世界でした。
    彼が時々見せる剥き出しの厳しさは、そういう世界を見てきた者の彼なりの結論なのです。

    おそらく関東の人には理解も共感も難しいだろうなあ、とは思います。
    僕も彼の不良時代など擁護するものではありませんが、それさえも笑いにできるのもまた才能であろうと思います。

    「鑑定団」「ヘキサゴン」「法律相談所」すべて彼のアイデアと才能と舵取りがなければ存在すらしていなかった番組です。
    失われた穴はあまりにも大きく、残念でなりません。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年04月25日 23:00
    > mixiユーザー 
    私は「ひょうきん族」を、あまり見ていないんですよ

    ちょうど私が就職した年に始まって、最初は時間的に
    見られなかったこともありますが。
    世の中では、大変話題になっていることは無論、知っていました。
    当時、同じ曜日、時間帯に放送していた人気番組「ドリフの全員集合」を
    打倒すべく企画されたお笑い番組だったようですね。
    まぁ、私も数度見ましたが、画期的でしたね。
    あれは1969年の「ゲバゲバ90分」の再来のような斬新さでした。

    あの番組でブレイクしたのは、古典的な漫才コンビではなく、
    たけし、紳助、のりおといった濃いハチャメチャ系でしたね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年04月25日 23:27
    > mixiユーザー 
    まぁ私も本文の中で
    >確かにお笑いの頭は良いね
    と一定の評価はしています(^^:

    >鑑定団」「ヘキサゴン」
    は見ていませんでしたが、
    「法律相談所」は毎週見ていました。
    仕切りが上手いし、良いタイミングで
    ギャグを飛ばしましたよね。
    たけしが失った毒をまだ持っていました。

    彼自身が言っていた言葉ですが
    「80年漫才ブームで、生き残ったのは
    たけしさん、さんま、そして僭越ながらオレ(紳助)
    」と言っていましたよ。

    突然の引退は衝撃的でしたが、
    あれも逆を言って不祥事が表に出る前に
    身を引いたとも言えますね。
    クレバーな人です。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年04月25日 23:54
    僕の記憶が確かならB&Bは最初のコンビは洋七とのりお、よしおのよしおがコンビを組んでた記憶があります。かなりテンポのよい漫才で面白かったです。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年04月26日 00:05
    > mixiユーザー 
    >初代B&Bは洋七&よしお
    そうらしいですね。
    ↑で silvaxさん もコメントしています。

    私も、漫才ブームのちょっと後に、
    そのあたりことを聞いた記憶があり、
    その時、洋七と、よしおが組んだら、
    洋八よりも、くどく突っ込む、
    漫才としては、かなりしつこくなりそうだと思いました。
    関西では、受けても東京だと、、あせあせ

    「うなずき」とまでは言われないにしても、
    洋八くらい控えたほうが、洋七の味は出ると感じましたよ。
    まぁ結果論ですがね。あせあせ
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年04月26日 00:50
    > mixiユーザー たしかに、B&Bはよしおより洋八の方がアクがないしテレビ的で面白いでしょうね。関東で受け入れられなかったら全国区になっていなかったでしょうし。

    話は変わって僕が大学生の頃、1日アルバイトでパーティー会場での制服を着て各テーブルに皿の運びなどをやったときに(女子大の卒業記念か成人式パーティーかは忘れましたが)ザ・ボンチがゲストにきて漫才をやりにきましたが、ちょっとしたステージに上がる前に裏側を通るのですが、自分達が忙しいのもあっただろうし、若かったし血の気が荒いのもあってか、怒った感じでイラついていましたよ。なんで自分達がショボイ所を通らなければいけないんだと。
    漫才はテレビで見たままのパターンでドカンドカンうけていましたが。

    紳助は学生時代はあまり悪くはなかったらしいです。
    僕が消防士時代、先輩に紳助と中学、高校と同級生で親友の人がいたのですが、その先輩が言うには真面目な性格のようです。
    あと竜介は紳助に普段から、かなり気を使っていたとか。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年04月26日 01:12
    > mixiユーザー 
    洋七&よしお
    見たことがないせいか、
    イメージは浮かびませんが、
    面白かったんでしょうね。
    でも、「岡山」を貶すネタはできませんねあせあせ

    のりお&よしおも結構面白いと思いましたよ。
    このコンビについては来月にでも。

    おさむちゃん、マジで「怒ったぞ!」だったんですか?(^^:

    >紳助は学生時代はあまり悪くはなかったらしいです
    そうなんですか?
    でも、「保護観察」処分は、本当の話でしょう?

