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2019年02月12日19:09

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石川淳、檀一雄

私のもっとも好きな作家は石川淳だと書いた。
石川は士族の末裔だが、勝麟太郎とおなじく賊軍に当たる旧幕の家の家系で浅草の生まれ。
無頼の徒の多い巷と人びとを愛した。旧制中学を終え慶應の予科に入るが、一年足らずで中退し東京外語に入り直す。すかした学生の多い三田の校風が合わなかったのであろう。
そういえばかれの孫の探検家の石川直樹は01年の学生時代、世界七大陸の最高峰登頂を史上最年少の23歳9日で世界の55人めで成し遂げたが、在籍していたのは早稲田の二文である。その血筋は分かる。
檀一雄も好きで、この石川淳とならび、短編集『花匡』の初期から敗戦期の九州の荒涼の海岸で結核の妻と暮らし看取るまでを綴った『リツ子その愛』『リツ子その死』までの檀や、『月山』の森敦あたりは、文章の見事さで日本の作家中群を抜く。
もうひとり、小説ではないが、小林秀雄。

石川淳を知ったのは、大学浪人時代に小学校の夜警をしながら深夜の職員室や宿直室で読みふけった本多秋五の名著の大作『物語戦後文学史』からだ。本多は敗戦後すぐ発刊された雑誌『近代文学』の創刊メンバーの1人。この雑誌は、敗戦初期に続々と名を挙げたいわゆる第一次戦後派たちの作品を中心的に取り上げ、世の中に紹介し、売り出した。じぶんたち近代文学同人を含む埴谷、野間、大岡、椎名、梅崎、武田たちの前半生、作品、人間の性格と特徴については克明に書かれていた。それは無頼派の太宰、安吾、織田作、石川淳についても同じだった。私は戦後文学全体への知識につき、どれほどを本多のこの著に負っているか知れない。
大学に入学し、ペイの飛びぬけて高い鳶と工事現場の肉体労働で短期で稼いで当時全14巻で古書店に積まれていた石川淳全集を7万4千円という目の玉の飛び出る高額で買った。

その全集で次々に石川淳の作品を読む中で、かれが荷風とならびわが近代文学中で別格的に畏敬している鷗外を書いた『森鴎外』を読んだ。その著の冒頭はこうだ。
「『抽斎』と『霞亭』といずれをとるかといえば、どうでもよい質問のごとくであろう。だが、わたしは無意味なことはいわないつもりである。この二篇を措いて鷗外にはもっと傑作があると思っているようなひとびとを、わたしは信用しない。『阿部一族』、笑止である。『山椒大夫』、児戯に類する」
ずけりずけりと断定し、畳みかけるこの文体は私を魅了した。
ではと、その作品を読了してから私は、廉価版で購入してあった書棚の鷗外全集のうちから、石川が鷗外の最高作と絶賛してやまない『澁江抽齋』『伊澤蘭軒』『北条霞亭』の最晩年の史伝三部作を次々に読んだ。

読んだ直後の当時の感想は、やや複雑だった。
面白いか面白くないかといえば、まったく面白くない。江戸期の地味な儒学者の伝記なのだから、それは当然である。その点で少年時代の私が耽読してきた冒険小説、探検記、19世紀のヨーロッパ文学とはまるで違う。だが、ここには、それらとはまったく違う何かがある、と私は感じた。その点で当時のじぶんを私は褒めてやりたい。なぜそう感じ取れたのかは分からないが。ではその「何か」とは何だったのか。
それは、人の生きる時間とはどういうものか。それを人はどのように受けとめているものなのか。また受け止めるべきものなのか。そういう全体のなかで、心はどういう位置にあり、またどのような役割を果たしているものなのか。いま言葉にしてみるなら、当時私が鷗外史伝を読むなかから感じ取ったのは、そういう人の生の普遍と、それを見つめる何ともいえない品というものだったのだと思う。
もうひとつ。そういう全体は、ストーリーではなく、文章、文体というものからしか伝わってこないということも、私は鷗外史伝からまなんだのだと思う。そういう感懐の中から、なるほど石川淳という作家が祖父の旧幕の昌平黌の儒官や、慶應予科中退後の東京外語での仏語学、さらに独学での江戸学の和漢洋から学んだものとは学問の持つそういう重量と、それから人間の気品というものだったのだなと、石川淳全集を読むなかから、形式知ではないもので、若年の私に伝達されていくものがあったのだろう。

東京外語を卒業した石川は九州に行き、旧制福岡高校で教えた。現在の九大教養部だ。
そこで試験官をつとめたときの受験生の1人が花田清輝である。また旧制福岡中学に短期に教えにはいったとき前後にそこでストライキをやって一年間の休学処分を食らい、その間九州の山野を跋渉して過ごしたのは檀一雄である。 檀は後年の文章で、山と野を連日歩き回り、古木の巨樹にある洞のなかに野生のがまを飼っていたと書いていた。また猛烈に本を読みたくなる衝動に駆られると、故郷の街の柳川の旧立花伯爵邸内に置かれていた図書館にこもって片端から書を読破した。そんななかにロマン・ロランの『ベートーヴェンの生涯』があり、まるで野獣を思わせるこの作曲家に惹かれたと、私が学生時代に立ち読みしたみすず書房のロラン全集に挟まれていた月報に書いていた。檀とベートーヴェンの取り合わせが意外だったのでとても印象に残った。
私は檀一雄を好きになってからかれの青春時代の足跡をたどりたくなり、その旧立花伯爵邸の後身になる柳川の老舗旅館の御花と檀の墓の福厳寺を二度訪ねた。一度はカミさんを連れてだ。

学生時代に古典からまなんだものといえば、上記の鷗外史伝とべつにもう1つ、マルクス本人が、全四巻のうちそれだけを生前に書きあげ刊行した『資本論』第一巻を挙げなければならないのだが、その資本論のことはすでに書いている(2−4巻は遅れて40代に読んだ。だが衝撃は何といっても第一巻)
なお最後にちょっとだけ触れておくと、一級の書籍には、大なり小なり上記に触れたような香気、品格がふくまれている。作家からそういうものや教養がなくなったのは、戦後の司馬遼太郎からであろうと私は思っている。

昨日、新国立劇場に電話し、石川淳の原作をオペラ化した西村朗作曲の『紫苑物語』の最終日24日のマチネーのチケットを購入した。
意外なことにD席とZ席は完売で、6400円のC席を買った。
私が現代日本のオペラで接したのは団伊玖磨の夕鶴だけだ。ソプラノ佐藤しのぶのこれは、感銘深かった。
佐々木幹郎のオペラ初体験の台本と、西村の音楽やいかに。
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