多幡説の紹介と、高野説との比較、自分の見え方の答え合わせです。
多幡説に関して解釈のおかしいところがあったらご指摘ください。
古来の『鏡像のなぞ』は、「鏡は左右を逆にし、上下を逆にしないのはなぜか」というものです。実際の鏡像では左右逆転と認知される場合と、逆転しないと認知される場合があります。多幡説では、左右逆転を、座標系で説明します。
多幡説では座標系を導入します。鏡像が実物と同じように感じられるときにのみ左右反転かどうかと考えるので、「座標系は、鏡像内で鏡像反転しない」と仮想します。座標系は次の2種類です。
『固有座標系』:物体・鏡像それぞれに(上、前、右)の向きを与える
『共有座標系』:物体・鏡像共通で(上、北、東)等の向きを与える
さらに、『固有座標系』は2種類あって、
『正規固有座標系』:それ自体が左右を持つもの
『疑似固有座標系』:観察者の視点で左右が与えられる
そして、座標系の選択に心理が関係します。選択の基準は、
形が重要なとき→『固有座標系』
位置が重要なとき→『共有座標系』
どちらも特に重要ではないとき→被験者の左右概念の学習に依存
未知の文字→ランダムに選択
です。
物体の『固有座標系』は、(上、前、右)の順に決まります。このとき、上・前は独立に決まり、左右は上下・前後から自動的に決まる従属的な軸です。(左右軸の従属性) この順序は、ヒトの体が外見的にほぼ左右対称であることに由来する事実としています。
人物の『固有座標系』は、(頭、腹、右手)の順に定義
鏡像の『固有座標系』も、(頭’、腹’、右手’)の順に定義
とすれば、鏡像の上下前後は反転せず、左右が反転します。
山が湖面に映す姿を観測者が横向きに寝転んで見る場合には、
山の『固有座標系』は、(重力方向、観測者の視線、右)の順に定義
山は上下が反転し、観測者の上下と山の上下は一致しません。
『疑似固有座標系』の左右は、『正規固有座標系』の左右とは逆になります。左右反転をもたらすという意味では、同質のものです。
『共有座標系』では、基本的に左右反転は起こりません。例外として、「鏡面に垂直な方向が共有座標系の左右軸である場合」(「場合 S」と呼ぶ)には、左右逆転の認知が生じます。左右と光学反転方向が一致する場合です。
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多幡説を、『多重プロセス理論』(高野説)と照合します。
『視点反転』
『正規固有座標系』が相当します。(制御的な心理過程)
・左右がほぼ対称な顔の人の、自分の顔(制御)
『疑似固有座標系』も近いです。
・文字や記号(制御)
・見慣れた風景(制御?)
・文字盤に文字のない時計(制御)
『表象反転』
特に記述がありません
『光学反転』
『共有座標系』の「場合S」です。
・他人が鏡と隣り合って立つ
・実物と鏡像の文字盤が両方見える時計
その他(左右反転しない場合)
『共有座標系』で「場合S」以外
・左右非対称な顔の人の、自分の顔(制御)
・床鏡の上に立つ(制御)
・北壁の鏡を見ると、鏡像は南向き(制御)
・対称面を持つ物体(議論の対象から外す)
結果
左右反転を認知するには、座標系を意識することが必要です。多重プロセス理論で最も重要な、『表象反転』に対応する記述がありませんが、文字などは『疑似固有座標系』で見た形を記憶と比較しているはずです。
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その他の感想です。
多幡説は、すべての見え方を座標系で整理しています。常に座標系で左右を判断する人は、状況判断の方法を高度に訓練されていると思われます。多幡氏は物理学者なので、日常的に座標で認知していても不思議ではないです。ただ、もしかすると、座標系を使うと少ない要素でまとめられるから利用しているだけで、実際の多幡氏の認知ではないかもしれません。
『表象反転』として捉える人は、文字盤に数字のない時計の鏡像を見た時、うっかりそのままの時刻を読みます。『疑似固有座標系』で捉える人は、実像の時計の見えない文字盤を予測します。つまり、『表象反転』は「自動的な心理過程」では無いということになります。
多幡説でも、小亀説と同様、上下の判定に重力も使っています。重力で上下を認知するのは、鍵となるかもしれません。