    まぁ、若い頃にヤンチャをした人は、
    ことさら、話を広げて「俺も結構悪だったんだよ」
    と自慢話をする人はいますよねあせあせ


  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年04月26日 05:23
     ビートきよしといえば「雨の道玄坂」(^_^;

     当時、目黒駅前に横断幕が張られていたのを覚えています。しかし、雨の日には寒々としていたなぁ(^_^;(^_^;
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年04月26日 11:48
    たけしはツービート時代はあまり記憶がなくて、タケちゃんマンで存在を認識しました。

    といっても、バラエティ番組は苦手なので、名前を知っていたという程度でしたが。

    それが北野武の一連の作品を見て、映画監督としての彼のファンになりました。^^
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年04月26日 13:14
    > mixiユーザー 
    >おぼんこぼん。。
    も次回かその次くらいに取り上げようかと
    思いますが、個人的には、ちょっと、好きくなかった。(←サブロー、シローかよ?)

    紳助はやはり頭の回転は速かったですね!
    で、この漫才ブームのあとが、ダウンタウン、とんねるず、
    ウっちゃん、ナンチャンですが、、この辺も良く分からん。
    まぁ松本は面白いと思います。

    爆笑問題は、この世代なんですが、売り出すのがちょっと
    遅れたんですね。太田も笑いの反射神経は鋭いと思います。

    >1発屋さんが 多くて 長続きしませんねぇ
    そうですよね。
    昨年、流行った「だめよ〜だめだめ」は
    最近見なくなったし、
    今、人気絶頂(?)の8・6秒とかも
    もう秋にはいないでしょう。
    私かた見ても、全然面白くないがく〜(落胆した顔)

    >北野タケシのお笑いの部分の 片鱗も出さないとか
    というかあの人、もうお笑いの才能が枯れたんでしょう?
    というような毒もなくなりましたね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年04月26日 20:56
    > mixiユーザー 
    >雨の道玄坂
    はて?聞いた事はないし、
    >目黒駅前に横断幕が
    なんで目黒駅なんだろう?
    と思ったら、「雨の権之助坂」ですよね?
    Peteさん P出身地なのにヤバいですよ(^^:

    その頃、私は東京から離れていましたが
    権之助坂は、盛り上がっていたんでしょうか?
    彼の歌では、もう一曲「茅場町の女」というのを
    ポスターで見た記憶があります。

    時々、あまり良い事ではなく、ビートきよしの
    名前がマスコミに出ますね。
    http://shukan.bunshun.jp/articles/-/3952
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年04月26日 21:07
    > mixiユーザー 
    思うに、80年の「漫才ブーム」の折りは
    なしごれんさんも就職したばかりで
    あまりテレビの演芸番組も見る時間がなかったのかな?
    とお察しします。
    同じように、私も「ひょうきん族」は少なくとも
    最初の時期は見ていません。
    見られる環境ではありませんでしたから。

    でも、まぁ私もたけしが「タケちゃんマン」
    に扮してさらに人気者になったという話は耳にしました。
    あと、その相手役のブラックデビル役のさんま、
    彼も漫才ブームの時は、ほとんど知りませんでしたが、
    あの番組でブレイクしましたね。

