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2015年06月07日12:32

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福島原発事故直後の全容―船橋洋一『カウントダウン・メルトダウン』を読む・上

3・11の地震・津波に次いで起こったこの事故は、自然災害と産業事故と社会的大事件とが重なり合い、間違いなく戦後日本最大の危機として記録され、記憶されよう。

20世紀に起きた歴史的事象のうち、ロシア革命の発生はジョン・リードの『世界を揺るがした十日間』が、中国革命初期の毛沢東たちの長征はエドガー・スノーの『中国の赤い星』が、第二次大戦のパリ解放はラリー・コリンズ他の『パリは燃えているか』が、中国の文革はチェン・ニエンの『上海の長い夜』が、ベトナム戦争とケネディ政権はデイヴィッド・ハルバースタムの『ベスト&ブライテスト』が、それぞれ後世に残る記録を書いている。

船橋が立ち上げた日本再建イニシアティブがおこなった民間事故調査団による検証作業の後からはじめられ書き上げられたこの著作は、その関係者取材の網羅性、徹底性、全体感の客観性において、前掲書群とおなじように、この事故を振り返ってみようとする者に、最高の指標になると思われる。後世に残るものとなろう。船橋も、出来事の深刻さを背景に、十二分にそのことを意識して書いたと思われる。それは、3・11福島原発事故発生とそれから一か月ほどの原発現場、東電本店、対策に追われた政府中枢と霞が関、警察・消防・自衛隊の事故対応部隊等の活動とそれらの組織と人間性の実態、それらになかにある胸を打つものと呆れる無責任さの事実を、米国側の政府、官僚、原子力機関、米軍の対応とともにつぶさに報告している。

この本の構えを象徴的に示すのは、事故から一か月ほどの菅直人首相の行動の総合評価にかかわる部分だ。船橋はこう書く。「菅は、その言動の粗暴さ、指導者に求められる沈着冷静の正反対ともいえる短気と“てんぱった”言動、ヘリ現地視察に現れている誤った行動、炉状態だけに意識が集中され、全体をバランスよく見ることの出来なかった視野狭窄などにおいて、批判されてしかるべきである。だが、下手すると首都を中心とする関東全域、ひいては東日本全域が壊滅するかもしれなかった最大の難局の瞬間に当たって、誰かがそれを当事者東電にいわなければいけなかったにもかかわらず政治家は怯んで誰もいえないでいた「死んでもやれ!」を、事故影響の範囲の過酷さへの特有の動物的カンと生命力でおこなった唯一の政治家として、評価されるべきである」

上に書いた部分は、もちろん3月14日深夜から翌未明にかけて発生した清水社長ほかの東電上層部から政権中枢複数への「もう打つ手がありません。間もなく現場から全面撤退しようと思いますが、その承認をお願いしたい」との5、6回以上の執拗な訴えを、それを知った菅が激怒し、15日未明に内幸町の東電本店に直接乗り込んでおこなった「撤退など絶対に認めない。最後は、60歳以上の人間は命懸けで現場に乗り込んでやれ。オレも行く」とぶちかました場面を指す。

この行動については直後からとくにネットで、「菅は気が狂ったのではないか」「一政治家が私企業に命令できる法的権限がどこにあるのか?」などの批判が渦巻いた。こういう人たちは、当事者中の当時者たる東電がさすがにプロといわれるほどの的確で迅速な手を次々に打っていれば、誰もこんなことを思いつくこともやる必要もなかったろうという当時の全体への客観的認識をあまりにも欠いている。また法的根拠については、「原子力災害法」のなかに、「総理は事故緊急事態を宣言した後で、それが必要と認めるときは、事業者等に指示をすることができる」とあるそうだ。

私はこの当時から、東電の信じられぬ無能さ、無責任さ、傍観者性に呆れ、怒り、従ってほかのことはともかく、菅のこの東電乗り込みと恫喝の行動はただしいと、思っていた。さらに菅がこのときそうした背景には、そうしないと事態への制御無能に呆れた米国がやがて直接介入し、それは日本が独立国ではなくなることを意味する、との判断があったことが菅の後の言葉から、記されている。船橋のこの上下二巻900ページほどの大著のひとつの大きな価値は、米国の政官軍にまで太く多様なパイプを持つ著者の人脈を縦横に生かし、それらの米国の組織、人々が福島事故をどう受け止めたか、政府や東電の対処をどう見ていたか、それらで対処できないと見たときにはどう動くかを描きだしていることだ。自分たちで対処できなくなったら最後は米が直接でてきかねない、それだけは何が何でもさせるわけにはいかないと、管とおなじように腹を括っていたのは自衛隊の折木良三統合幕僚長であったことも、ここには記されている。

なお、事故発生直後から福島原発では50人から70人ほどの人員が文字通り不眠不休で奮戦しているとき、救急医が足りなかった。おそらく自発的にやってきた杏林大救急医学部の医師だけだった。その後その事態を知ってやってきたのは、原燃、三菱重工、関西電力三社の産業医だった。肝心の東電の産業医たちは、「自分たちの契約は、平時の東電社員の病気を診断することで、こういう原発事故のような緊急事態は契約に入っていない」と、福島行きを、拒否したそうだ。

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