多幡説で、左右軸を最後に決めるのは、ヒトに限定されません。ヒラメは、骨格としては目があって色の濃いほうが左で、右は白いです。左右よりも上下のほうが対称性が良いですが、多幡説ではどう捉えるのでしょう。
参考:
多幡 達夫 (2008) 『小特集 — 鏡映反転:「鏡の中では左右が反対に見える」のは何故か?』より 第2部: 多幡説 鏡像の左右逆転・非逆転:物理的局面からの解明 Cognitive Studies, 15, 512-515.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcss/15/3/15_3_512/_pdf/-char/ja
多幡 達夫 (2008) 『小特集 — 鏡映反転:「鏡の中では左右が反対に見える」のは何故か?』より 高野氏への回答:座標系選択基準の付加は容易 Cognitive Studies, 15, 530-535.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcss/15/3/15_3_530/_pdf/-char/ja
これを指摘している記事が多いので、『左右軸の従属性』も見ていこうと思います。
『固有座標系』は、鏡像を頭の中で回して自分と向きを揃えます。
『視点反転』では、空想の自分が回って鏡像と向きを揃えます。
清水 友紀・古田 貴久 (2011)では、これらを違う認識として、区別しているようです。
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多幡説では高野説の『表象反転』に相当する記述がないとされていますが、早咲さんが「結果」のところで取り上げられた通り、多幡説の「付録. 正規および擬似座標系」において、文字などの左右逆転は擬似座標系で同様に説明できるとしたのが、『表象反転』に相当する記述です。
ヒラメにおいて「左右よりも上下のほうが対称性が良い」ということは、ヒラメの左右決定に影響はしません。ヒトの体の対象性の特徴から決まってしまった左右の決め方を、僅かな非対称性からでも上下・前後が共に決まるものに対しては、同様に使うからです。上下・前後のうちの一つ以上が決められないものに対しては(固有の)左右は決まりません。
「チコちゃん」の番組で鏡像問題が取り上げられたことについても書いていらっしゃいますが、あの時の説明者は、多幡説の中で説明した共有座標系の考え方を出された吉村氏です。氏は、Corballis、Tabata-Okuda 両論文が Takano 論文への反論として同時に述べた左右軸従属説(高野氏の命名による。両論文は、実は鏡像で左右が逆転したと見る従来の「鏡の謎」のみについて説明をしている)に共感しながらも、Takano 論文が扱った対象は、従来の「鏡の謎」だけでなく、左右以外の軸が逆転すると見る場合も含んでいることに最初に気づき、鏡像に対する共有座標系について論文案を書き、私に意見を求められました。私はそれに対して丁寧に修正・加筆をしたので、Yoshimura-Tabata の共著論文となり、多幡説にその内容も含めた次第です。吉村氏や私は、Corballis、Tabata-Okuda、Yoshimura-Tabata の3論文で、鏡像問題はほとんど解決したと考えていますが、吉村氏は謙虚な方なので、高野説の存在にも気を使い、「チコちゃん」の答えとして「わからない」を推奨されたのだと思います。
Takano 論文は、鏡像の認識について総合的な検討に着手した論文としては評価できますが、左右軸の特異性を踏まえていなくて、場合ごとのバラバラな説明で良しとしている点で、科学性が不十分だと思います。
見つけていただきありがとうございます。書き込みいただいてありがとうございます。光栄です。
私の話は科学的でも客観的でもなく、多幡理論とは論点からずれていると思われます。
嬉しくて、いろいろ聞いてみたいのですが、ゆっくり読んでから書きます。
高野説はバラバラな説明で客観性も無いですが、高野氏の感じ方が本当にバラバラなのだとしたら、他人の感覚として参考になります。(この方が科学のお作法を身につけると、この方の感覚ではなくなってしまう気がします。)
多幡さん(先生?)の3つの論文は、ネット上でも読めるものでしょうか。英語が読めないのと主婦でアカデミックと繋がっていないのとで、探し方がわかりません。日本語の論文と概要は同じですか?