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年04月26日 21:27
    タケシの老人いじめネタは制作サイドとの打ち合わせ済みと、後に関係者路に聞きましたよ。
    「花王名人劇場」と「THE ANZAI」の大きな違いの一つに、前者は基本的に年齢や性別を問わない公募抽選による集客でしたが(ドラマなどもあったか)、「THEMANZAI」は、各大学の落研や放送マスコミ研、関連学部学科、専門学校の生徒、その知人など若者限定で招待して、完全に若者限定のターゲット。基本はスタジオライブ形式で(劇場を使う時も)。そしてウケもディレクターの指示も。
    テレビを意識しない寄席などでの噺家は小噺の枕には客を見て、「ここだけの話」の危ないネタをして、イロモノもそれに倣っていました。
    そういう、これまでのテレビの演芸の制約を外れたネタを、敢えてやっちゃおうか?と言う横澤Pとタケシの狙いです。
    基本的に収録だし、意図しないやばいネタはカットや撮り直し出来ますしね。
    あの番組は元々ネタをフルに放送せずに、編集をして「ここはいいや」という部分はトリミング。拍手や笑いもアフレコも加えて調整、VFXでポップな映像も作っていましたからね。
    横澤演出に乗せられましたね(^_^:

    横澤Pと言えば番組に出たがり「P」の草分けですね。「俺たちひょうきん族」の神父とかね。

    「ザ・ぼんち」あまりネタはなかったが、オサムちゃんのキャラで広く受け、
    何と言っても「アフタヌーンショー」での川崎敬三と山本耕一の事件レポートのモノマネ?で受けましたね。川崎も山本も俳優で事件レポートはことさら芝居がかっているわざとらしい演出。
    さらにそれをカリカチュアライズ。うまいネタを選んだ勝利ですね。
    歌も受けて歌番組にも。
    アイドルにもうまく絡み、むしろオサムちゃんのキャラはあっても芸はなさげなのは、アイドルと絡みやすい。
    見た目で面白いオサムと、マサトの芸人としては二枚目との対比は、第二のチック・タック?(^_^:

    しかし、「オサムちゃんでっす」は、アダモちゃんと、のりお・よしおのノリオのように、文字では伝えられないイントネーションとポーズの面白さですね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年04月26日 22:31
    > mixiユーザー 
    鶴瓶は飄々とした味がありますね。
    彼は、75年に東京12チャンネルの番組に出て、
    アソコを出してしまい(^^:、まずその時点で一旦東京進出が
    ダメになったと。で、漫才ブームで徐々に名前が知れ渡り
    私もこの頃、82、3年にハッキリ名前と顔を覚えたように思いますが。
    85年、東京に冠番組を出しますが、これもコケタんですね。
    でも、その後、ジワジワと東京に浸み込んで来た気がします。

    中尾彬は見慣れているけれど、
    近藤正臣もずいぶんオジサンになりましたね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年04月27日 00:37
    日曜の夜に関西ローカルのナイティナインの岡村のテレビにビートたけしがゲストに出演していて漫才に関することを話していたのですがWヤングの亡くなった方の中田さんの不器用なツッコミが好きだったとか。
    もし、相方を組むのだったら上方よしおと組みたいとか言ってました。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年04月27日 19:51
    > mixiユーザー 
    >「ザ・ぼんち」あまりネタはなかったが

    確かにおさむちゃんのパワーだけで
    押し切っていた感はありますね。
    彼ら、最初の時、ツービートを意識したのか
    ちょっと残酷ネタを振ったのを覚えていますよ。
    ただ、おさむちゃんは照れていました。
    たけしみたいに、自然体でスッと言えないんですね。
    で、次に見た時は、オチを変えていました。

    「恋のぼんちシート」も、
    本当にあの時の漫才ブームに勢いでオリコン2位まで
    行ってしまった曲ですよね。
    メロディも、洋楽の曲をパクっている、とたけしがラジオで
    暴露して、近田春夫がアッサリ認めてしまう一幕がありました。
    http://dorobou-ongen.seesaa.net/article/409619721.html

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年04月27日 19:52
    > mixiユーザー 
    上方よしおと組みたいとは意外ですね。
    まぁ、面白いかも知れません。

