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2019年03月11日20:42

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面影橋の桜

旧友たちとの今年の観桜の集いは、26日に面影橋の界隈の神田川のほとりを歩くと決めた。当然、そのまえには飲んでからだ。
私が都内の地名で好きなのは、神田の妻恋坂とこの早稲田裏の面影橋である。
気象庁による今年の都内の開花日予想は20日ごろとのことなので、満開はその一週間後の26日ごろだろうと踏んだのだ。
そもそも中退でそう言える資格があるかないか知らないが、それは母校の脇の都電の早稲田終点から三ノ輪まで都内で唯一走っている都電線路に沿って、終点に近いある行程を流れている川だ。
学生時代の友人の下宿がその沿線にあり、深酒で泥酔して深夜に都電線路に寝転がって車掌に警笛をぶちかまされたり、べつの友人は神田川に面した二階の下宿の窓から真っ逆さまに下の川に転落して下半身を複雑骨折し、あそこから落ちたのはワシだけやと姫路弁で自慢したやつもいた。
その沿線の途中に、面影橋、学習院下、その先に鬼子母神、雑司ヶ谷墓地がある。
キャンパスで出会って約50年、ずっと年数回ずつ飲んできた3人の仲間の2人は中退。5人で年一回会う忘年会では3人が中退である。この凄まじい事実は、いかにもあのやくざ大学らしいな。ときにその忘年会にやってくるお嬢様学校の横浜フェリス出身の唯一の女性は、ミステリー翻訳家だが、さすがに当然まじめに卒業している。

ところで。
前回ポリーニのことを書いた後で、2つ、書き残したことがあった。
1つは、西洋哲学史で一貫してその主張が対立してきた主体と客体、精神と物質を説いてきた代表的な哲学者、思想家たちのうち、西洋で伝統的なその図式に従うことを潔しとしなかったひとりの、前回書き残した戦後日本の哲学者とその代表作著作のことだ。
その哲学者の名は、廣松渉。
その主著は、世界の共同主観的存在構造。79年刊。
私がちっぽけな会社を銀座の裏町に立ちあげた94年に、ライフワークの『存在と意味』を未完のまま、惜しくも60歳の若さで没してしまった。
長くその著は入手困難が惜しまれてきたが、一昨年の17年、ようやく岩波文庫に収録された。斯界やアカデミズムでもすでに古典と、世界水準でも群を抜く瞠目の哲学の仕事を認めざるを得なくなったのであろう。
学生時代から新著が出されるたびすぐ買って読んできたが、その圧巻の主著は、私がキャンパスを去って6年後の79年に出された。
内容の浅いロシア・マルクス主義を抜く水準の哲学は戦後世界の西欧ではハンガリーのルカーチとフランスのルフェーブルというのが現代哲学史の定評だが、この廣松の仕事はその3人の仕事を読んだ私からみて、明らかにそれを大きく凌駕している。
だが今日は、前回にポリーニの仕事のことを書いてから一週間、それから毎日聴いてきたベートーヴェンの最後の3つのソナタのことを、書く。これには、深く打たれる。

ポリーニのこの瞠目の演奏を聴き、私はこう思う。
ここにあるのは、ベートーヴェンの後期に入って以降明らかにその世界をかれがはじめて音楽史で切り開いたロマン派の情念とは、明らかに、さらに、違っている。
109、110、111のこの世界は、ドイツ・ロマン派が多くそうである哀愁や、私の好きなシューマンに濃厚な深い霧の中をどこまでもあゆんでいく遥かに遠いものへの憧憬でもない。
そして、暗鬱や悲しみでもない。
では、何か。
それは私には、わたしたちが立っているこの生の場所の何とも言葉にし得ぬものの気配を、バロックとも古典派とも、ほとんど信じがたいことだがそれを先取りして予感し音にした前期や後期のロマン派ともはっきりと異なる視線で独立の世界に浮き彫りにした前人未踏の精神の土地からの報告であるように、思える。
何が前人未踏なのか。
意識、頭脳というものを持つようになったわれわれホモ・サピエンスが、あるとき気づいてみたらそういう場所に立っていた、第12番以降の後期弦楽四重奏以外の最晩年のベートーヴェン以外に誰もその場所の現認報告を人類が聴いたことのない世界からの音による作品化である。
それは、感情や情念というものでは届かない。
なぜならそれは、われわれ人間の意識というものの最も底が、じつは無根拠である事態を、喜怒哀楽とは根本的に異なる深度で淡々と語った世界だからである。
それを性格づけるに限りなくシンプルな、だが前例のない静けさの神秘をもってしたところが、音楽史で初の世界を何度ももたらしてきたいかにもこのボン生まれの魔の獅子王らしい。
私にはその世界が何かの説明は、フォイエルバッハの次の言葉が、あまりも的確であると思える。
「人は、意識されない深淵の上に、意識を持って立っている」


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