    漫才ではないけれど、たけしと話をさせて
    合うのは、所ジョージですね。
    まぁ彼は結構誰とでも話を合わせられますけれど。
    タモリにしても、紳助にしても。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年04月27日 21:36
    近田春夫も「必ずしも悪いばかりではない」と言う立場でしたね。パクリのリスペクトの問題ですね(^_^:
    元歌を歌ったイギリスのダーツともこの曲がきっかけで親しくなり、彼らの曲のプロデュースをしましたよ。。才能ですね。

    上方よしおは元々はB&Bで人気があり関西の人気者でしたね。
    東京進出を断りコンビ解消。しかし、けっきょくのりお・よしおで。

    鶴瓶、ラジオのヤングタウン東京やテレビで東京でも放映のヤングオーオーで東京でも注目。
    大きなカーリーで、やや卑猥ネタが得意。伊藤咲子「いい娘に会ったらボッキ」とか(^_^:
    大阪の深夜放送でも危険な言葉を連想して番組を自粛。。
    12ch.も半分は期待というか想定範囲の裸でしょうが繰り返しなので、上か怒った。言っても上は日経新聞だから。
    12ch.にデキンと言えば片岡鶴太郎に乗せられた松本明子のIf I You Key。
    99/岡村のオールナイトニッポンはかなり卑猥な言葉が満載ですが、鶴瓶と鶴光のリスペト?
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年04月27日 23:02
    > mixiユーザー 
    確か、「恋のぼんちシート」とダーツの曲が
    そっくりだと指摘したのは、たけしの「オールナイトニッポン」
    だと思います。
    その時、リアルタイムで聞いていましたよ。
    おさむちゃんは、そのダーツの曲を知らなかった
    =パクリも知らなかったようですね。
    まぁ私も知りませんでしたが。

    それ以前に日本の歌謡曲はー人気作曲家T
    (一応イニシャルにしておこう)も含めて
    ー洋楽のパクリが多いので、驚きはしませんでしたがね。

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年04月27日 23:34
    ダーツ、スパイク・ショーンズのように楽しいアレンジが特徴でした。
    曲調は全く違うが、米米を見てダーツを連想しました。
    たけしとタモリのANNは、生で効かない時はラジカセに録音。寝落ちにも備えました。
    後に伊集院のANNの企画にはときどき手伝って、なんだかんだで、
    ニッポン放送の橋渡しでフジサンケイの広告会社に移籍。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年04月27日 23:45
    > mixiユーザー 
    >近藤正臣と言えば 「柔道一直線」で ピアノの鍵盤の
    それ、リアルタイムではなく、テレビの「懐かしの名場面集」とか
    そういう番組で見ましたよ。

    私、基本的に日本のドラマ、アニメは見ないので。
    「柔道一直線」の原作も、後追いで単行本で途中まで読みました。
    近藤正臣は73歳かぁ!?
    まぁ「柔道一直線」が45,6年前ですから、それくらいになりますね。
    あの時も、27,8歳で高校生の役をやっていたと本人も苦笑していましたが。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年04月28日 21:12
    > mixiユーザー 
    これですか?
    ダーツの「ダディ・クール
    https://www.youtube.com/watch?v=bKlqo2ukDtg
    なるほど。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年04月29日 19:54
    > mixiユーザー 
    なるほど。
    まぁ一理はありますね。
    特に、たけしみたいな毒を
    はらんだタレントには
    キツイ時代になりました。

    でも!
    例えば、80年代でも、ザ・ぼんちとか
    オール阪神・巨人とか毒がなくても
    素直に面白い漫才がありましたからね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年04月29日 23:18
    > mixiユーザー 
    >愛川欽也 パックイン・ジャーナル 
    やっていたらしいですね。
    あの人も喋ると止まらなくなり、
    一度「パックインミュージック」で
    話つづけ、とうとう2時間の番組中、
    一度も音楽が掛からなかったことがありました。
    次の回で欽也さん「先週はパックイントーキングでした」
    って言ってたけれど。

    たけしの漫才は、むしろ「ひとりでやる漫談」
    に近かったですね。
    時々、暴走するのをきよしが「やめなさい!やめなさい」
    と制止していましたが。あせあせ

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